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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・京編
230/235

蟷螂と蜂(三)

 

 地面から這い出たカマキリは、それから次々と辺りを血の海に変えて行った。バリバリと咀嚼される同胞たち、それを見て更に怒りを燃え上がらせていく私たち。


 無茶な特攻だと、心のどこかでは分かっていたのかもしれない。けれど、逃げ出すことなど出来なかった。


 それなりの時間を共に過ごした仲間。気のいい、背中を預け合ってきた同士。逃げる選択肢など、はなから持ち合わせていない。


 ただし、カマキリはそんな私らの心情など知る由もなく、ひたすらに向かってくる人間を貪り続けるだけ。


 大きな鎌がブンと振るわれる度、仲間の胴体が薙払われていく。そんな虐殺のままに、生きている人間の数が十を切った頃、ようやく全員の目が相手の攻撃に慣れてきた。


 初めに、仲間のうちの一人が二つの大鎌による薙ぎを刀で受け止める。ギリギリと剣戟の鉄音を響かせながら、必死に彼は叫ぶ。


「三秒稼ぐっ!!!!!」


 その一言が、反撃の合図となった。それぞれが乱れていた陣形を四方八方に立て直し、一人がカマキリを抑えている間に抜き身の刀を振り下ろす。


 鈍い音が響き、そこで私は相手の装甲の硬さを悟る。鋼鉄を幾重にも重ねたような、到底傷などつけられそうにない鎧。


 与えられた三秒間と引き換えに、付けられたのはせいぜいかすり傷。そうしてその代償は、更なる命によって贖われた。


 大鎌を一気に二つも受け止めて、刀の方が無事でいられる訳が無い。彼もきっと、それを理解した上で引き付け役を担ったのだろう。


 バキッと刀の割れる音が鳴り、二つの鎌が彼の体に食い込む。命が零れていくように鮮血が吹き飛び、勇敢だった彼は呆気なく地面に倒れ込んだ。


「っ.......!お先に。」


 べしゃりと力を失い、血の池に顔を埋める肉片。先程の一言が、彼の遺言となった。カマキリはその肉片に対し、ほんの一瞬動きを止めて祈るように二つの鎌を合わせる。


 見間違いか、果てまた気まぐれか。私にはどうにもそれが、勇者に対する敬意の祈りのように思えてならなかった。


 そしてそれと同時に、私はある種の恐怖さえ覚えた。昆虫的な思考回路しか持ち合わせていないと思っていた相手が、強者に祈る知性を持ち合わせている。


 身の毛がよだつほどおぞましく、戦慄する事実。ただ自らの能力を振るうだけでなく、知性を持って襲ってくる怪物。


 正直に言って、私の心は半分折れていた。加えてそれは、仲間たちも同様だったようで。あとはもう、死が来るまでの刹那を震えて待つだけ。


 怯え混じりの抵抗虚しく、仲間は次々と殺されていく。心なしか、カマキリはつまらなさそうに事務処理の如く同胞を屠り続ける。


 そんな光景を見続けているうちに、あれだけいた仲間の数は二人まで数を減らした。最後に残ったのは、仲間内の中で最も若い私ともう一人。仲間内の中で、最も弱い小太りで中年の男。


「貞も苦労すんなぁ。最後に残ったのが、最弱の俺でさ。」


「....そんなことないですよ。どの道、全員殺されてますから。どうします?辞世の句でも詠みますか?」


 小太りの彼はふっと笑い、それから一歩前に出る。カタカタと震える腕はろくな構えにもなっていない。


 それでも、彼は引こうとはしなかった。目線はグッと上げ、カマキリのギョロりとした目玉を睨む。


「貞よぉ。お前、カミさんいたろ?」


「何ですか急に。.....まだ結婚はしてませんけど、一応は。」


「俺たちゃ全員、身寄りのねぇ独身だった。産まれも孤児だしな。命張るしか金の作り方が分かんねぇ。そういうバカの集団が、俺らなんだよ。でもよぉ、お前は違うだろ。生まれは同じでも、しっかり家族が居るじゃねえか。」


 プルプルと揺れるだらしない腹。それが武者震いでないことなど、カマキリにだって理解されていただろう。


 だが、カマキリは静かに小太りの男を見下ろしてその時を待つ。その姿はさながら、自分を打ち倒す勇者を待つ魔王のようで。


「逃げろ。そんで、カミさん幸せにしてやれ。お前はここで死ぬには、まだ惜しい。」


 逃げろ。その一言が、私は喉から手が出るほど欲しかったような気がする。死にたくはなかったから。まだ、生きていたかったから。


 小太りの彼は一瞬だけ、こちらを振り返った。そうしてすぐに視線をカマキリへと戻し、力無く笑う。


「ガキがなんつー顔してんだよ。そりゃ、誰だって死にたくねぇだろ。それでいいんだよ。」


 地面の血溜まりに映る、自分の顔。嬉しさと安堵と、それから拒絶の混ざったあやふやな表情。


 逃げたいと、逃げる訳には行かないの混ざり物。懊悩の末、私の足は一歩後ろへと下がっていた。脳みそではなく、体がそう命令したのだ。


「.......仇は、取ります。」


「真面目ちゃんかっての。でも....あんがとな。」


 後ろを向いて、振り返ることなく私は走った。背後では数度の剣戟の音と、肉が裂かれる音が聞こえる。


 それを全て無視し、必死に家まで走る。走って、走って、走って、走って。家までたどり着いて、私は心の底からほうっと溜息を漏らす。


 そうして次に襲ってきたのは、抱えようもない罪悪感。自分だけが逃げ延びてしまったという、抱え切るには重すぎる重圧。


 悔しかった。何より、死ななかったことに安堵してしまった自分が。情けなかった。命をかけて戦えなかったことが。


 そんな折、ガラガラと家の扉が開く。扉の前には、地面に蹲る私を驚いた表情で見つめる彼女の姿。


「貞光っ!どうしたの?ケガしたの?痛くない?大丈夫なの?!」


「......ごめん。」


 血まみれの体のまま、私は彼女に抱き着いた。彼女は一瞬驚愕の表情を見せたが、すぐに柔らかな雰囲気を纏って私の背中を優しくさする。


 その温かさが、愛おしいと思えた。それだけで、もう何も要らなかった。彼女は自分が汚れることも厭わず、私の抱擁を受け止めてくれている。


 その事実が、嬉しくて。苦しくて。私は決意した。人並みの幸せなど、彼女を幸せにすることなど。私には出来ぬことなのだ。


 だから、私は人間であることを諦める。この温かさを守っていくために、私は人を辞める。私は刀だ。私は獲物だ。私は、武士だ。


 その後、私はゆっくりと湯船に浸かって汚れを落として夕飯を腹に入れ、世界が完全に寝静まるのを待った。


 復讐では無い。ただ、守るために殺す。あのカマキリがいつこの村にやって来て、彼女を襲うとも限らないのなら。私は私の全てを持って、あの大きな頭を落とす。


 その過程に、道筋に仇討ちという華が一輪咲いているに過ぎない。魚のはらわたのような黒い感情ではなく、もっと清閑とした想い。


 誰もが寝息を立てる真夜中。月明かりに照らされて、私は刀を取る。恐怖は無い。怯えも無い。


 だって、私はもう人では無いのだから。家の前に立ち、名残りである最後の感傷をあやす様になぞる。


 私は、これしか彼女を幸せにする方法を知らない。だから、これでいい。これでいいのだと、自分に言い聞かせた。


 生き方は決めた。あとは、ただ刀を振るうだけ。そうして踏み出そうとした一歩目を、あろうことか後ろから服の裾を掴まれ阻まれる。


 私は反射的に振り返り、自分の服の裾を掴んでいるものが何かを確かめようとした。本当は、見なくても分かっていたはずなのに。


「.......ねぇ、行かないでよ。」


 そこには、泣きそうな顔をした彼女が立っていた。私は、これ以上彼女の顔を見てはいけないと思った。


 もし見てしまえば、自分が鈍ると分かっていた。溺死させたはずの感傷が、再び湧き上がってくる手触りがすぐそこまで迫っているのを感じる。


 すぐに私は彼女に背を向けて、自分の足元を眺める。二つの影が地面で重なって、一際濃い黒をしていた。


 愛とはこんなにも黒いものなのかと、その時初めて思った。背中のすぐ側に感じる彼女の体温。


「.......ごめん。」

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