映画館内への入場はお早めに
セーラー少女の心臓に突き刺さった矢は確かに、彼女自身の生命を絶命させるに至った。ただ、死の間際。あの最後の刹那、少女は待望の願いを叶える。
誰かに自分を見て欲しい。誰でもいいから、自分の全てを瞳に捉えて欲しい。そんな妄執にも似た願いの行き着く先は、狐による成就の代償。
地面に横たわる少女の傷口から、ぞぶりと血のようなドス黒い液体が溢れる。その液体は地面に染み渡る事無く、彼女の肉体を包んで肥大。
太陽のような輝きとは打って変わって、新月の夜の如き暗闇が少女の肉体を変性させて新たに形作る。
そんな蛹を想起させるドロドロの液体に向かって、季武は変性を阻止しようと何本も矢を射出。
しかし、そんなものは関係ないと言わんばかりにドロドロの液体は流動を止めることは無い。そうして、段々と液体はその形を一つに定め始める。
ぐるぐると回る、ブリキ調の白い馬。弱々しい白熱電球があちこちに灯り、馬に乗っているたくさんの着ぐるみたちをおぞましく照らす。
まるで閉園後の遊園地。そんな寂れたメリーゴーランドの真ん中、回る馬と着ぐるみに囲まれながら、牢獄のように冷たい鉄柵に囚われた少女が一人。
セーラー服を着て、黄色の風船を持ちながら体育座りをしている。その姿はまるで、ふわふわ風に揺れる風船だけが唯一、縋れるものだと言っているようで。
「.....私を見て。私を見て。私を見てよ。置いてかないで、ちゃんと探して、早く見つけて。私を、私を、私を、私を、私を............独りにしないで。」
少女の呟きの後、世界は闇に包まれる。目に眩んでしまいそうな夜が春水と織を覆い、少し離れた遠くにいる季武から二人を断絶させた。
(血界か....!クソっ....見るからに太陽とはまた別の術式...。まだまだここからってわけかよ...!)
だらりと下がった腕をそのままに、春水は古びた鉄音を鳴らすメリーゴーランドを睨みつける。
すると、どこからともなくファンシーで薄汚れた着ぐるみたちが出現。着ぐるみの集団が二人へと向かい、少女を守らんとして襲いかかった。
「.....しゅんすい!頑張ったんだから、ここはお姉ちゃんに任せてっ!しゅんすいがちょっと休むぐらいの時間は、わたしが何とか作る!」
そう言って、織が春水の前に立ち『八束落』を構える。例え、全てが呑み込まれそうになる寄る辺ない暗闇でも、弟の手を引くのが姉であると。
そう叫んでいるように、彼女は黄金の剣を着ぐるみたちへと走らせていく。着ぐるみたち一体一体の技量はそこまで高くない。だが、集団としての総合力には目を見張るものがあった。
連携の取られた緻密な動き。相手を追い詰めるため、集団で距離を詰めていく冷静さ。物量に任せすぎない、考えられた一挙手一投足。
それらを織は全て、完璧に捌き切る。理由なんてただ一つ。弟にかっこいいところを見せたいから。その気持ちこそ、織にとっては万力を引き出す燃料。
突然、自然とは言い難いレベルで跳ね上がった脚力を駆使し、織は凄まじい速度で敵集団を殲滅。切り捨てられてドロドロに解けていく着ぐるみたちを一瞥し、小声で織は感謝を伝えた。
「ありがと、おさかべ。『盛馬千』が無かったらきつかった。」
「そりゃええけど...。何でうちはこんな隠れとるん?普通に出てったらダメなん?」
「おさかべの役目はこれからなの....!でも...バレないようにしゅんすいを回復してあげて....。」
そうこう織と刑部が言葉を交わしている隙に、再び着ぐるみの集団が生み出された。しかし、今度は先刻の集団の数の倍。
織はチラリと後方の春水を確認し、彼の具合を伺った。恐らく、完全回復と行かないまでも戦えるようになる為にはあと数分の休息が必要。
織はそれを把握し、グッと指先に力を込める。そして、時間差をつけラッシュを掛けてくる集団たちに向かい斬り込んで行った。
(奥の手はあくまで奥の手....!使わないならその方が....しゅんすいにとっても幸せなことだから....っ!わたしがその分、踏ん張るっ!)
最初に向かってきたうさぎ型の着ぐるみに刺突を繰り出し、素早く剣を相手から引き抜いて空いた剣で横からの敵に対処。
戦闘不能となりつつも完全に破壊された訳では無いうさぎ型の着ぐるみを盾にして、正面の敵からの攻撃を防いだ。
そんな風に勢いを付けて戦闘の主導権を握り、織は体力の持つ限りアクロバティックに立ち向かう。
対集団戦において、最も悪手なのは動きを止めること。織はそれを実に理解しているため、小柄な体格を活かし下から潜り抜けたり、足元を狙うなどしてちょこまか動き回った。
時間稼ぎとしては十分な働き。ただ、これから先の突破口を見つけるには至らない。織は額に汗を浮かべながら、敵の全体数を確認して更に汗を流す。
(数が減ってない!もしかして....底なしなの...?)
織の予測は、残酷にも大正解を叩き出していた。無尽蔵の着ぐるみ集団、彼らは本体が打倒されない限り、ひたすらに増え続ける。
主人の意志とは関係なく、主人の趣向に沿うことも無く。虚ろな人工の瞳は誰も見つめない。織はそんな無数の冷たさに、思わず背筋をゾッと凍らせた。
織が何とか前線を維持している間、春水は自身の体力回復に勤めていた。疲労で折れかけた腕に気休め程度の休息を与え、熱く火照った脳みそを冷静に回るよう冷やす。
(体はボロボロ...今の僕じゃ、力押しで勝てるような相手じゃないことは分かりきってる。だったら考えろ。今僕にある手札、使えるもの、何がある....何がっ.....!)
そこでふと、春水は自身の懐に入っていた紙切れに気が付く。以前は何の変哲もなかった、よく分からない映画の入場チケット。
それが今、誰かの血界の中に居るからなのか、チケットに刻まれている文字が全く別の文字へと作り変わっていた。
『映画 《ドーナツに注ぐ》 シアター① H-14』
春水はここで、直感的にピンと来た。そうして少しだけ上がるようになった腕で力強くチケットを握り、ふふっと笑顔を作って立ち上がる。
「ほんと、口下手で不器用だな....。でも、助かった。」
思い浮かべるのは悪友の顔。餞別にくれた映画のチケットが、まさかこんなことに使えるなんてと。
そう思いながら、感謝の念と共に春水は翼を生成。戦っている織の頭上を飛び越え、一直線にメリーゴーランドを目指す。
そうしてメリーゴーランドの中心、寂れた牢獄へ向けて、春水はチケットの半券をちぎって叩き付けた。
「【血界侵蝕】『FIGHT CLUB』!!!!!」
叩きつけられた半券は溶けるかのように消滅。一度こっきりの役目を終えたと言わんばかりに、薄暗い空間へと消えていく。
一時的な血界の借り受け。小野の術式を用いられて生み出されたチケットによる、たった一回のレンタル。
それにより血界を上書きし、春水は強制的にメリーゴーランドから少女たちを映画館の中に引き摺り込んだ。
ズラっと並んだ赤い椅子の群れに、席を二つ残して着ぐるみたちが静かに座って映画の上映を待っている。
空いている席はH-14と、それからH-15。ポップコーンをムシャムシャ食べているクマの着ぐるみの隣で、春水は映画の上映を待った。
「...座りなよ。じゃなきゃ、映画が始まらない。」
春水がそう言って、一人廊下で俯く少女に声を掛ける。そんな声掛けでようやく観念したのか、少女は諦めたように着ぐるみの列を越え、春水の隣に頬杖を付いて座った。
すると照明がより一層明るさを落とし、スクリーンに映像が映し出された。全席埋まった映画館の中、たった二つの視線だけが映画を捉える。
着ぐるみたちは目線を合わせているが、どことなく見てはいないような。そんなあやふやな印象を漂わせ、数合わせみたいに椅子を埋め尽くす。
春水はその光景に、僅かな気味の悪さと寂寥感を感じた。そんな異様な雰囲気に包まれながら、映画が上映され始める。少女の生臭い過去を、映し出すために。




