『ドーナツに注ぐ』
昔、遊園地に置いていかれたことがある。人だかりに呑まれて親とはぐれたのか、それとも私が駄々をこねたせいで置いていかれたのか。
記憶の細部は分からないけれど、とにかく私は一人で風船を持って、メリーゴーランドの前で泣き続けた。
周りの大人たちはそんな私を見て、すぐに視線を外して足早に駆けていく。多分、他の誰かが助けてあげるだろう。なんて考えていたに違いない。
近寄ってくる、自分より圧倒的に大きな着ぐるみたち。着ぐるみ集団に囲まれた私を、知らんぷりする大人。
怖かった。残暑の厳しい夕暮れ時に、私もあの太陽みたく沈んで消えかけているんじゃないかって、そう思ってしまった。
だって、誰も助けてくれなかったから。私、本当に見えてる?私に気づいてる?私の事、ここに居るって分かってる?
「おかあさん.....おとうさん......どこ......どこ.......。」
泣き続けても、誰も来てくれない。オロオロと、私の周りを数人の着ぐるみたちが取り囲む。
泣いても、泣いても、泣いても。誰も、来てくれない。
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物心着いた時から、漠然とした乾きみたいなものがあったと思う。父さんも母さんも、どっちも共働きで忙しい人たちだったから、私とまともに触れ合える時間なんてなかった。
だから子供の頃、父さんと母さんを見ても家族だなんて中々思えなくて。他人よりは近いけど、家族よりは遠い。
そんな曖昧な関係性のまま、私は歳を重ねていってしまった。そのせいか、小学生の頃の記憶も、中学生の頃の記憶も酷く曖昧で。
後になって、それは起きた出来事を話す相手がいなかったから、記憶が定着しなかったのだと本か何かの知識で知った。
私は致命的に、乾きを抱えて成長してしまったのだと、その時感じた。ぽっかり空いた記憶の穴が、私の大事なものを全部流してしまっているみたいで、少し怖かった。
誰もいないリビングに、机に置かれた千円札とぶっきらぼうなメモ。テレビや人の話で聞く、家族団欒の温かい食事。そんなの、全部嘘だと思ってた。
家庭科の授業中、先生が孤食について黒板に文字を書き連ねる。さも悪いことみたいに、私を否定するみたいに。
私は地味な女の子で、いじめられもしなければ友達だって居ない。そう言う、空気みたいな存在。
そんな私でも、魔法に触れる瞬間があった。眼鏡を取って、肌にビオレの日焼け止めを塗る。すっと、肌に白みが差して綺麗になった気がした。
それからファンデーション。不摂生な食生活が祟ってか、肌荒れが酷くてニキビだらけだった私にとって、誇張なしにこれが魔法に等しい奇跡だったのだ。
パウダーを乗せ、アイシャドウを二重幅まで細かく入れて、涙袋に添えるようなラメ。そしてセザンヌのアイブロウを付け加えたら、マスカラからのアイライナー。
トドメに赤めのチークとハイライト、それからリップを優しく付ければ、鏡の前に立っているのはもはや別人。
空気みたいな私じゃない、クラスにいても持て囃されるような容姿をした別人。私は嬉しくなって、足早に外へ散歩に出かけた。
私の横を通り過ぎる人の視線。向かいの道路で犬の散歩に励む若者。コンビニでおにぎりを吟味していたサラリーマン。
それらの視線がキュッと、吸い寄せられるように私へと向かう。今まで空気だった私に、誰も見向きしなかった地味な私に。
はっきり言って、快感だった。見られることの心地良さ、承認されることの砂糖みたいな甘さ。私は、この魔法を覚えた瞬間から、向けられる視線の虜になっていた。
でも、そんな全能感さえ長くは続いてくれない。私よりも美人な女の人、私よりも可愛い女の子。そんなのありふれてる。
綺麗になって視線を集めようとする度、他の誰かに奪われる。街中でも、学校でも、どこにだって私以上に魅力のある人間が沢山居た。
だから手っ取り早く、承認が欲しかった。まず、最初に始めたのはインターネット。ちょっと胸を寄せた写真を載せれば、すぐに沢山のいいねが集まる。
ただ、それだって上には上がいる。私は次に、パパ活を始めた。お金目的じゃ無かったから、比較的安い金額でおじさんたちから承認を得られた。
初めのうちは茶飯のみだったのが、次第にホテル有りになって。ホテルの中では、私とおじさんの二人きり。向こうが私以外の誰かを見ることなんて、そうそう無かった。
結局それも、数を重ねていくにつれて承認が得られなくなってくる。最終的に、向こうが私に私以外の誰かを重ねて、それと同じく体も重ねている事に気づいて、全てが嫌になった。
ネットもダメ、パパ活もダメ。リスカしてもODしても、あれもこれも全部飽きられてしまう。
どうしたものかと考えた時、まるで天から降って湧いたかのように、私はその場面に遭遇した。
放課後、空き教室の中で、一人の生徒がいじめられている。容姿は醜く、垢抜ける前の私を彷彿とさせるような見た目。
そんな女の子が、通りすがりの私に凄まじい視線を送る。私は、その視線にゾクゾクした。
「やめなよ。その子、可哀想じゃん。」
「は?何?アンタに関係あんの?」
いかにも、いじめっ子ですと言いたげな見た目をした女の子四人組が、私に詰め寄ってくる。私はそんな四人のうちの一人にそっと耳打ちし、その場から撤退させた。
「や〜大変だったね。普段からあんな風にいじめられてるの?大丈夫?」
「うっ....ううううっ....!ありがどう....ありがとう......!」
女の子はヒーローでも見るみたいな目で、私の足元に抱きついてきた。涙目の瞳には、私しか写っていない。脊髄を愛撫された快感とでも言おうか。私はその時、紛れもなく最高の絶頂に到達した。
それからも、私はその子がいじめられてる所を目撃しては助け、目撃しては助けを繰り返した。そうしている内に、その子とは自然に仲良くなっていく。
一緒に遊んだり、家の近くまで帰ったり、私とその子は着実に、友情を育んでいった。
楽しかった思い出が沢山できた。大好きで、一緒にいると心が温かくなるお友達。そういうものが、私にも作れたんだと、そう思わせてくれた。
そうしてある朝、私は早めに学校へと赴く。やる事があったため、日直の仕事みたいに私は黒板に必要な文字を書いていた。
そんな時、ガラガラと教室の扉が空いた。扉の向こうには、今日の日直当番だったあの子。地味目で、いじめられっ子で、私の事を大親友だと思っている、馬鹿な子。
「.......何、それ。」
「あ〜!!見ちゃった?じゃじゃーん!実は〜!今まで黒板に悪口書いてたのも、机に落書きしてたのも、花瓶とか置いちゃったりしてたのも!ぜーんぶ、私でした〜!!!びっくりした?ねぇ、びっくりした〜?」
(見せて見せて!感情ぐっちゃぐちゃになって、縋れるものがなんにも無くなって!大好きだった私が憎しみでいっぱいに変わって、私しか見れなくなっちゃう表情を!!ほら、見せて!!)
プラスの感情方面で承認を貰って、飽きたら一気にドン底に叩き落とし、マイナスの方面でも承認を奪い取る。
完璧な作戦。絶対に想定通りに行くはずの、完成された二毛作。その、はずだったのに。
「......可哀想だね、佳奈。ごめんね、今まで分かってあげられなくて。」
その子は、心底可哀想なものを見るような表情で、私の元から去っていった。私はそれに、肩透かしを喰らったみたいにキョトンとして、しばらくその場から動けなかった。
「は?いやいやいや、意味分かんない。どういうこと?」
向けられたのは憎しみでも、怒りでも無かった。私に与えられたのは、あの空気を見る視線。冴えない私を透過する、無関心の視線。
「ムカつく。マジでムカつくんだけど。」
苛立ちを隠す余裕なんて無かった私は、その後もあの手この手を尽くして、その子の心を折りに行った。でも、終ぞその子が私に無関心以外のの視線を向ける事は無かった。
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春水はその後、流れ続ける胸糞悪い映像に耐えきれず、勢い良く席を立って出口へと向かう。そんな彼を阻む様に、一斉に着ぐるみたちも立ち上がり春水の方を見た。
「ねぇ、あなたなら分かる?どうして最後、あの子は私に怒ったりしなかったの?意味わかんなくない?」
そんなセーラー少女の問いかけに向かって、春水はまるで空気でも見透かすかのように、席に座り続ける少女の顔を一瞥した。
「意味分かんないのはあんただよ。どうかしてるんじゃないのか?」




