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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・京編
223/235

手が届かずとも、月に手を伸ばす。

 

「親父殿...流石にそれは....納得致しかねます.....!」


 洛中の更に中心部、貴族たちが住まう大屋敷にて、ヤスとその父親が対峙する。現在、洛中にはもののけの大群が迫っており、ヤスはそれを迎撃するため準備を進めていた。


 しかし、ヤスの父親はヤスの出兵を阻止。下っ端武士たちや身分の低い者どもに前線を任せ、自分たちには損害を出すまいと洛中の内へ身を潜めている。


「理解しろ保昌!そも、武士などは腰掛けに過ぎん!お前は安全な任務をこなし実績を上げ、ゆくは武士たちを統べる実権を持った貴族として....。」


 既に貞光を筆頭とした武士軍は、洛中への侵攻を防ぐため前線へと駆り出されている。そんな状況を前に、ヤスは刀を強く握っているだけ。


 悔しさにギリギリと奥歯を鳴らし、もはや我慢の限界と言わんばかりに飛び出しそうな足を何とか抑えていた。


「今...オレが行かなければ、手遅れになるやもしれません.....!親父殿....どうか行かせてください.....!」


「ならん!お前一人如き、大局には何の影響も無いわ!たわけ!」


 ヤスの父親は顔を真っ赤にして、聞き分けのない息子への怒りをぶつけるようにヤスの横頬に拳を打ち付ける。


 自身の命を左右する、一刻を争うこの瞬間。その最中にこうも粘るヤスの姿に苛立ちを隠すこと無く、ヤスの父親はとめどなくその胸に抱えた怒りを吐き出した。


「何のためにっ!!!お前を屋敷に派遣してやったと思ってる!!安全な前線で実績を積むためだろうがっ!!!!その上これからを見越してかぐやの傍にまで置いてやったというのに....!女一人手篭めにすら出来んお前如きに....何が出来る!!!!!」


 実際、ヤスの父親の言葉はそれなりの正当性があった。貴族の生まれでありながら手練の集う屋敷にて安全に武勲を上げ、書類上は帝の娘であるかぐやと懇ろな関係になっておく。


 そうすれば地位の向上、ひいては武家との繋がりも持て、権力と武力の両方を掌握することが可能となる。


 つまり、ヤスの父親がヤスに求めたのは見せかけの実力のみ。実際に強いか弱いかは関係無く、ただただ実績さえ作り出せればそれで良かったのだ。


「いいか!お前はとにかく後方で待機さえしていれば良い!!これは家長としての命令だ!!」


 ヤス自身、自分に実力が求められていないことなんて分かりきっていた。常識外の強さを持つ綱や、始まりは同じだったのにどんどん自分よりも強くなっていく春水。


 自分なんて、いる意味があるのだろうか。そう思った夜が何度あるか、もはや彼自身でさえ分からない。


 自分の醜さも、弱さも。痛いほど知っている。だからどうしても、あと一歩が踏み出せない。ヤスはそれが悔しくて、血が出るほど奥歯を噛み締めた。


 言わなきゃいけないこと。言いたいことが、たくさんあったはずなのに。それすらも、彼は喉から絞り出すことが出来ずにいる。


 謝らなきゃいけない。あの時断りきれずに、かぐやの純潔を怪我したこと。それを知られたくないが為に、屋敷での五年間を何でもないように過ごしたこと。


 春水とかぐやに対する、負い目。そうしてそれを言い出すことが出来ない弱さ。ヤスはそんな事を脳内でぐるぐる考えて、動けなくなってしまう。


 そんな時、ガラリと部屋の障子が開かれる。障子の奥に立っていたのは、息をはあはあと吐き出しながら、大きな鎌を背中に携えている貞光だった。


「はっ...!はっ....!はっ.....!保昌くん....!」


「さ、貞光?!なんでここに....!前線はどうしたんだよ?!」


「敵兵の殆どは雑兵でした。ですので膠着状態を維持するだけなら私が居なくても問題ありません。ただ...洛外の方が心配で....。」


 そう言葉を続けようとする貞光に向かって、父親はヤスに向けていた分の怒りを今度は貞光へと向けて大声を出す。


「貴様っ!!!!武士風情が何の許可も無く我が家屋に侵入だと?!恥を知れ!!!」


「.....無礼は謝罪致します、お父君。ただ緊急事態ゆえ、ご子息のお力を頂戴致したく....。」


「バカも休み休み言え!!コイツが戦力になる訳無かろうが!!!そこらの野武士にさえ劣る愚息だぞ?!しかも洛外だと?!下賎の民どもなど、放っておけばいいだろう!!」


 父親は貞光に向かっても、やはり苛立ちを隠そうとはしない。それどころか、あらん限りの罵声を持って父親は貞光に早く前線へ戻るよう声を荒げる。


 自分へ向けられたあらゆる罵声を、貞光はすんなりと許容した。飛んできた言葉は本当に形容し難い品の無さを誇っており、聞いている全てのものを不快にさせるような発言ばかり。


 武士という職業でさえも、父親は蔑むような言葉で唾棄する。殺す仕事など野蛮そのもの。野蛮人などと交わす口は持たぬ。など、本当に言いたい放題。


 そんな中で、貞光が唯一訂正を求めた言葉があった。彼は顔色ひとつ変えることなく、ただ冷静に事実を通告するかの如く父親へ言い放つ。


「保昌くんは弱くありません。彼の実力は私が認めています。ですからどうか、ご子息の力をお貸ししては頂けないでしょうか。」


 まだ少し青い横頬が残る貞光を見て、ヤスは背中を叩かれた気がした。そうして、ヤスの胸は情けなさでいっぱいになる。


 でもそれ以上に、立たねばと思った。今ここで一歩を踏み出さなければ、自分はもう一生歩み始める事は出来ないのだと、そう直感したのだ。


「.....親父殿。オレ、行くよ。今行かなきゃ多分...オレは一生、クソ根性無し野郎のままだ。」


「何を言ってる?話を聞いてなかったのか?お前のような武士崩れが...!なにかの力になると本気で思ってるのか?!」


 何かの力になんて、なれないのかもしれない。でも、それが一歩目を歩き出さない理由になんてならない。


「オレはさ、初めは本当に...刀を振るのも道楽程度だったんだよ。命も賭けねェで、適当に武士ごっこやってたんだ。そこは...否定できねェ。」


 父親は意味がわからないと言ったふうな顔で。貞光はただ静かに、立ち上がったヤスの言葉に耳を傾けている。


「でもよ、守りたいと思えるもんが出来たんだ。結局、それも他人任せにしちまったけどなァ。そんで空っぽになったオレにも、残ったモンってのがあってなァ....。そいつァ、憧れなんだよ。」


「人のために命張って、誰かのために全力で刀振るってよォ....。オレにはそれが、カッコよく思えちまった。守りたいモンってのは、好きな女じゃなきゃダメか?違うだろ?毎日必死に生きて、明日も生きるはずだった人たちを守るってのも、いいんじゃねェかなって....。そう、思えるようになったんだよ。」


 ヤスは刀を腰に差して、父親に背を向ける。そうして貞光と共に、家から外へと一歩踏み出した。そんな二人に向かって、父親は相も変わらず声を上げるだけ。


「保昌っっっっっ!!!!!戻れっっ!!!そこのお前もっっ!!!戦いが終わったらタダでは済まさぬぞ!!!絶対...絶対打首にしてやる!!!!」


 後方から聞こえてくる声に、貞光は顔を真っ青にして前線まで走る。そんな貞光の横顔を見て、ヤスは走りながら謝罪をした。


「....悪ィ。根性無しなんて言って殴っちまって。貞光は...やっぱ強ェよ。」


「いいんですよ。私が怖がりなのは別に事実ですし....。それと、あれ打首ってマジですか?私...本当に殺されちゃいます?嘘でしょ???」


「流石にそこまでの権力はねェはずだ。もしそうなっても、オレが必死に頭下げて何とかすっから!心配すんなよ!!」


 ヤスがそう言うと、貞光はほっと胸を撫で下ろして呼吸を整える。それから現状の説明を軽く済ませ、ヤスへと指示を飛ばす。


「先程言った通り、こちらは私一人で何とかしてみせます。ですので、保昌くんは洛外をお願いします。頼みましたよ。」


 ほんの一瞬、貞光の視線とヤスの視線が工作する。その目には、確かな信頼と強固な信用があった。


「....あァ、頼まれたッ!」


 ヤスは全速を持って、洛外へと駆ける。そうして前線へと再び立った貞光は、大鎌をブンブン振り回しつつ、状況確認をした。


 大量のもののけの軍勢。そのほとんどが烏合。対する武士たちは洛中に配備されている者どもという事もあって、全員それなりの手練。


 ただし生物としてのスペックも相まって、多少人間側に有利な拮抗状態へと現場は傾いていた。


 そんな中一本の槍を携え、返り血の紅に染まるいかにも強そうなもののけが一匹、貞光の前に立ちはだかる。


「ふひひ...人間の死体.....!もっとたくさん集めさせてください....!」


「これはまた、鬼以外でも随分と趣味の悪いもののけがいたもんですね。」


 ガキンと獲物同士が交わる快音が響き、乱戦の中、貞光と赤蜂(あかばち)が互いに油断ならぬ相手と気を引き締める。

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