蟷螂と蜂(五)
「何のために生きるのか。あなたは私に、そう問いましたよね。今なら、その答えがはっきりと分かるような気がします。」
ちゃぽんと血の池に大鎌を浸し、それに体重を預けながら貞光は言葉を紡ぐ。赤蜂はその一挙手一投足に緊張を解かないまま耳を傾け、警戒態勢を続けた。
「例えば、紅葉を踏み鳴らす時の軽快な音。涼やかな夜風薫る、杪夏を想起させる匂い。豊作を知らせる柔らかな稲穂が織り成す、柔らかな味わい。」
「ふひ....?一体何を.....?」
「私の生き甲斐は、私が居ない秋を過ごす彼女が、幸せに生きれるようにすることです。あの夏で、終わってしまわないように....することなんです!」
言葉を吐き出し終わったと同時に、貞光は大鎌を前面へと突き出し、赤蜂はその突き技を咄嗟に槍で受け止める。
しかし、大鎌の衝撃やダメージまでは防げても、大鎌に付着していた血液が飛び散る事までは防げない。
攻撃を受け止めた反動で、赤蜂の視界が飛んできた血液によって塞がれる。その隙を、貞光は見逃すこと無く詰めていく。
大鎌として最大の長所である、力押しの大振り。彼はそれを選択するのでは無く、ここではあえて小回りの効く持ち手部分での突貫を選んだ。
(視界を奪ったとは言え、速さは向こうが数段上。長期戦は避けたいですが、今は少しでも削る。)
威力よりも速さを重視した、棒術のような立ち回り。貞光は後ろへ飛び退いて距離を取ろうとした相手の手を全力で叩き、片腕を槍から離させる。
それからくるっと手首を回し、大鎌の鎌部分を槍へと引っ掛け、思いっきり自分の方へと手繰り寄せた。
人間ともののけ。両者において絶望的なスペック差があろうとも、片手と両手での綱引き。どちらに軍配が上がるかは明白。
槍は貞光によって引き寄せられ、釣り上げられたかのように宙を舞う。されど、負けじと赤蜂も槍から手を離すことは無かった。
空へと投げ出され、かと言って翅を使った滞空をする素振りを見せない赤蜂に対し、貞光は着地地点を虎視眈々と狙う。
刹那、貞光は有り得ないものを見た。物理法則に従い、重力のままに地面へと落下する赤蜂。それが、軌跡の見えない瞬間移動かの如く地面へと着地し、あまつさえ反撃まで繰り出そうとしてきていたのだ。
(速いっ....!ただ....これを喰らうのも二度目....!)
攻撃用に備えていた大鎌の先を、急遽自分に向けられた槍の穂先に合わせて攻撃を受け流す。そこに加え、貞光は体ごと相手へ距離を詰める。
一度突き技を放ち、自身の持ちうる最大限度まで伸びきった槍。それを再度攻撃に転用するためには、幾つかの工程を踏まなければならない。
要するに、今この瞬間。貞光は相手からの反撃を気にすることなく、フリーで攻撃を叩き込めるという事。
その事実に一足遅れて気づいた赤蜂は、必死で槍を手元に戻すため獲物を引くが、どうしたって間に合わない。
少なくとも、槍の再装填に一秒は絶対に掛かる。貞光が、その一秒を待ってくれるはずも無く。
この状況で、赤蜂が取れる選択肢は二つ。ダメージをそのまま受けるか、少々リスクはあれど術式を使うか。
考えるまでも無い。赤蜂は少しの逡巡もせず、再び術式を発動。槍を引く、という動作に掛かる一秒をスキップし、自身の体勢を建て直す。
はずだった。直後、赤蜂の頬に走る殴打の感覚。自分が何をされたのか、気づいた時には既に貞光の蹴りが解き放たれ、赤蜂はやや横へと吹き飛ばされる。
蹴りの勢いをそのままに、凄まじい速さで地面へと叩きつけられる赤蜂。そんな彼女の脳内では、痛みより先に疑問が駆け巡る。
彼女の術式、『散美歌』の能力は時間の圧縮。簡単に表現するなら、寿命を一年分犠牲にし、それを圧縮することで一秒のスキップを可能とするもの。
故に、これを使用された時の貞光は赤蜂の攻撃を感知することが出来ず、まるで瞬間移動か目に見えない速度で移動したかのように見えた。
過程を排し、結果だけを叩きつける。しかしそれは、一度使うだけで寿命だけでなく、肉体へ多大なる負荷を掛けてしまう諸刃の剣。
「あなたの術式のからくりは、結局の所解明できませんでした。ですが、術式の適応範囲。これなら、見抜くことは容易い。」
二度目の術式発動タイミング。貞光は相手の体に注目するのでは無く、彼女が持つ獲物である槍に目をつけた。
姿を消したのかと思うほどの、超高速移動。然してそれは、術者本人だけで無く彼女が持つ武器にも適応されている。
それを見抜いた貞光は、相手が槍を引っ込めようと術式を発動した瞬間に、槍へと大鎌を引っ掛けて固定した。
赤蜂の術式が瞬間移動であれば、そんな試みは無為に終わっただろう。だが、もし相手の術式が速度上昇に関わるものだったなら。
何かしらの感覚。または引き寄せられる槍に伴い、自身も位置を移動させられる。そう踏んでいたのだ。
結果は上々。槍を引く動作という過程をスキップしたせいで、貞光が槍と同じように引き寄せられていたことを感知出来なかった赤蜂は、虚を突かれる形となる。
相手の術式を利用した、経験則から導き出される戦いへの慣れ。初見の術式においても、それは例外無く適応される。
「ひひっ....!ひひひひひっ....!!!そうですよねぇ!!!痛くなくちゃ!!!命が懸かってなくちゃあつまらない!!!!いい!!!やりましょう!!!正真正銘!!本気の殺し合いです!!!!」
「今更、何言ってるんですか。こっちは最初からそのつもりですよ。」
急な蹴りを貰い、吹き飛ばされてよろめく赤蜂に、貞光は容赦のない追撃を叩き込む。大鎌がブンと唸りを上げ、相手の首を叩き落とさんとばかりに振るわれた。
そんな追撃を再び術式を用いる事で回避し、赤蜂は適切な距離を保って槍をひたすらに振り回す。
雨のように降りしきる乱打。常人では一突きで心臓を射抜かれてしまいかねないほど正確なそれらを、貞光は冷静に捌いていく。
大量出血し、今にも倒れてしまいそうな体。だからこそ、最小限の動きで最大限の効果を引き出さねばならない。
一手のミス、一ミリのズレが死に繋がる綱渡りの如き状況で、貞光は冷や汗一つかくことが無い。その汗一粒さえ、無駄なのだから。
もののけ由来の恵まれたフィジカルと、それに依る事無く鍛え続けられた技巧の塊。そんな中に、ほんの少し混ぜられた毒。
(右の突きに、今度は左。払い、叩きつけ、突進。それから突きの乱打に、一歩引いた?......来る。)
赤蜂は通常攻撃と術式を織り交ぜ、いつ術式を使うのか相手に悟られぬよう挙動を複雑にする。
だが、先程の手痛い反撃が余程効いたのか、相手に付け入る隙を与えぬような一歩分の距離を置いてからの術式発動を選択。
瞬き程の、極わずかな予備動作に過ぎないそれを、貞光は見逃さなかった。世界は一秒、たった一人以外に気づかれないまま時計の針を進める。
「....ひひ。」
音すら立てることなく、赤蜂の槍が半分に切断され崩れていく。スキップされた分の一秒、どこかに投げ捨てられた過程であっても、それは確かに存在する時間だ。
貞光は相手が術式を発動することを予感し、それから相手の攻撃を予測した。攻撃位置、タイミング、それに威力まで。
あらゆる情報と知見を総動員し、最終的に貞光が選んだ結論は、攻撃を置いておくこと。槍が飛んでくるであろう地点に、ドンピシャで槍の振りを合わせる神業。
極度の集中、極限のバッドコンディション。限界スレスレを低空飛行する彼は、それでもと確信を持って大鎌を振った。
結果として、貞光へ向かい投げられた槍は見事切断される。死に至るはずの一撃であったはずのそれをくぐり抜け、更に彼は一歩踏み出す。
鎌に乗っているのは、数多の重み。捨ててきたもの、旅路の途中で拾ったもの。有り得たかもしれない未来と、今歩んでいる先にある未来。
(ある秋のあなた。どこかの空の下にいる、幸せなあなた。私は、この道を進みます。)
赤蜂の目が見開かれ、ゾッと怖気に脳みそを支配される。けれど、それとは裏腹に彼女の表情には笑みが張り付いていた。
振り上げる。乗っている重みごと、大きな鎌は牙を剥く。そうして振り下ろされた一撃は、捕食者のようにして赤蜂の右腕を千切り飛ばした。




