いざ、人妖合戦
今回は源頼光おじいちゃんの過去回想です。次の話で出てくるのでどうかご容赦を...。
「頼光殿!前線がもう持ちません!」
怒号にも似た伝令が入り、本陣からいよいよ重い腰を上げる。こちらの軍は総勢三万。それに対して敵軍は一万いるかいないか、と言ったところだ。これだけの数の利がありながら押されているとは、嘆かわしいことこの上ない。
「もういい。下がれ。儂と綱、それに頼国も出ろ。季武は....隠密機動で敵背後を取り、撹乱しろ。」
「....はいはい、めんどくせぇ〜なぁ。」
「はい父上!ぜひ、お供させてください!」
だるそうに酒の入ったひょうたんを携えてやってきた綱と、かっちりとした具足に身を包み意気込んでいる頼国とが姿を現した。
その二人を引連れ、前線へと足を運ぶ。途中、何度も狸やら狐やら蛇やらを切り捨てたが、さしてこいつらは大局に影響を及ぼさない凡夫たちだ。ただ、あまりにも数が多い。ここは散開し手分けして殲滅した方が得策であると考え、綱と頼国をそれぞれ右と左に展開させる。
大量のもののけに囲まれ孤軍と成り果てたが、さして問題は無い。いや、むしろこちらの方がやりやすい。四方八方から押し流れてくる凡夫を、的確に最速で切り捨てる。狐の首を飛ばし、鬼の角を割り。その他にも様々な色形をした人間では無い者共をばったばったと薙殺す。
「随分と派手だな、頼光。」
「犬神刑部....。これだけの部下が死んでお出ましとは、遅すぎるんじゃないのか?」
ようやくお目当ての大将首がやってきた。この合戦の首謀者の一人。狸のくせに狐と盟約を結び、あまつさえあの白面妖狐と子を成したという稀代のもののけ。冷や汗がだらりと流れ始め、数百年を生きたというその貫禄に武者震えが止まらない。
犬神形部は手に持っている錫杖をカランと鳴らし、鍛え抜かれた筋肉を持ってこちらへ撲殺せんと迫る。それを刀でなんとかいなし、攻撃の方向をずらしたものの、奴の攻撃は終わらない。
「東の豊穣、十番『顎閻魔穢』」
何も無い空中から、急に恐ろしい形相をした化け物の顎が出現し、今にも全身の肉を噛み砕かんと迫る。一瞬、刀で受けようかとも思ったが、巧妙なことに化け物の顎と犬神形部は丁度真ん中に儂を挟むようにして設置されていたので、やむを得ず急な方向転換をして後方へ回避。
回避したと安心したのも束の間、空いた距離を利用するように、犬神形部が術を展開する。地面に雪の結晶の形をした文様が現れ、辺りの温度を急激に冷やす。
「東の豊穣、十三番『月寒魑彌鏖』」
両足が凍りつき、回避の択を潰される。両足を阻む氷を砕くのに、最低でも三十秒はかかる。その間に繰り出される犬神刑部の攻撃を全て捌ききるのは非常に骨だ。ただし、奴が近接を選んでくれるのであれば希望は微かながらある。
(奴の攻撃を捌ききった後、一瞬生まれるであろう隙を付き、動きを削ぐ!)
腹を括って刀を構え、あえて一瞬の迷いを見せて近接を誘う。しかし、そんな挑発に引っかかるほど犬神形部は甘くはなかった。奴は錫杖を天へと高く掲げ、自分の背後へと光を集める。その光は段々と形を成していき、最終的には巨大な仏の形となって眼前に鎮座した。
「『如意輪観音弥勒像』仏の掌で死ねるなら本望だろうよ。」
金色に輝く掌が、ゆっくりと絶望を押しつけにやってくる。回避は不可能。ならば押し切るのみ。刀を水平に構え、自分とは比べ物にならない大きさの仏像と力較べを試みる。
結果は拮抗、とまでは行かないが一息に潰されることはなかった。あと少しでも力が加えられればぺしゃんこにはなるだろうが、それでもギリギリのところで踏みとどまっている。この状態を保てば、奴の体力の方が先に尽きる。そのはずだった。
「あら。遊んではるん?酷いなぁ、一息に潰してあげたらいいのに。」
最悪の事態が起こった。ただでさえ犬神刑部一人でも手に負えないのに、白面妖狐までやってくるなんて。しかもこの盤面、白面妖狐が少しでも犬神刑部に手を貸せば、一瞬で塵芥になることは確実。戦線は完全に崩壊し、野放しになったこいつらは人間たちへの報復を始めるだろう。
人間が起こした自業自得とはいえ、そんなことが許容できるわけはない。足に全力以上の力を込め、筋繊維に限界を越えさせる。悲鳴をあげた足がブチブチと変な音を立てているが、気にしない。
「父上!!うおおおおおおおおっ!!!!!」
急に横から衝撃が走り、数メートルの距離を吹き飛ばされてしまった。ただそのおかげで仏の掌からは抜け出すことができ、なんとか一命を取り留めた。先刻は意識が掌にしか割かれていなかったため、誰によって自分が助け出されたのかが分からなかったが、仏の掌が退けられた瞬間、全てを悟ることになった。
そこには肉塊と化し、もう物言わぬ死者となった息子の姿が、見るも無惨な赤色に染まっていた。幸いなことに、即死だ。戦場に出た以上、こういうこともあるだろう。分かっていた。全て了承の上で、儂も息子も刀を取った。だから何も怒ることは無い。ただ眼前にあるのは、ごく当たり前の光景だからだ。そう、だから平常心。心を乱したものから、戦場では死んでいく。
そんなこと、わかっている。
「貴様ぁあああああああああああああああ!!!!!!!!
「子を殺されて怒るか、人間!そんな怒りなぞ、我らはとっくのとうに貴様らに浴びせられているわ!!お前たちの裏切りが!!今この戦を産んでいることを忘れたのか!!!!」
「黙れえええええええええ!!!!そんなもの!!!知ったことか!!!!!!!!」
怒りに身を呑まれ、戦力差など気にせずに刃を向かわせる。攻撃を浴びせようにも、奴の錫杖が鉄音を響かせて刃を阻む。だが、首を断つのを防ぐ忌々しい錫杖ごと切り捨てればいいだけの話。
錫杖が真っ二つにその身を分け、血飛沫が刀の軌道に沿って撒き散らされる。ただそれでも、致命傷に至ることは無かった。そんな二人だけの殺し合いを見かねた白面妖狐が、援護とばかりに炎を撒き散らす。
温い。今のこの身を焦がすような怒りに比べれば、炎など冷水にも匹敵する。直撃した炎の玉の数々を気にすること無く、ただ真っ直ぐに追撃だけを意識する。
立ち上がる煙で視界を遮り、それ以外の全ての雑念を振り払った渾身の突きをお見舞する。攻撃が着弾し、追撃など思いもよらないであろうこのタイミング。隙が生じるのは自明の理であった。
「がッ?!あれを喰らってまだ動けるのか?!」
犬神刑部の心臓へと刀を突き立て、刀を手放し近くにいた素手で白面妖狐を殴り飛ばす。鳩尾へと吸い込まれたボディーブローは見事に白面妖狐を遠くへ飛ばし、二人を分断させることに成功した。
「まだ死なん.....。娘のためにも、もののけの未来の為にも!ここで死ねるものか!【血界侵蝕】『如意輪観音曼荼羅金剛』」
世界が赤に染まり、大量の仏が周囲を埋めつくした。急な世界の変貌に驚きつつも、犬神形部の死に体を見てこれが最後っ屁なのだと感覚的に理解する。
(血界術...。世界を己の色に塗りつぶすと言う...一部のもののけのみに伝わる術式の極地か!)
仏がいっせいに目を見開き、こちらを凝視する。そして仏達が口を大きく開けて、口内から極太の閃光を放射した。数えられるだけで計八百五十二の閃光が、こちらへ貫かんと向かう。
「老兵風情が!!もののけの未来は!俺が守る!!」
血反吐を吐き、胸から刀を生やしてなお吠える。守るものがあると、死ねぬ理由があると。だがそれは、今の儂にとって火に牧をくべる行為でしかなかった。
奪われたのは儂も一緒だ。妻は鬼に殺され、親はもののけが起こす戦のせいで飢えて死んだ。そして先程、唯一残っていた息子も貴様の手によって失われた。もはや守るものなど、何も無い。だが、怒りと怨みの炎が、それだけがまだ残っている。
「ほざくな獣!!!!!!!!貴様の技など全て恐るるに足らん!!!」
体を大の字にして、全ての閃光を受け入れる。一線一線が身を焼き、されど命には届かない。本来であれば、一撃喰らうだけで致命のものだっただろう。だが今は奴も瀕死。これはもはや、魂の忍耐勝負。
「「うおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」」
紛うことなく、命を懸けた戦いだった。そしてその戦いで、最後まで立っていたのはもののけだった。最後に勝敗を分けたのは、肉体の強度。日々の地道な体づくりが、生死を決めたのだ。
「かはッ...。術にかまけて....。体の方は少し、甘かったか。」
「儂は術なんぞ使えん.......。鍛えるしか...なかったもんで.....な。」
「あぁ...。玉藻、娘たちを頼んだ...ぞ。」
犬神刑部は、最後まで倒れなかった。白目を剥き、ボロボロの体でも、しっかりと地面に二本の足をつけて立っていた。そんな敵に、もう怒りはなくなっている。代わりに最後の家族を失った悲しみだけが、胸の中で澱のように沈殿していくのが分かった。
「お父さん...?お父さん....!お父さんっっっっ!!!」
そんな犬神形部の死体に、いつの間にか小さな狐の娘が寄って来ていた。その娘は尾を九本携え、その多いしっぽと小さい腕で父の死体を抱き抱えた。そうして娘はぺたんと座り込み、わんわん大声で鳴き始めた。次第に、その泣き声が娘のものなのか自分のものなのか、分からなくなった。
「ジジィ〜こっちは終わったぜ。....ん?そのガキ、殺すか?」
「....よせ。既にこちらの勝ちだ。軍を引かせろ。」
「はいはい、じゃああんたが直々に引かせろよ。じゃねぇとあのイカレ侍どもが動かねぇだろ。」
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「ふぅ...行った行った。あのジジィは相変わらず詰めが甘いんだよ。こんなガキでも尾っぽが九本。見逃す道理はねぇだろうに。胸クソは悪いが....まあ仕方ねぇと諦めてくれや。」
狐の娘に刀を向け、その瑞々しい首元へと太刀筋を走らせる。しかし、刀が血を吸うことは終ぞ無かった。娘の姿が霧散し、父親の死体だけが残る。
(幻覚?いつからだ?....今から追えば間に合うか?いや、そもそもどこへ逃げた?)
そう考えていると、どこからともなく季武がぬっと気配を表した。季武はあれだけ持っていた矢を全て撃ち尽くしており、手には弓と兎の首だけが抱えられていた。
「....ごめん。母親の方はやったけど、娘は取り逃した。」
季武は申し訳なさそうに俯き、顔を隠した。こんな自信なさげに振舞っていても、しっかりと仕事をこなしているのが伝わる戦果だ。この兎は確かどこかの蛇の番だと言われているもののけだろうし、娘の母親だってあの名高い白面妖狐だ。
「いや、十分だ。戻ろうぜ、今夜は酒でも飲まなきゃやってられねぇだろ。」




