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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
少年篇
26/235

普通

 目が覚めた時、僕は家の縁側で寝そべっていた。特段なにか変わったことはなく、母が台所に立ち、妹がてちて走り回る、そんないつもの日常が続いている。


 違うのは、もうどこにもみんなの姿が見えないことと、術式が使えなくなったこと。後者の方は、いつの間にかつけられていた右手首のしめ縄で説明がつく。ただ前者については、何も分からないということが答えだった。


 目が覚めたばかりで呆けていると、狸のしっぽが雑木林の方へ進んでいくのが見えた。僕は慌てて立ち上がり、その後を追う。


 体の方はもうなんともないのか、寝起きなのに思いっきり走ることが出来た。雑木林の奥へと踏み入り、ようやく狸の姿を捉える。見つかったと慌てている狸は、あわあわしながらぽんと変化をして、人型へと変身した。


「.....自分は春水さんの留守中を頼まれていた者です。茶釜さまからは、何も言うなときつく箝口令を敷かれているので...。多分、春水さんが望んでいる受け答えはできません...。」


 僕は心を鬼にして、拳を構える。殺しはしない。ただ情報を少し吐いてもらうだけだ。僕の記憶が正しければ、この狸は幻術が得意なだけの落ちこぼれで、体術はからきしだったはず。僕でもそこまで傷つけずに制圧することが出来る。


 寝起きの体に鞭を打ち、呼吸を整える。僕はあの白蛇に負けた。覚えた妖術を駆使し、鍛えた体術で全力を尽くし、奥の手の術式まで解放して、完膚なきまでに敗北した。


 だが、それだけだ。これから僕は、もっともっと強くなる。僕は決して弱い訳では無く、この狸程度なら余裕を持って相手取れる。自分の強さを証明するため、妖術も使わずにまずは背後を取る。


「あんまり舐められても困ります。自分は体術はてんでダメでしたけど、それでも春水さんよりかは何倍も強いんで。」


 肘打ちが吸い寄せられるように僕の顎へと繰り出され、脳震盪を起こして体の機能が停止する。目を見開くことしか出来なくなった僕は、何故かあの白蛇を彷彿とした。


「茶釜さまはお優しい方です。他のみんなも手加減して、春水さんとの稽古をしていました。ですが、自分はそう生温くありません。」


 動けない体に、目で追えない速度の回し蹴りがめり込んだ。胃の中が空っぽなため、胃液を吐き出して後ろの木まで飛ばされ叩きつけられる。


 視界がぼやけた。ぼたぼたと、熱い何かが目から溢れ出す。悔しさ、恥ずかしさ、そして無力感。僕は、あれだけの大敗を経て何も学んでいなかった。僕は、誰よりも弱かった。


 最初に茶釜といい勝負ができて、沢山の狸達をあしらえて、調子に乗った。そのみんなが、僕に合わせて手加減してくれていたとも知らずに。


 敗北感が膝を折り、僕はもう立ち上がれなかった。漏れ出す嗚咽が、流れ続ける涙が、そして高々一発の蹴りで戦闘不能にされてしまう自分が。ありえないほど惨めで情けなかった。


「クソッ!!!こいつのせいだ!これさえなければもっとやれた!!クソ!!!まだやれる.....!まだやれるんだ........。まだ、やれたはずなんだよ......。」


 立ち上がることができないため、地面に右腕を叩きつけ続ける。術式が使えれば、少なくともあんな結果にはならかかった。そう言い訳を自分に言い聞かせ、しめ縄を取ろうと血が滲むまで土を殴る。


「はぁっ....はあっ.....はあ......はあ.......。うぅう゛.....。クソッ......。ううううううううううう.....。刑部......優晏.......。なんでいないんだよ.....。」


 芋虫のように蹲る。それしか出来ないからだ。負けに負けを重ねて、最後に僕ができるのは、言い訳と泣き言のみ。そして、土下座と見紛うような体勢をしばらく続けて、僕はようやく立ち上がった。


「......帰らなきゃ。」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夜、どうしても眠れなくて布団からこっそり抜け出す。夜風が冷たく肌に触れ、空の星々は手が届かない位置にある。星を見ていると、なんだか自分が嫌に思えてくる。


 空を見ないように目を伏せながら、真っ暗な雑木林を抜ける。僕はぼーっとしているうちに随分長い道のりを歩いてきてしまっていたようで、人の手が入った道が目に入る。


 その時ようやく気づいた。周囲が焔色に明るく、何やら焦げ臭い。僕がはっとして村に目をやると、そこには三分の一が炎に飲み込まれた村があった。


 僕が足を進める度、焼け焦げて家屋が倒壊する音や人々の悲鳴が徐々に耳に侵入してきた。ごろごろとゴミのように転がっている肉塊たちは、全てが食べかけであり、また遊びで殺されているようでもあった。


 一言でこれらの光景を形容するなら、それはもう地獄としか言えない。人の命が何よりも低い者として扱われている現状に、僕は不快感を覚えた。


 血の匂いも、臓物の生温さにも何も感じなかったはずなのに、僕は一体どうしてしまったんだろう。優しい家族に囲まれ、頼もしい仲間ができて弱くなってしまったのだろうか。


 もし、この目の前に転がっている人達が刑部や優晏だったらと想像していまう。僕が弱いせいで、殺されてしまう二人。ともすれば、見逃されたのは僕だけで二人とももう死んでいるのかもしれない。


「オェ゛ェ...。かはッ...!うっ...。う゛ェェェ....。」


 膝から崩れ落ち、胃の中の夕ご飯を全て吐き出す。今日は地面を見てばかりだ。膝に手をついて、少しずつ酸素を取り戻すべく息を吸う。


 肉体も精神も、もう限界だった。どうして足が動くのか不思議なくらいだったが、体が自然と前に行こうとするのでそれに従った。


 多分きっと、僕は理由を探しているのだろう。この先にいるのは間違いなく強大な力を持って、この村を襲っているもののけ。それに立ち向かって、納得のできる死を迎えたい。


 もう、逃げてしまいたかった。これ以上の恥を晒して惨めに生き長らえるなんて、僕はしたくなかった。そんな僕の願いに答えるように、大きな足音がずんずんと近ずいてくる。


「こんなところにガキが一匹。そろそろ腹も減ってきた頃だし、頂くとするか。」


 炎よりも、血よりも真っ赤な鬼が立派な角を二本蓄えて僕の目の前に立った。そしてうずくまっている僕を、鬼はくいっとつまんで持ち上げる。


 僕は、立ち向かうことさえせずになされるがままだった。そして鬼が僕を口の中に放り投げた瞬間、恐怖で叫び出した。


 死にたくない。やっぱり死にたくない!嫌だ、こんなところで死にたくない!嫌。やめろ!やめてくれ!嫌だ、嫌だ!!!


「うあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 一筋の雷が天上から降り注ぐ。雷は辺りを極光に包み、赤鬼を真っ二つに切り裂いた。そうしてその中から、血の色でも、鬼の色でも、炎の色でもない赤が顔を覗かせる。


「よう!単独で鬼狩りに来てみれば、あの時の赤んぼと再会できるとはな。って、もう赤んぼじゃないのか。それより大丈夫か?怪我とかねぇか?」


 金ピカに光る鉞を携えた大男が、そこにはいた。男はにっと白い歯を見せて笑い、空中で僕をキャッチして地面に着地した。そうして僕をゆっくりと腕から下ろして、他にもいるであろう鬼の殲滅へ向かった。


「....。生きてる。よかった....よかったぁ....。」


 安堵の息をはぁっと漏らし、そう独り言をつぶやく。僕は大の字になって土の上に寝転び、空を眺めた。星は煌々と、相変わらず手の届かない場所で輝いている。僕はそれに向かって手を伸ばそうとして止め、自分の頬を殴りつけた。


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