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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
幼年編
24/235

大縄迷宮(十一)

 ひたひたと、久しぶりの孤独を噛み締めるように一段づつ階段を降りる。二階層分を一気に階段で降りるからか、長い長い道のりは僕に色々なことを考えさせた。


 まず思い浮かんだのは、どれだけ早くあの二人の元に戻れるかだ。この先にある五階層は迷宮の終着点であり、ここさえ乗り切ってしまえば後は消化試合。武器も無いので苦しい戦いを強いられるかもしれないが、それでもなんとか踏破できるだろうという確固たる自信が、僕にはあった。


 他に思い浮かんだことはまちまちだ。迷宮を出たらどうしようかとか、そろそろ久しぶりに家族の顔が見たいなとか。そんな益体もないことを考えながら、僕は全ての階段を降り切った。


 階段の先には古ぼけた一室、それも今までとは比べ物にならないほどの大きさを誇る空間があった。地面や壁は苔むした岩で構成されていて、辺りには白い蛇がうねうね這いずっている。一番の特徴は、真っ赤な鳥居がいくつも続いていることだろう。


 天井も広々さることながら、遠くまで見渡せる奥行きを持っているこの空間の周囲を、観察しつつ奥へと向かう。歩いている最中、鳥居の横に小さな祠やらお地蔵様やらが点々と設置されているのを見つけた。


 しめ縄が施されたお地蔵様や祠は、どれも壊れかけで相当の年月を感じさせる。この先に待ち構えている大縄様とやらは長寿なもののけなのだろうと当たりをつけ、頬をぱちんと叩いて気を引きしめた。


 そうしてしばらく鳥居を潜り続けると、唐突に鳥居が途切れる。そして、今まで見たこともないほど大きなとぐろを巻いた白い蛇が紫色の舌をちろちろと出して僕の目の前に現れた。


「随分、遅かったじゃないか。」


 白蛇は嬉しそうに、僕に話しかけてきた。真っ黒い目を携えた顔をこちらへ覗かせ、鼻息が当たる距離まで接近してくる。


「ずっと君を見ていたよ。久しぶりの来訪者だ、紹介があったとは言え、やはり気になってね。」


 硬直する僕を尻目に、白蛇は言葉を続ける。白蛇は身体を引き摺って僕の後方へと進んでいき、十メートルは軽く超える巨大な体躯を見せつける。


 気づけば、既に退路は断たれていた。僕は距離をとって様子を見ようと試みるも、何故か蛇に睨まれた蛙のように足がすくんで動こうとしない。そんな僕に、白蛇は落胆の色をまるで隠さなかった。


「曲がりなりにもここまでやってきたんだ。君には結構、期待をしていたんだよ?それがまさか、この程度で動けなくなるほど弱いとは。期待外れもいい所だ。」


 ようやく足が動くようになり、後ろへ飛び距離をとる。たった一瞬で分かる実力差、出し惜しみはしないと胸に誓い、奥の手をいつでも使えるように準備する。


 ただ、あまり乱発しすぎるとこちらの体力が持たない。それ故に奥の手を使うのは次撃の際のトドメと作戦を立て、初撃用の術式を発動させる。


『未来測定』をフル稼働させ、小声で詠唱しておいた『盛馬千(さかえまち)』と併用してどんな攻撃にも対応できるように構える。知覚できた未来は、欠伸をして余裕をかましている白蛇の姿。攻撃が来ないのであれば、選ぶ行動は攻め一択。


 僕のことを取るに足らないと侮り、油断して回避行動を取らないであろう初撃で確実に息の根を止める。迷宮の中で大きく成長した僕の術式と妖術は、今までとは比べ物にならないほど練り上げられていて、格段に性能を上昇させている。


 持続時間は五分まで伸び、爆発的な挙動を可能とするようになった『盛馬千』で強化された脚力を使い空へ浮き上がる。半ば前転のような踏み込みで跳躍したため回転がかかり、遠心力を得た踵が白蛇の頭へ向かう。


(手応えあり。眼を狙って足をねじ込んだんだ、最低でも片目は潰したな。)


 蹴りの反動で元いた場所へと戻り、白蛇の被害を確認する。はっきり言って、白蛇は無傷だった。無傷どころか、僕の攻撃なんてまるで最初から無かったかのように白蛇は欠伸を続けた。


 眼球。それはどれだけ並外れた埒外の生物だったとしても、絶対的な弱点である場所。そんな弱点への攻撃を無傷で耐えれるわけが無い。僕は内心絶望に襲われたが、なにか攻略の糸口を見つけようと必死に舌尖へ打って出た。


「...流石に硬いね。一体どんな術式を使った?」


「私の術式はそんなものじゃ無いよ。もしかしてあれが最大威力の攻撃かい?」


 嘲るでもなく、ただ純粋な質問として問いを投げかけてくる白蛇に怒りを覚えた。そしてその怒りを発露すべく、僕は重い腰を上げて奥の手を解放する。


 僕の奥の手、それはズバリ術式だ。茶釜は天津甕星の伝承を稽古の時にあれやこれやと詰め込んできた。その中で、天津甕星の術式というものが『未来測定』だけでは無いと教えを受けた。


 天津甕星の術式が『未来測定』に留まらないのであれば、その権能を引き継いだ僕が『未来測定』しか使用できないというのはおかしな話だ。


 とどのつまり、今まで使用してきた『未来測定』というのは天津甕星の権能のほんの一部に過ぎない。それどころか、本筋を辿れば『未来測定』は出涸らしのようなものだ。


 本来の僕の術式は『叛天甕星天津明星(はんてんみかぼしあまつみょうじょう)』。天に座す星を堕とす能力だ。長々とした詠唱をすれば隕石だって降らせられるし、軽く詠唱を省いても小型の星屑を生み出して相手に射撃できる。


 しかし、この術式には難点がいくつかある。それは体力をありえないほど消費するということ。隕石なんて堕とせば二日は寝込むことになるし、星屑でも一発撃つ事に気を失いそうになる。


 それに範囲が大きすぎる。一度茶釜の前でできるだけ威力を抑えた隕石を投下したことがあったが、それでも巨大なクレーターができた。


 当時はその力に身震いした。これだけの圧倒的な力だ、これで高揚しない方がおかしいというもの。ただ大いなる破壊には心が踊るが、それで仲間を巻き込んでは意味が無い。僕は茶釜の指導の元、隕石を堕とすのを封印し、星屑だけを使うようにした。


 だが見くびってもらっては困る。星屑にも十分な威力が込められているのだ。僕が稽古で水深五十メートルの池へ垂直に星屑を発射した時、星屑は池の底にも傷を残した。


 これだけ長所を羅列したが、星屑も星屑で反動がとてつもないという短所を孕んでいる。しかし、今はそんなことはどうでもいい。


 僕は星屑を五個セットし、白蛇に向かって装填する。白蛇はようやくこちらに興味があるような眼差しを向け、避ける気がなさそうに動きを止めている。


「それは輝ける金の欠片。星の宮、動かざる原点。落ちよ、堕ちよ、墜ちよ。そこに明けはなく、宵もない。大いなるものよ、虚空より我は叛天す!『屑金星(くずきんぼし)』」


 五発全てが白蛇の体躯へ吸い込まれていく。僕は射撃の反動ではるか後方へと吹き飛ばされ、そのまま壁に激突することでようやく勢いを止めた。


 酷く埃が舞う中、立ち上がろうとするも足が震えて上手く立ち上がることができない。壁に叩きつけられたせいで骨があちこち折れているのも相まって、産まれたての子鹿よりも情けない姿を晒す。


「いやぁ、驚いたよ。本当に想定以上だ。まさか神の権能をここまで弱く使えるなんてね。」


 そんなはずはない。そんなはずはない。そんなはずはない!


 嘘だ、嘘だと言ってくれ。こんなの現実じゃない。だっておかしいじゃないか、あれだけの威力を持った星屑でさえも、無傷だなんて。


 ぺたんとその場に倒れ込む。体力が無いのではなく、もう立ち上がる気力が無かった。完全な敗北、自分の全能力を活かして戦って、その上で為す術が無い。


 それに対して白蛇は、一切なんの手札も出していない。恐らくあの発言もハッタリじゃない。素の防御力がこれだけ高く、僕の攻撃など意識する価値さえありはしない。白蛇にとっては、あの星屑はそよ風と何ら変わらない、言葉通りの星の屑なのだ。


「うあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 恐怖はあった。絶望もあった。自分では到底足元にも及ばない強大な相手に、それでもと震える足を殴って立ち上がる。


 これは悲鳴なんかじゃない。反撃ののろしだ。どれだけ勝てないと思える相手でも、膝を折れない理由があった。諦めきれない意思があった。


 花飾りが、カランと音を立てる。


「無駄だよ。君のそれは勇気ではなく蛮勇だ。たとえ君が何をしようと、私に勝てる道理はない。」


 そんなことは自分が一番よく分かっている。この目の前にいる白蛇に向かっていくには、あまりに惰弱すぎる自らの全てを恥じる。


 力も、心も、運も、何一つ足りない。この迷宮に来て、あまりにも都合よく進んでいく物事に勘違いしていた。僕は強くなんかない。強いのはいつだって僕の周りで、僕は常に誰かから助けられて歩めてきたんだ。


 そんなことに気づく前の自分。この階層に足を踏み入れる前、何を思っていた?早く援護に向かう?帰ったら家族に会いたい?馬鹿か?恥ずかしくて体が内側から焼け焦げてしまいそうな錯覚に全身を襲われ、僕はふらふらと立ち上がった。


「そう...だね。お前の言う通りだよ。僕は弱い。弱すぎるくらいだ。だけど.....最後に足掻いてみたいんだ、受けてくれるか?」


 にっと、白蛇が笑ったような気がした。その表情は、ずっと探していた何かを見つけたような、ようやく悲願の糸口を手繰り寄せたような。そんな笑みだった。


「勿論だとも。さぁ、存分に奮ってくれたまえ!次代を担う者よ!」


 想像するのは多くの死、災厄、滅亡、そして僅かな誕生。遍く全てを平等に踏み潰し、たったひとつを創りあげるために地獄の如き光景を生み出す爀い凶星。


「それは爀く煮え輝く金の凶星。星の宮、五芒の煌めき。堕ちよ、堕ちよ、堕ちよ。そこに明けはなく、宵もなく、命はない。星を描き、廻るものよ。虚空より我は叛天す。抗い、侵し、尽くを帰せ。『逆甕天蝕大金星(さかみかてんじきおおきんぼし)』」


 世界が爀く染まったのか、それとも視界が爀く染まったのかも判別がつかないまま、僕は目を閉じた。そして地面がゆりかごのように揺れ、悔しさを噛み締めながら、僕は意識を失った。

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