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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・京編
233/235

蟷螂と蜂(六)

 

 片腕の欠損。加えて度重なる術式使用による、寿命圧迫という代償。今までのハイペースな攻勢、その全てが、たった一瞬にしてひっくり返る。


 腕が片方無くなった故か、バランスを保てなくなった赤蜂はそのまま地面に倒れ込み、しかしぐるんと体を一回転させて貞光から距離を取ろうと試みた。


 これだけの不利、ここまで継戦能力を削られていながら、赤蜂は未だ闘志を燃やし続ける。されど、それに応えてやるほど彼は甘くない。


 貞光は転がって逃げようとする赤蜂の胴体を踏み付け、動けなくなった相手の首を跳ね飛ばさんと再び鎌を振る。


「ひひ、触った。」


 逃げ場のない直死の状況だからこそ、彼女は目を光輝かせる。散ること、消えること、死ぬこと。彼女にとって、それらは全て無意味な事だった。


 命は、役目を終えれば死ぬ。それが彼女のポリシーであり、そう思って彼女は機械的に日々を流してきた。ある一人の女に会うまでは。


 赤蜂は隻腕で貞光の足を掴み、上体を素早く起こしてトドメの一撃を回避。そして流れるように術式を発動し、反撃の挙動を作る。


「....?」


 刹那、貞光の脳内に駆け巡る違和感。そんな違和感を抱えたまま貞光は赤蜂の反撃を捌き、隙の生まれる可能性が高い鎌では無く、蹴りでの対応を行った。


 その蹴りをもろに受け、血を吐きながら地面に転がる赤蜂。彼女は軽く弾き飛ばされ、一歩か二歩分の距離、貞光から離れる。


(おかしい...。さっきの動き、術式を使うならもっと早くに使っていれば先刻の蹴りは受けずに済んだはず。ほかにも、妙な所が多い.....。)


 貞光は既に、相手の術式の範囲を見抜いている。そうしてその慧眼の通り、赤蜂の術式は自信が間接的に触れているものまで拡張が可能。


 だからこそ赤蜂の持っている槍は彼女の動きと同期し、一秒の時間をスキップできた。


 その上で、貞光はこれをオンオフ可能なものだと考えていた。だからそれを見越し、先程の一撃に隙の大きい大技ではなく、隙の少ない体術を選択したのだ。


 だが実際、赤蜂は貞光までもを術式の対象内に組み込んだ。そうして二人の時間は一秒互いにスキップされ、赤蜂の術者としてのアドバンテージが完全に消え失せた形で術式は発現する。


 無意味な術式発動。致命の攻撃を避けるだけなら、貞光の考察通りに術式を使えばいいだけの事。


 それなのに、赤蜂はあえてそうした。その事実が、その意味の分からなさが、貞光の脳内に幾つかの疑問の種を産む。


「ひひひっ....!私...私....!元々、女王様だったんですよぉ?沢山の働き蜂を従えて、巣穴の中で独裁者気取り!安全安心の贅沢三昧!食うにも寝るにも困らない最高の生活!実状は、ただの孕み袋だったわけですが。」


 最後にぽつりと、冷たく言葉を言い放つ。その雰囲気の変わりように、貞光はほんの一瞬、背筋に怖気が走るのを感じた。


「要するに、私は役割があったから大事にされてただけなんですよ。子供を産むだけの機械。それが私。じゃあ、子供を産めなくなったら生きる価値なんてないですよね?」


「ええ!そうですとも!無いんです!私は無価値な存在です!でもね?ふひっ.....!知っちゃったんです!!綺麗で綺麗で綺麗で!とっても美しい人の事を!とってもとっても、価値がある人の事を!」


 血が流れるのも、一言吐き出す事に命を削っているであろうことも気にせず、彼女は言葉を紡ぐ。


 上擦った声で、赤らめた頬で、漏れ出す甘い吐息で。その全てを使って、赤蜂はたった一人の美しさを物語る。


 それは偶然の出会い。役割を持ち、未だ傍若無人だった女王蜂の、ある意味で言えば一目惚れ。


 悪戯に見た外に生える、たった一本の弱々しい桜の木。本当に、吹けば飛ぶような枯れ枝の如き細木。


 美しく咲く必要など無い。どれだけ醜かろうが、役割が果たせればそれでいいはず。なのに、どうしてもその美しさに目を奪われた。


 それから時が流れ、儚く散っていく花びら。あれだけ細く、それでも花を芽吹かせた桃色の夢。その散りざまに、女王は意味を見た。


 美しいことは、それだけで意味のあることだ。少なくとも、彼女にとってあの桜には彼女を変えるだけの意味があった。


 だからこそ、彼女は命を賭ける。たとえ自らが、時間稼ぎのための捨て駒であったとしても。本命から目を逸らさせるための、囮であっても。


 狂喜する。ただ、嬉しくて。美しいと思ったもののためになれることが。赤蜂は痛む体を気にも止めず、無理やりな体勢で貞光へと突進。


 眼前に迫る大きな鎌。それを身を捩って急所に当たることを避け、ぞぶりと肩に刃を食い込ませる。


 食い込んだ刃は力を込められ、バッサリと彼女の体を袈裟斬りにしようとギラギラ光る。そんな凶刃を、愛しい恋人を受け入れるように彼女は受け止めた。


(ああ...。どうせ無意味な私です。ならせめて、命は美しいもののために使いたい。)


「なっ....?!」


 いびつな上半身だけとなった赤蜂。最早死に体のその体は、胴を切断された反動で宙に浮き、貞光の元へと飛ぶ。


 術式の適応。自分のメリットを、相手にも付与する。であるならば、当然デメリットも付与される。


 赤蜂の狙いは、術式により受ける恩恵ではなく反動の方。自身が握る諸刃の剣の柄を、相手にも握らせること。


 最悪の悪足掻き。勝てぬのなら、いっそ道連れにという赤蜂の最後っ屁。その真意に、貞光は最後まで気づかない。


「さぁ!!!!!あなたも、私と一緒に散りましょう?どうせ私たち、無意味な存在なのですから!」


 残った片腕を、貞光へと伸ばす。死の間際、赤蜂の術式は黒く墨汁のような輝きを得る。それは、おぞましいほどの成長で。


 生命が一度だけ、最期に見せる命の輝き。彼女の術式はほんの一瞬成長し、爆発的に威力を向上させる。


 そしてそれに比例して、術式の代償も大きくなっていく。圧縮された時間の代償は、およそ五十年。


 触れればほぼ即死。そんな逆転の諸刃が、とうとう貞光の眼前まで迫った。そんな折、彼はふふっと笑みを浮かべる。


 次の瞬間、赤蜂が見た光景は、真っ青な空だった。雄大な雲が空に鎮座し、どこまでも広がる青の中にぽつんと佇んでいる。


 そこで悟る。自身の首が、とうに大鎌によって落とされてしまっているということに。


 死に際の、目覚しい成長。赤蜂は紛れも無く、貞光をあと一歩の所まで追い詰めていた。だが、一つだけ間違えたことがある。


「確かに、私は大事なものをあの夏に置いてきました。でも、それからの日々が無意味だったなんて、どうしても思えないんです。」


 思い出すのは、遠い日の記憶。それだけじゃない。屋敷で過ごした日々や、仲間たちのこと。


「楽しかった。そう、楽しかったんです。屋敷で過ごす時間も、後進を育てる毎日も。そりゃあ、嫌なことも沢山あったけど。これで結構、みんなのことが好きなんですよ。」


 無意味なんかじゃ無かったと、貞光は爽やかに笑って言う。楽しかったと。同じ目線で、同じ高さに居る人と過ごす時間。


 それが、もう一つの歩き出す意味になった。赤蜂はそんな健康的に笑う相手を見て、心の底から敗北を感じる。


 納得のいく敗北。意味の無い自分と、意味を見つけた相手。どちらが勝つかなど、戦う前から明白。そう、赤蜂は思った。


「ひひっ....!あぁあ....残念....。本当に....残念です.............。あの人が散るのを.....もう一度....見たかった........。」


 青空の下、蜂は散っていく。その傍らには、血まみれの蟷螂。茹だるほどの熱を抱えたまま、蟷螂は未だ戦場を駆け抜ける。


 過去と未来に突き動かされて、蟷螂は走る。これから先一生付き合っていくであろう、後悔と、反省も抱えて。

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