知っていたことを、知っていく。(一)
響き渡る怒号。逃げ惑う人々の群れへ向かい、坊主頭の悪霊が不敵に笑う。ペロリと舌なめずりをして、獲物を見定めるかの如く一歩一歩をランウェイの上でも歩くみたいに踏みしめる。
今まで大量のもののけたちを押しとどめていたはずの民間人でさえ、その歩みを阻むことが出来ない。
溢れんばかりの圧力とでも呼ぼうか、その一挙手一投足から滲み出るオーラが他とは一線を画している。
「あら、嫌ねぇ。アタシまだ何もしてないわよ?それなのに刀なんか抜いちゃって...せっかちさんね♡」
「それだけ殺意ダダ漏れの癖して、何言ってんのさ。かぐや、街の人たちの避難誘導お願い。こっちは僕が喰い止める。」
宿で一晩を明かし、前日のヤスとの約束の場所に赴こうとしていた春水たちは街の異変を察知。
そうして人の流れに逆らい洛中の南部へと進んでみれば、異様な気配を放つ悪霊を発見したという訳だ。
春水はかぐやにそう指示を出し、自身は殿として民間人への被害が出ないように目の前の悪霊。もとい侠客へと立ち向かう。
「あらぁ♡まだ小さいのに、随分冷静。それに...女の子には戦って欲しく無いのかしら?」
「....別に、あんたぐらいなら僕一人で十分ってことっ!!!」
春水の考えを見抜いた風に、侠客は身悶えして体をふるふると振るわせる。その隙を狙って、春水は地面を踏み込み、刀を一直線に相手の首へと走らせた。
しかし、侠客はそれを体を後ろに逸らすことで回避。フィギュアスケートのイナバウアーもかくやと思われるほどの美しさで、春水の攻撃の筋を完璧に読み切る。
その後、初撃を躱された春水は続けて刀に力を込めて追撃に打って出る。だが、それすらも侠客は華麗な動きで翻弄。春水から一定の距離を取り、チュッと投げキッスを春水に向けて放った。
「かっこいいわねぇ♡女の子を立てつつ、戦地から避難させて、それから挑発までこなす。太刀筋も綺麗だし...うっとりしちゃうわぁ♡」
「っ....!」
侠客からすれば、これは本気の賞賛であった。けれど春水からしてみれば、自分の攻撃を全て完璧に避けられた直後に敵から送られるお褒めの言葉。
少なからず、手放しに相手からの賞賛を受け入れられる状況では無い。春水は一瞬ピキっと思考にヒビを入れかけた苛立ちを抑え、何とか平静を保つため深く呼吸を回す。
たった一瞬、ほんの刹那の立て直し。そのゼロコンマ一秒が、手練との戦闘では命取り。春水が精神を整えている間、侠客は素早く春水との距離を詰め拳を硬く握る。
(速っ....!防御....間に合っっっっっ...!!)
春水は何とか反射で刀を眼前に構え、防御姿勢を形成。侠客の刀を自身ではなく刀で受け流し、すんでのところで決定打を避けた。
ただそれでも、あくまで合わせた防御姿勢は急造のもの。全ての威力を殺し切ることは出来ず、春水はそれなりのダメージを受けて後方へと軽く吹き飛ばされる。
「ん〜。手応えはあったけど...イマイチって感じかしら?案外防御の方はおざなりなのね?なんか興醒め。」
鋭い一撃を繰り出し、春水を吹き飛ばした侠客は拳をヒラヒラと振って、追撃さえすること無く軽いため息を吐いた。
(ちょっぴりおかしな雰囲気もあったけど...所詮は人間。今の一撃でノビたか、生きてても戦闘不能ね。あ〜あ、つまんない。)
巻き上がる砂埃に向かって、侠客は心底つまらなさそうな視線を向ける。そんな中、砂埃と共に侠客の退屈を切り裂かんとする影が立ち上がった。
通常の人間であれば、先刻の一撃はまさに致命傷。侠客の見立て通り、気絶か戦闘不能は避けられない。
通常の人間。そのような枠組みに、もはや春水は当てはまらない。侠客に対して防御を固めるために、春水は『魔纏狼・纏身憑夜鬽・改』を発動。
全力で防御を固めてから、翼を展開して砂埃の中から奇襲をかけた。その奇襲に、侠客もまた対応し切れない。
「あはっ♡なによ、アンタ人間の皮被ってたってワケ?サプライズが嫌いな女なんて、この世にいるはずないじゃな〜い♡」
ただし、そんな予想外の反撃に侠客は嬉しそうな笑みを浮かべる。その笑顔ごと真っ二つに切り分ける勢いを保ったまま、春水は刀を侠客に向かって振り下ろした。
自身へと迫る凶刃が加速し切る寸前、侠客は足を思いっきり振り上げて刀を迎撃。十全な威力を刀が孕む直前で、蹴りによる防御を行う。
(こいつっ....!一歩間違えれば普通に足斬られて終わりだったろ....!どんな胆力してんだ.....!!)
春水の攻撃を抑え、そのままくるりと身を翻しアクロバティックな反撃を繰り出そうとした侠客。
それに対して春水は風を巻き起こすことで相手の体勢を一瞬崩し、反撃を未然に防ぐ。そうして逆に生まれた隙を突くことで、軽く相手の脇腹を斬り抜けた。
「んふっ...!鎧に風...それにまだまだ手札を隠してるみたいだし、多彩ね♡」
僅かとはいえダメージを入れられたと言うのに、侠客は一切の動揺も見せずにっこり笑顔を崩さない。
その表情に春水は、幾ばくかの焦りを感じる。言うなれば、まな板の上の鯉。たった数度の剣戟だけで、ここまで嫌なプレッシャーを感じたのは春水の中で初めての体験だった。
(性能が高いってよりかは、ひたすらに練度が極められてるって感じだ....。少しづつ鱗を剥がされてる感覚。攻略されてるな...。)
通常、もののけや悪霊というのはスペックに任せた脳筋戦法をとることが非常に多い。何故なら、それだけで十分な程に術式というアドバンテージが大きいからだ。
だからこそ、術式を持ちながらも思考して修練を積む春水は、いつだって相手を攻略する側に回り続けることが出来ていた。
だがこの瞬間、その立場が逆転する。侠客は術式を使うこと無く、いくつもの死線を潜り抜けてきた歴戦の猛者。
体術だけで他を圧倒出来る実力を兼ね備えており、その上術式も鍛えている。間違いなく、単体で見れば厄介な相手。
春水は倭国大乱が起きてからというもの、術式を鍛え上げることに意識を割いていた。無論、基礎をおざなりにしたという訳では無い。
しかしそれでも、手数が増えればその分鍛えねばならない箇所も増える。すると結果的に、基礎の基礎までは手が回らなくなってしまう。
故にこそ、単純な基礎の積み重ねにおいて、春水は侠客に敗北している。多彩さを磨き、素のスペックを引き上げた代償。
春水はそれを酷く痛感し、相性の悪さを目の当たりにする。そんな中侠客もそれを察知したのか、口角をより吊り上げて一転攻勢へ出た。
繰り出されたのは右からのストレート。渾身かに見えるその一撃に春水は注力を割き、全力を持って解き放たれた拳を捌こうとする。
されど、拳は春水の直前でピタッと止まり、春水の防御は無駄に組み上げられる。そうして一瞬遅れたタイミングで、侠客は左の蹴りを繰り出した。
(なっ?!フェイン......ト?!)
透かされた防御では当然間に合わず、春水はもろに侠客の蹴りを貰った。それでも、彼の身に纏わっているものは頑強な鎧。
一度の読み合いの敗北を無にし、ダメージを最小限にとどめながら吹き飛ぶことも無く、多少のヒビ割れだけでその場を凌ぐ。
ただし、やはり内部に響く衝撃までは殺せない。春水は口からかふっと血を吐き出し、ダメージを受けた部位を腕で抑えながらも目線だけは相手から外さない。
春水の強み、それはそつなく全てが高水準なスペックを誇っているということ。弱点らしい弱点も無く、強いて言うなら単体でのジャイアントキリングをする手札が乏しい事ぐらい。
優秀な性能に加え、パラメーターとしても水準が高く申し分無い。だが、それだけで勝てるほど上澄みたちは甘くない。
練度が上がっていくにつれ、術式勝負とは言わば理不尽の押し付け合いになる。どちらがどれだけ、より理不尽であるか。その一点においてのみ、雌雄が決する事も少なくないのだ。
粗がなく、使い易い優秀さ。逆に言えば、突出したものがない器用貧乏。絶対評価で見れば万能とも呼べる彼とて、相対評価ではあと一歩の何かが足りない。
いいや、本来ならば足りていたはずだ。彼はあえて使おうとしないだけで、振るえば全てを滅ぼせる力が自分にある事を知っている。
春水は緩やかに思考を停止していき、自身の内に潜む神へと語りかけようとした。そんな時、サッと空中から一人の影が出現。
「待たせたなァ!!!シュン!!」




