【閑話】初恋
初恋は、灰の味がした。燃える我が家。ゴミみたいに投げ捨てられる、両親だったもの。大きな鬼がやってきて、私もお母さんやお父さんみたいに、呆気なく殺されてしまうんだ。
よくある話。どこにでもありふれていて、けれど自分の身に起こるとは決して思っていなかった。腐るほど世界に溢れている悲劇。
でも、私に降りかかったのは悲劇ではなかった。いや、ある意味で言えば悲劇なのかもしれない。
私は救い出された。この世に主人公なんてものがあるなら、きっとこの人なんだろうって確信できる。そんな爽やかで、かっこいい、少し年上の男の子。
私は、初めてそこで恋をした。親が死んだことも、村が燃えたことも忘れるくらい、その恋は私の心を奪っていった。
でも、それはすぐに終わってしまった。その人の隣には、もう既に別の女の人がいた。綺麗で、剣を持っていて。主人公に相応しい、愛されるべきお姫様が。
恋はすぐに終わってしまったけれど、私はまだ彼のことが好きだった。助けてもらった時の、燃える瓦礫の中から手を引かれた時の声を、今でも思い出せる。
「おい、大丈夫かよ?怪我とかねぇか?」
少し乱暴な言葉遣いなのに、優しさが見え隠れしているところが好き。
小さな体でたくさんの傷を作って、それでも逃げずに立ち向かっていくところが好き。
見栄っ張りで、子供っぽくて、いっつもカッコつけてるところが好き。
誰かのために、まっすぐすぎる想いをちゃんとぶつけられるところも、大好きだった。
彼の好意が、私に向くことは決してない。それでも、私は彼の隣に立ちたかった。女としてじゃなくていい。彼の傍に居られるのなら、何だって良かった。ただ、彼の力になりたかった。
私は名前を捨て、家を捨て、女を捨てた。代わりに僕がとったものは、弓だった。剣ではダメだ。もう彼の隣には剣がある。あれには絶対に勝てやしない。
だったら僕は、弓で彼を守るんだ。何があっても、どんな敵が出てきても、彼を守れるくらい強くなる。そう決意して、僕はずっと何年も、彼とは会わずに弓の稽古に励んだ。
そうしてある武家に認められ、新しい名前を貰った。別に名誉なんて気にしてもいないので、そのまま弓を振るい続けていると、ある時彼と再開した。運命だと思った。彼は僕のことなんてさっぱり覚えていなかったが、それでも良かった。
久しぶりに会った彼は、随分大人っぽくなっていた。すらっとした長身に、その内面の爽やかさを写し取ったような白い刀。それでいて、まだやっぱり子供っぽいところもある。
ようやく彼と並べたんだ。今なら、今ならもしかしたら。彼と、彼とちゅーなんかしちゃったりして。
「綱!!真面目に稽古する!あれ、あなた見ない顔ね。もしかして、新入りの男の子?」
そうだ。忘れていた。こいつがいたんだった。いつもずっと、彼の隣で剣を振っていた女。僕はわっと泣きそうな気持ちになった。だって、成長した彼女は昔よりもずっと綺麗だった。
僕はそれから、顔を隠すみたいに布を被るようになった。恥ずかしいから、なんて理由を周りには話していたけど、本当は違った。見たくなかったんだ。彼と、あの女が仲睦まじく過ごしている姿を。
気づけば、僕は走り出していた。
(何が女を捨てただ!何が彼の傍に居るだ!彼の力になるだ!ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!)
「私...。どうしようもないほど女だ....。」
地面にへたり込んで、ぼたぼたと大粒の涙を零す。
好きなんだ。彼が好き。彼のことを少し想うだけで、弓を引く手が強くなる。
胸をぎゅっと締め付けて、誰にも知られずに泣いた。あの女が死ねばいいと、心の底から思った。憎くて憎くて、たまらなかった。
それから大きな戦があって、少しした後のこと。あの女が死んだ。
私は喜びに小躍りしたくなった。これでやっと、私が彼の隣に大手を振って立っていいのだ。よかった、本当に死んでくれてよかった。
嬉しさのあまり、はしゃぎ回って彼を探す。けれど、彼はどこにもいなかった。朝から日が落ちるまで探して、結局彼を見つけたのは、あの女の墓石の前だった。
それを見て、私は鏡を見ているのかと思った。その姿は、あまりにも私だった。彼のことを想って、やりきれない気持ちが溢れ出して、涙を流すことでしか感情を表すことができない。そんな私の姿が、そこにはあった。
「なぁ...。季武。お前は死ぬなよ...。」
そんなこと、言わないで欲しい。死ねと、俺の為に死ねと言って欲しい。私もそんな風に、涙を流される存在でありたい。彼に、愛されたい。
今、この心が憔悴しきった彼を包み込んで、彼の心を満たしてあげれば。彼は失った穴を埋めるために、私を愛するしかないだろう。この悲嘆に暮れ、涙でぐちゃぐちゃになった顔に、今すぐ口付けをすべきだ!
「....死なないよ。僕は、綱の相棒だから。」
この、意気地無し。
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それから、彼は変わった。お酒に溺れて、女に溺れて。無精髭を生やすようになった。ただ、それに反比例して強さだけがぶくぶくと膨れ上がっていった。なのに、任務には前ほど真面目に参加しようとせず、あれほどあった太陽のような爽やかさは、もうない。
けれど、やっぱり私は彼が好きだ。でも、この気持ちは一生封印しなきゃならないものだ。私は、以前よりもずっと深く顔を隠すことが増えた。
「今更だけどよ。あの時俺がもっと強かったら。あいつを守れたと思うか?」
「........。分からない。綱は充分強いよ。強くなった。だから...。」
「だからなんだよ。ったく。俺が産まれた時から最強だったらなぁ。クソッ。」
また酒を浴びるように飲んでる。体に悪いよ。やめてよ。髭も剃ってよ。また前みたいに、笑ってよ。
僕はもう、彼が好きなのか分からなくなった。でも彼から離れるなんて考えられなくて、ズルズルと彼の傍に居続ける生活が続いた。
ずっと夢見ていた彼の隣は、思っていたのとは随分と違って灰色だった。恋が燃え尽きた後に残ったのは、愛という名の灰だけ。そんな灰をかき集めて、風に飛ばされないようになんとかしがみついて。ずっとずっと大切に、胸の中にしまっておくんだ。
恋は腐る。恋は消えてなくなる。恋は、死ぬ。でも愛は無くならない。ずっとあなたの傍に、相棒として生き続ける。
もう大丈夫。女は死んだ。恋は死んだ。だから残っているのは、愛だけだ。僕はそれから、沢山の戦場を彼と駆けた。
彼は強かった。悲しい強さを存分に振るって、巷では人類最強なんて呼ばれているらしい。当然だ。彼にはもう強さしかない、愛も恋も全部失ってしまった、悲しい人だからだ。
おちゃらけた性格に、わざとらしい子供っぽい態度。全部が全部、過去の自分の再現に過ぎない。そんな彼も、愛おしいと思えた。
僕の全ては彼なのだ。彼があの女に全てを賭ていたように、私も全てを彼に賭けているのだ。
(いつか。死ぬ時でいい。ほんの最後でいいから、あの時の言葉の続きを、言わせて欲しい。)
祈りは、遠い空の向こうに一筋の流れ星を落として答えた。その星が、彼女にとって吉星となるか凶星となるかは、まだ分からない。




