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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
少年篇
38/235

地獄が根差す蜘蛛の山(三)

 


 ヤスが身の回りの糸を断ち切り、後方へと引いた。相手の言葉によって起こされた怒りを鎮めて、深い深呼吸の後に状況を俯瞰する。


「アイツ、何かしたように見えたか?」


 全く何も見えなかった。事前に罠を貼っておいたという訳でも無さそうだし、魔術を使った感じもしない。だとしたら術式か。だがそれもいつ発動した?


 疑問からさらに疑問が生まれ、何も分からないということだけが依然横たわっている。相手の手の内が分からないのにこれ以上の特攻は危険と判断し、一度距離を取る。


「撤退の準備をした方が良さそうだね。あの女、未知数すぎる。後で季武さん達と合流してからでも遅くない。」


 僕達は撤退の判断を下し、的に背を向けることなくすぐさま仮設基地へと踵を返そうとした。しかし、それを相手側が許すはずは無い。


「逃がさないって言ったでしょ。【血界侵蝕】『絡新蜘蛛糸梓弦(じょろうくもいとあずさのゆみはり)』」


 刹那、世界が姿を一瞬にして変貌させる。辺りの木々は消え、地面は朱に染まり、四方八方に大きな蜘蛛の巣が出現した。


 血界は世界を区切る、術式の最奥。これを使われた時点で脱出は不可能となり、もし外の空を拝みたいのならば術者を殺すか、術者の体力切れを待つしかない。


 退路を完全に遮断されたため、僕たちに与えられた選択肢は一つだけだった。僕は刀を、ヤスは双剣を構え、流れる汗を拭くことも無く相手を睨む。


 相手は動かない。血界を張り、圧倒的優位の立場のはずなのに、決して先手を取ろうとしなかった。それにはなにか理由があるはずだと考察し、必死で頭を回転させる。


 血界の強みはいくつかあるが、その中でも最も大きいものは術式の拡張だろう。血界とは、あくまで自分の魂の内側にある術式を外へと押し出し、一時的に術式の輪郭を広げるものに過ぎない。


 つまり、この血界内ではどこにいても彼女の攻撃が当たるし、術式はインターバル無しの無制限使用が可能となる。ただ、この状況でそれをしてこないということは、何か術式にデメリットがあるのかあるいは。


「カウンター型の術式....!」


 カマをかけてみたが、どうやらビンゴだったようだ。その証拠に、彼女の顔が一瞬強ばる。だが、それでもこちらが不利なのは不動の事実だ。


 相手がいくらカウンター型の術式だからといって、こちらが逃げ切れる訳でもなければ攻め切れる訳でもない。動きを見るに大技は持ち合わせていないのだろうが、結局はジリ貧。


 両者睨み合うだけの膠着状態へと状況が移行し、ただただ時間が流れる。この状況を打破するには、大技を相手にぶつけて血界を解除するしかない。僕は雑魚掃除に慣れない魔術を使ったので、おそらく次魔術を使えばもう使い物にならなくなるだろう。


「僕が時間を稼ぐ。できるだけ派手なのを頼むよ、倒れたら後で運ぶから。」


 こくりと頷き、ヤスが詠唱を始める。そしてそれと同時に前に出た僕が、刀を彼女に向けて投擲する。刀は彼女に近づくにつれてどんどん白い糸を絡ませていき、最終的に彼女の少し前で自重に耐えきれなくなって落下した。


 刀を犠牲にはしてしまったが、これで相手の術式が分かりかけてきた。恐らく彼女を中心とした周囲三メートルが射程距離であり、その範囲に踏み込んだ上で彼女に近づけば近づくほど糸が絡むのだろう。


 厄介な術式だ。物理攻撃では歯が立たず、かと言って遠距離からの魔術攻撃でも意味をなさない。防御に関して評価するなら、一級品と言って差し支えない程の術式。


 ただ、防御しかできないのであれば押し切れる。ヤスのよく使用する魔術は、古術派の中でも最大威力を誇る災厄魔術。炎を出したり、風を生み出したり、水を操ったりするのとは訳が違う。純粋な破壊、無垢なまでの破滅。その全てが込められた、自然が生み出す、世界をも呑む災害。


「鯰の頭に石を置け。鯰の尾っぽに石を置け。土は茶色の硬い海。今は凪いでる大地とて、一寸先は大荒れ模様。要の石が外れれば、大地はすぐさま母へと帰る。動かぬ鯰を殺しましょう。石が取れてもいいように。動かぬ鯰を殺しましょう。石が割れてもいいように。『腹裂鯰(はらさきなまず)』」


 詠唱を終えたヤスが地面に手を添えると、そこから小さなヒビが生まれ、どんどんとそのヒビが深く大きくなっていく。


 そして鏡が割れるような音が鳴り、血界が崩壊した。ヤスの『腹裂鯰』は地割れを起こす魔術だ。血界の内部でこの魔術を行使したことにより、『腹裂鯰』の対象は実際の地面ではなく血界の地面に対して効果を発揮し、結果今のような血界を破壊するという結末に至った。


 ヤスが魔術の反動で戦闘不能になり、僕は単独で相手と対峙しなければならなくなった。一見、こちらの戦力が半分削がれ、もはや敗北は濃厚に見えるだろう。


「血界を破壊されたんだ...!しばらく術式は使えないだろっ!!」


 術式効果が終了し、ほぼ無防備と言っていい相手の懐へと徒手空拳で向かう。そしてがら空きの胴へと思いっきり拳をめり込ませた。


「やっぱり馬鹿ねぇ。まあでも向こうで転がってる子に比べたら賢い方かしら。」


 気づけば僕は金色の糸でぐるぐる巻きにされており、僕の拳は薄皮一枚分、相手に届いてはいなかった。おかしい、確かに血界は破壊した。血界は術式の延長。破壊された術式は破れた鼓膜のように、再生するまではしばらく使えなくなるはずだ。


「私は術式を二つ持ってるの。厳密に言えば少し違うんだけど...。ほら、私の下の子から糸が出てるでしょう?」


 術式は一人につき一つ。そう貞光さんから習った。だから完全に失念していたのだ、もう一つの術式を持っている可能性を。


 相手は下半身が蜘蛛、上半身が女の異形。両方それぞれが独立して生きているとするなら、下の蜘蛛が術式を持っていても不思議では無い。


「向こうの子はすぐに突っかかってきてくれたから良かったけど、あなたは警戒心が強いのね。ここまでしなきゃ油断してくれないだなんて。」


 実際、奥の手である血界を破壊したことで気が緩んだ事実は否定できない。血界を破壊できたあの時、逃亡の一手を打っていればこんな状況にはならなかっただろう。


 だがそんなたらればに意味は無い。僕はできるだけ会話で時間を稼ぎつつ、『魔纏狼』で爪を狼化させて糸を切ろうとした。


「ちょっと話を聞いて欲しい!絶対悪い話じゃないから!ほんと!ほんとだって!!」


「アンタ、時間稼ぎ下手ね。はぁ~....。男ってなんでこんなに馬鹿が多いのかしら。」


 なぜバレたのかは分からないが、すぐに時間稼ぎだということが露呈してしまった。僕はもうなりふり構わず爪を必死に動かして、何とか糸の切断を断行する。


 プチプチと糸が切れる音が鳴り、それに気づいた女が血相を変えて僕にトドメを刺そうとこちらへ牙を向ける。


 瞬間。何かの黒い影が、女の首に飛びかかった。その影はどうやら女に噛み付いたようで、先程までこちら向けられていた牙が進行を止める。


「わふっ!!わうわう!!う゛ぅ゛う゛!」


 忘れていた。僕達は四人で来たわけじゃない、もう一人、いやもう一匹連れてきていたのだった。花丸が一瞬の隙を作ってくれたお陰で僕は何とか脱出することができ、ギリギリ一命を取り留めた。


「犬ぅ?!ふざけんじゃないわよ!!もういい、かぐやとか言う女の居場所を吐かせようと思ったけどやめたわ。アンタ達は絶対に殺す!!まずはその犬畜生からよ!!!」


 金色の糸を幾重にも重ね、黄金を輝かせる一振の剣が出来上がった。女はそんな輝く剣を振るい、怒ったと言わんばかりに目を血走らせてこちらに疾走してくる。


 その剣捌きは、どう見たって素人のそれ。だったら、この状況の僕でも十分に対処ができる。相手は自分よりも強く、そして大きい。なればこそ、先人はそんなもののけたちに対抗すべく、弱き者のための技を編み出したのだ。


 術式も魔術も使わない、ただの人間の技術の結晶。僕が一瞬のうちに行ったのは、合気道の太刀取り。迫り来る女が剣をこちらに向かって振った瞬間、横に攻撃を避けて相手の懐に入り、剣の柄部分を掴んで持ち上げる。そしてそのまま相手の力を利用して、剣を奪い取った。


 そこから、流れるように攻勢へと移行する。奪った剣をそのまま相手の腹へ縦に突き刺し、体重をかけて下に切り裂いていく。女の部分は楽に刃が通ったが、如何せん蜘蛛の部分が硬い。どうしても蜘蛛は両断することが出来ず、脳天に剣が刺さるまでに留まってしまった。


 ただそれでも十分に致命傷になったようで、女は息を引き取って倒れ、蜘蛛は数分じたばたとその場でもがき苦しんで絶命した。

(貞光)「そもそも術式というのは魂に刻まれているものです。であるからして、基本は例外なく魔術のように詠唱を必要とせず効果を発動できるわけですね。」



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