蟷螂と蜂(二)
幸せになりたかった。普通に彼女と結婚して、普通に子供を作って、普通にそれなりの生活をして。
どこにだってありふれている日常。そういうものに、いつか自分もなれるものだと思っていた。
もののけ狩りという仕事。いつ死ぬか分からない、命を懸けた労働。あれ?そう言えば、なんで私はこんな仕事をしているのだろう。
ふと、そんなことが頭に過ぎる。そんなぼんやりとした頭を冷ますみたいに、目の前にはギラギラと血の滴る槍。それを見てようやく、私は今の状況を察した。
「.......かっ...!」
自分の口から吐き出される大量の血液と、横っ腹を貫いた穴だけが残る胴体。即死、では無いが致命傷。このまま傷を放置し続ければ、出血死は免れない。
唐突に突き刺された槍を引き抜かれ、その反動で地面に倒れ込んでしまう。地面に倒れ込んだ際、衝撃で獲物まで落としてしまう始末。
「ふひ....!ふひひ....!対応できませんよねぇ...!出来るはずないですよねぇ....!!ふひ....ふひひっ!!!!!」
術式の影響か、果てまた錯覚か。兎に角、傷口が燃えるように痛む。溶岩でも流し込まれたのかと思うほど、せぐり上げてくる痛みを堪えつつ、私は思わず落としてしまった大鎌を拾う。
(速度の上昇....?単純な肉体強化の術式...?いや、決めつけるのは早計すぎるか?....クソッ、痛みで思考がまとまらない.....。)
地面に膝を付き、穴の空いた脇腹を抑えながらよろよろと立ち上がる。意識が朦朧として、今にも倒れそうな体に鞭を打ち続け、何とか継戦が可能であると体で表明した。
しかし、血を流しすぎたせいか脳みそが言うことを聞かない。目の前の敵に集中すべきなのに、視点が中々定まってくれない。
加えて、頭の中に必要じゃない情報ばかりが流れていく。これが、走馬灯ってやつなのだろうか。
武士という生き物。この道を歩むと決めた瞬間から、私はもう人間では無くなった。それは、どうして?
どうして、私は自らを部品とすることを良しとしたのだろうか。どうしてなんだっけ。いつからだったっけ。
そこで、流れすぎた血を見て想う。どちらが地獄だっただろうかと。故郷には、夫婦になれなかった女性を一人、残してきた。
こんな仕事をしているから、いつ死ぬか分からない。あなたを未亡人にはしたくないと、そう言って結婚する前に別れを切り出した。
彼女は最後、わんわん泣いていた。それでも私の傍に居たいと、そう泣いて縋り付かれたのをよく覚えている。
私はそんな彼女の手を、振り払ってここまでやって来た。あんなに暖かかった手を振り払ってまで、今私はこうして戦っている。
血溜まりに写る自分の表情。酷い顔だ。クマは深いし、顔色は真っ青を通り越してもはや白い。
何より一番笑えるのは、故郷に置いてきた彼女が既に結婚してるという事。もちろん、彼女は薄情なんかでは決して無いから、きっと色々な想いを引っ掻き回してきたのだろう。
ぐるぐる考えて、胸の中で何度も反芻して。それからやっと、落とし所を見つけたんだと思う。
結婚相手は農家の男。優しそうで、きっと彼女を一人で置いていくこともない。そんな、普通の幸せの陽だまりにいる男。彼女は、きちんと居るべき場所に戻れたんだ。
失った年月、悪戯に過ぎていった時間が子供の形を取って大きくなっていく。これだけの代償を経て、私は何を得たのだろうか。何を、求めたのだろうか。
時々思う。戦いを辞めて、もし故郷の彼女と結婚していたら?今の自分とは違う、何か幸せを掴めたのか?
脳みそがすっかり冷えていくのが手に取るように分かる。そうして直に感じる、死の手触り。私はそれを、どこか他人事のように眺めていた。
(あぁ....死ぬ........。傷口は熱いのに体は寒い......。これで....終わりですか.......。)
最期に思い出すのは、やっぱり故郷に置いてきた彼女の顔だった。私は過去にばかり囚われて女々しすぎる自分に苦笑いしながら、自分の血溜りへと再び沈んでいく。
なぜ?どうして?そう問答を繰り返すうち、血溜りに揺れる波紋が答えを映し出す。あまりにも血なまぐさい走馬灯。その全てを、私は横向きに倒れながら見続けた。
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十七歳。神童でも、才子でも無かった私は、どこにでも居る雑兵の一人としての日々をつつがなく過ごしていた。
十か二十程の人数がいる武士団に所属し、大人数でチームを組みもののけを狩る。そんな凡人ながらに数の利を活かした戦い方で、私たちは日銭を稼ぎ続けていた。
受けていた仕事は全て、身の丈に合ったものたちばかり。だから死人が出ることなんて滅多にないし、みんなそれなりの暮らしを遅れていたはず。
「貞光、おかえり。」
「うん、ただいま。」
一日の終わり、家に帰ればいつだって彼女はいた。もののけの返り血を浴びた私に気を使って、いつもお風呂の支度を真っ先にやっておいてくれている。
肉体労働でバキバキになった体を暖かい湯船で癒しながら、台所から聞こえてくるトントンと野菜を切る音に耳を傾ける。この時間が、一日の中で何よりも私は好きだった。
食卓を囲み、同じ布団で眠り、同じ朝日を拝む。将来を誓い合って、このままずっとこうして生きていくのだと、信じて疑わなかった時期。
ただ、どうしてもその日はやって来てしまう。よく晴れた、夏の日のこと。いつものように手堅い任務を受け、私は刀を携えて家を出た。
集合地点には私以外の仲間が十五名。その全員が気心の知れた仲であり、お互いの背中を預けることの出来る戦友。
準備は万端、手抜かりは無い。いかに余裕を持っているとは言え、殺し合いをしていることに変わりは無い。それを、全員がよく理解していた。
凡人たちの集まりだとしても、長年続けていればそこそこモノになる。計十六本の刀たちが、それぞれ殺意を持って指定された地点へと向かう。
「陣形はいつものでいいな。敵戦力は一匹。カマキリのデカブツだ。どこに潜んでるか分からん。とにかく、油断するなよ。」
「分かってますよ。私は西の方を見張ります。他はお願いしますね。」
十六人がビッシリと固まって陣形を組み上げ、四方八方を完璧に見張る。周囲は竹林、刀を振るにはやや狭い空間。
ピリッとした緊張感が全員に走り、それぞれが何時でも戦闘が出来るようコンパクトに構える。
緩やかな静寂が辺りを支配し、カサカサと風が葉を揺らす音がやけに大きく感じる。そんな中、その静寂を突き破る大鎌がぬっと現れた。
「クソッ!!!下だ!!野郎どもっ!!!足もっ」
地面が不自然に隆起し、竹でも生えるかのように地面から大鎌が突き抜けてくる。その不意打ちに、一人の命が呆気なく奪われた。
残るは十五人。地面に潜んでいた巨体をこれでもかと見せつける大きなカマキリへ、仲間を失い怒り心頭の男たちが駆ける。
私も、例に漏れずその内の一人だった。戦いは始まったばかり。しかしここから、私の人生は少しづつ変わっていく。
この戦いは、その始まりに過ぎない。私が自分の人生の行先を決める、その始まりの一歩。全ては、この大鎌の一振から始まった。




