妖の祭り(上)
夜、なぜだか目が覚めた。両脇には、両親が起きる気配もなく静かに眠っている。
体が幼い故に体力がなく、昼間によく眠ってしまったせいだろうか。再び寝付ける気もしなかったので、何の気なしに布団を抜け出し、夜の家をはいはいで移動する。
暗くて辺りがよく見えず、恐る恐る両手両足を動かす。ゆっくり移動していると、ふと暖かい何かに右手が触れた。何かと思い、目線を右に向けると、そこには小さな生き物がいた。
小さな生き物はじっとこっちを見つめている。不思議と恐怖はなかった。前世で恐れるに足る生き物がいなかったからかもしれない。全身が朱色で、自分の半分ほどしかなく、真ん丸な体に手足がそのまま生えているようなその生き物は、小さな角をこちらに向けて小刻みに震えていた。
しばらく睨み合いが続いた後、生き物はそそくさと反対方向へ逃げ出した。あんな生き物は見たことが無かったので興味があった反面、怯えさせてしまって申し訳ないとも思った。
後を追ってみようか、そう考えてあの生き物が逃げた方向へと体を向けた瞬間だった。
笛の音がした。続いて太鼓、鈴、琴、人の声。祭囃子の楽しそうな風が、遠くから耳まで伝ってきた。
ふと両親に目をやる。起きる気配が全くない。先程までとは違い、起きてもおかしくないはずの妖しげな雰囲気が空間を支配しているというのに、両親は未だ夢の中にいるようだった。まるで、自分とは違う世界にいるような。
突然、ひょいっと体が空に浮かんだ。何かと思いじたばた慌てていると、どうやら抱き抱えられているようで、母がいつもしてくれるのと同じような抱き方をされていた。
「しぃ〜。悪いようにはしぃひんさかい。着いてきてくれるとおねぇさん、嬉しいねんけど。」
両親の言葉さえ分からないのに、何故かこの人の言葉は理解出来た。脳が蕩けそうになる甘い囁き声が、魂に理解を促しているようだった。ぼんやり蕩けた頭で、こくこく頷くと、お姉さん(?)は心底大事そうに僕を豊満な胸に当てるように優しく抱き抱え直した。
「まだ喋られへんのやなぁ。残念残念。これからちょこ〜っと、お家からお外にいこかぁ。お祭り、きっと喜んでくれると思うなぁ。」
抱き抱えられながら、目線を上に向けるとそこにはたれ気味の目に派手な和服、頭にはもふもふの耳と花飾りをつけた綺麗な女の人がいた。
「お耳、気になる?これな、てんぷらやなくて本物。ええやろ?お手入れ、結構頑張ってるんよぉ。」
そう言ってたぬきのような獣耳をぴょこぴょこ動かした。少し触ってみたくて手を伸ばしたものの、ダメーと静止されてしまった。
そうして、僕は初めて外に連れ出された。初めての外は、意外と賑やかだった。
大中小と様々な色をした人の形のものとそうでないものがそれぞれひとつの提灯を持って列をなしていた。そこを、赤く鼻の伸びたお面をした人が色んな楽器を持って先導し、列は少しづつ遠くの方へ向かっていた。
「あのお山。そこのお社に向こてはるの。今年はほら、大甕様の降りる年やから。人間で黒髪の子供が必要なんよぉ。」
そう言って、目を細めながらにっこり笑うお姉さんはなんだかとっても魅力的に見えた。言っていることはよく分からなかったけど、甘い匂いと柔らかな感覚が脳を満たしていて、全てそのほかのことはどうでもいいような気がした。
お爺さんのような面を被った人たちが、お姉さんに向かって桜の花びらを投げかける。右から左から、視界一面が桃色になって幻想的な風景を醸し出す。祭囃子は、どんどん音を強めていった。
いつの間にかあんなに遠かった山が、もう目と鼻の先にあった。
「「「「「大甕様、大甕様。今宵宿魂落とされよ。天に轟く荒御魂、我らが血肉を礎に。我らが霊魂礎に。大甕様、大甕様。大地に根降ろす悪神に、金の御星の輝きを。」」」」」
女の顔、男の顔、老人の顔、子供の顔、喜んでいる顔、怒っている顔、哀しんでいる顔、楽しんでいる顔。それぞれの表情をしたお面をつけている黒い影達が、無機質にそう繰り返していた。