大縄迷宮(十)
「面白ェこと言うじゃァねえの、狸の嬢ちゃん。それで?高々一個のイカサマ見抜いたくらいでデケェ面するのはちと早すぎんじゃァねえか?」
刑部は笑みを崩さない。ただいつのも妖艶な表情で、鬼熊の言葉を粛々と聞いている。鬼熊の葉巻がジリジリとその身を焼く速度を上げ、煙を大量に登らせる。カランと、グラスの氷が解けて音が鳴った。
「あらあら、やっぱり奇襲はかける方が怖いって言うもんなぁ。焦ってる焦ってる。」
刑部は余裕をたっぷりと顔に貼り付けて、正しく妖婦と言うにふさわしい表情を見せる。それに鬼熊がカチンと来たのか、力強い手で札をシャッフルし互いに配った。
鬼熊は札を捲り、自分の手札を確認する。一方で、刑部は自分の手札を見ない。刑部の持つ札は、全て机に裏が上になっている状態のまま放置されていた。
「テメェ、どうして自分の札を見やがらねェ。臆したか狸女!早く捲れよ!なァ!!」
ドンと机を叩き、今までには無い焦りを見せながら鬼熊は刑部を急かす。それでも、刑部は一向に動く気配がない。それどころか、自分の持ってきた荷物の中から水筒を取り出し、中に入っていたお茶を自分のグラスに注いだ。
「ふふ。やっぱりおかしいわぁ。京極さんがいないとなぁんにも出来へんの?それであんな大見得切って、恥ずかしくて堪らんわぁ。」
痛いところをつかれたのか、鬼熊は脂汗を額に滲ませてどっかりと自分の席に倒れ込んだ。そして大きく息を吐き、自分の手札を晒して一度目の勝負を降りた。
「.....いつから気づいてやがった。この毒婦が。」
「いつからって、そりゃぁ最初っからやねぇ。優晏ちゃんが青短引いた時、京極さんが持ってきたお酒は加賀のもんやったよなぁ。加賀のお酒であの花の匂い。そないなもん、加賀の菊酒しかあらへんもん。それに加えて、菊の花が含まれてる組は青短しかない。そっからもただの偶然かと思て見てたら、ご主人様の時も同じように柳酒出してくるし。あれは露骨すぎて、吹き出さんようにするのが難しかったわ。」
どんどん鬼熊の表情が青くなっていく。相手のイカサマを見破り、それを宣言することで心理的にも優位を得た刑部が二度目の勝負を催促する。
「流石は刑部さま。全てお見通しという訳ですか。では、私はこれ以上の無粋をすることはいたしません。」
すっと身を引き、京極は僕たちのいる個室からカウンター席へと戻り、彼が最初に居た位置へと踵を返した。ここまで来てようやく、運以外が介在することの無い純粋な博打をできるようになった。
僕と優晏は二人で手を取り合って、盛り上がりながら刑部を応援した。言葉が喋れなくとも刑部には僕たちの意向が伝わったのか、刑部はぱちんと片目をウィンクさせる。
小細工はもうない。鬼熊は呼吸を荒くして、さらに酷くばふばふ煙を吐き出し続ける。札を混ぜる手が小刻みに震えだし、何度も机の上に札をばら撒く。相当焦っているのだろう、それでも眼光だけはこちらを睨めつけ掴んで離さない。
刑部はグラスに手を掛け、先程入れたお茶を一口飲み込む。すると、その間に札を配り終えた鬼熊が自分の札を見て一瞬だけその眼光に別の光を宿す。
(勝った!!俺の手札は四光!!八点だ、負けは絶対にねェ!ここ一番の大勝負で勝っちまうのが俺なのよ!このクソアマに一泡吹かせてやるッ!)
伏せられた五枚の札を、刑部はやはり見ない。そうして、何故か刑部はそのまま勝負を選択した。この場にいる刑部以外の全員がその行動に驚愕し、慌てふためく。
「札を見ずに勝負だァ?!気でも狂ったのかマヌケがァ!!素直に降りておけばいいものを!!しかと目に焼き付けろ!!これが!!俺の!!猪鹿蝶だァ!!!!!」
机をふたつに割ろうかという勢いで、鬼熊が自分の手札を机に叩きつける。それを見た瞬間戦慄した僕と優晏とは裏腹に、刑部はイタズラが成功した時の子供のようにクスクスと口をグーで抑えて笑っていた。
目の端に笑い涙を貯めながら、刑部が一枚目の札を捲る。光札だった。
続けて二枚目を捲る。これまた光札。
そして三枚目、やはり光札。
僕は刑部が札を一枚捲る度、心臓が飛び出してしまう錯覚を覚えた。刑部が四光を出し、同点になるならまだしも、鬼熊に勝つには全てが光札である五光を出すしかない。
花札の札の数は全部で四十八枚。その中に含まれる光札は、たったの五枚だ。一枚も零すことなく全ての光札を引ききることがどれだけ難しいか、もはや言葉にしなくても伝わるだろう。
僕と優晏は固唾を飲んだ。四枚目を捲るまでの時間が永遠にも感じられ、どくどくと心臓の音が耳元でなっているような気さえした。
そして、四枚目が捲られた。光札だ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ???????????!!!!!!!!!この状況で!!四光だと?!ふざけるんじゃァねェ!!イカサマだろうが!!!」
「どの口が言えるんそれ?もし仮にイカサマやったとして、それを見抜けへんような節穴の目を持った自分を呪うんやなぁ。それに、まだ終わってへんよ?」
刑部の言葉は、言外にこれが光札であるということを述べていた。鬼熊はぐるぐると目を回し、口を開いたために自分が葉巻を落としたということにすら気づいていないようだった。
刑部が五枚目の札に手をかける。緊張感がしっかりとした質感を持って、この場の空気を支配した。ここにいる誰もがもはや運の奴隷。この一枚の結果で全てが決まってしまうという状況に平然としていられる人物は、この札を捲ったたった一人しかいなかった。
「ハッタリだ!五光なんてあるはずがねェ!!」
「ざぁ〜んねん。五枚目も光札やわぁ。おつかれさん。」
ぱちぱちと拍手の音が鳴り、僕と優晏のぬいぐるみ化が解除される。拍手の主は京極だった。机に突っ伏して動かなくなった鬼熊を横目に、京極は僕たちを最初に出会った時と同じ表情で労った。
「お見事です、皆さま。それと....敗者には少々お灸を据えねばなりませんね。」
そう京極が言い放つと、鬼熊がぽんと小さなぬいぐるみになった。よくよく考えればそうだ、恐怖を与える術式を持っていたのが鬼熊なら、賭けに負けた者をぬいぐるみにしてしまう術式を持っているもう一人が必要なはずなのだ。
その時点で、鬼熊と京極が組んでいることに気づくべきだった。僕は今更ながら少し反省し、しゅんと肩を落とす。そんな僕を慰めるように優晏が僕の頭を撫でて、よしよしと優しく呟いてくれた。
「さて、この階層はこれで終了です。次は四階層なのですが....、春水さまには別の道が用意されております。刑部さまと優晏さまは右手側の階段を降りて貰い第四階層へ、春水さまは左手側の階段で大縄さまの待つ五階層へ。」
「ん゛〜!!!!ん゛!!ん゛〜ん゛!!」
小さなぬいぐるみとなった鬼熊が暴れているのを片手で抑えながら、負けたばかりというのに京極は紳士的な態度を崩さず今後の案内をしてくれた。
京極の言葉に、僕は不安を覚えた。それは優晏も同じだったようで、優晏は僕の背中へと両手を回してぎゅっと抱き締めてきた。
「大丈夫、すぐに帰ってくるから。だから、そっちも絶対負けないでね!約束だよ!」
僕は不安を振り払って、自分を鼓舞するようにどんと自分の胸を叩いた。刑部はそれを見て自分の頭に着いていた花飾りを外し、僕へと差し出した。
「これ、持っといて。うちのこと忘れんように、貸してあげるから。」
真剣な眼差しが、僕へと向けられる。確かにこれから別々の階層に行くとはいえ、さすがに言い過ぎではないかと思った。
そのことについて一言口を挟もうとしたが、もう刑部は優晏の手をとってくるりと身を翻して階段へと足を進めてしまっていた。
「春水〜!また後でね!」
そんな優晏の声が遠くから聞こえ、僕も腹を括った。そして迷宮の最終階層へと、足を踏み入れたのだった。
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「なァ、おやっさん。あのチビ助、行けると思うかい?」
そんな鬼熊の問いかけに、京極は先代守護者としての風格を持って返答をする。
「十中八九無理でしょうな。あの若さにしてはやる方だと思いますが、力、経験、頭。どれをとっても足りない。それに仲間がいて楽に勝ち進めているせいか、奢りの色も見えます。あれでは到底大縄さまには及ばない。」
かつて賭け事だけでなく、戦闘技術でも一級品の戦士であり、各地を血で染めながら酒を探して回った経験のある老兵は、それが自明の理であるかのように語った。
「たァ〜...。まぁそうだろうなァ。でもそれにしたって、まさかジジィ謹製の茶を出してくるとは驚いたよなァ?」
「そうですね。あの戦闘狂が孫を慈しむなど...考えられませんが、確かにあれは『分福』の茶でした。用意周到なのか、単にあの狸が過保護なのか。」
懐かしさと呆れが混じったため息が吐き出される。未来を憂う眼が力なく光り、そうして伏せられる。
「見る限り、後者だろ。昔のジジィの稽古ならもっと鋭い目をさせたバケモンしか出来上がんねェ。誰だって歳食えば甘くなんのさ。」
「ふふ、あなたからしたら私もそう見えますか?」
知らぬものが見れば、春の日向を想起させる和やかな笑みに見えるだろう。ただ、ここにいるのは歴戦の老兵。
かつて、とある領地を一夜にして壊滅させ、挙句の果てにはその地の海域に住み着いていた全長五十メートルもの大鯨を酔った状態で細切れにし、付いた渾名は酔鯨吟麗。
「本気で怖ェから辞めてくれ。ぶった斬られちゃァ敵わねェからな....。まあ何はともあれ、あのチビ助はどうなる事やら。」




