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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・越後編
197/235

大嫌いだった青春映画

 

 柔らかそうな薄赤の椅子が無数に続く、仄暗い空間に二人はいた。足元には緑色の人型が描かれた照明がちらほら散らばり、春水はそれに気をつけながら緩やかな階段を上る。


 そうして椅子の群れの丁度真ん中辺りに、少年は深く腰かけていた。彼は戸惑う春水になど目もくれず、ただじっと正面に広がるだだっ広いスクリーンを頬杖混じりに眺む。


「座れよ。映画館は初めてか?」


 春水はそう言う少年の隣に腰を下ろし、椅子の柔らかさに背中を預けながら、少年と同じ方向を見つめ会話を続ける。


「....そうだね、これが初めてだ。」


「そりゃ、あんな家庭環境じゃな。むしろ、映画館を知ってる方が驚きだぜ。」


「それはまあ色々....って、え?」


 春水は少年の口ぶりに驚愕した。彼の言い方はまるで、春水が過ごしてきた時間を全て覗き見したかのような言い草で。


「この血界に入った時点で、俺とお前の記憶は一心同体。俺の脳内に映画として流し込まれてんだよ。」


 少年は何でもない事かのように、そう言い放つ。そうして最後に、映画館ではお静かに。と言葉を付け足して少年は黙りこくった。


 照明が少しづつ落ちていく。前の方からゆっくり、段々と明かりがその姿を隠す。そうして最後、眩しいくらいのスクリーンだけが残り、白飛びだった画面は一転する。


 静かな空間。真っ暗だけどどこか明るい宇宙みたいだった世界に、初めて音が流れた。それは壮大なオーケストラでも、胸踊るポップな音楽でもなく。ただギシギシと軋む、古い木製の椅子の音だった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夏の風が気持ちいいなんて、嘘だ。じっとりと粘っこい暑さが半袖のTシャツから地肌まで通り込み、汗ばんだ体をとろりと撫でる。


 高校二年生の夏休み、俺は部活でも補習でも無く、生徒指導という名目で毎日学校へと通わされていた。


 やることと言えば反省文と、それから面談。何故こんなことを〜とか、次からどう反省するか〜とか。そう言う下らない話。


 書きかけの反省文を俺は眺めて、その内容を自分でも読んでみる。ものの数秒で吐き気がした。俺はすぐさまそれをくしゃくしゃに丸め、近くのゴミ箱へとホールインワン。


 コツコツと近づいてくるぺたんこ靴の足音に耳を研ぎ澄ましつつ、俺は風に揺れる薄肌色のカーテンを眺め続けた。


「あ〜!反省文進んでないな〜!真面目に反省しないと!夏休み無くなっちゃうよ!」


「....っす。来てたんすか、先生。」


 ぷりぷりとそばかす顔を膨らませながら、ポニーテールを揺らして先生は俺の真正面に用意されていた椅子に座った。


 都会から来た新任の女教師。面倒な不良生徒の指導を押し付けるには、多分格好の相手だったんだろう。


 何の顧問もクラスも受け持っていないくせに、この先生は俺にこうして反省文を書かせるためだけに学校へ来ている。夏休みだと言うのに、ご苦労な事だ。


「全くもう...ちゃっちゃと書き上げればいいのに、無難が一番だよ〜?無難が。」


「いっつも大人はそれっすよね。無難無難、安定安定って。つまんねーっすよそれ。」


「大人になれば嫌でもそうなるの!ほら、小野(おの)くんも大人になれ〜!!」


 そう言って先生は、『反省文のテンプレート』なんて名前の着いた本を俺の方へ沢山投下してきた。


 俺はそれを見て嫌な顔を作り、大きなため息を着いてからシャーペンを握った。と言っても、これで何かを書くことはしない。


 ただ反省文の内容を考えているフリをして、目の前にあるそばかす顔を盗み見る。先生はお世辞にも、可愛いなんて言える顔じゃないけど。


 体は薄くて色気もない。顔はそばかすだらけで綺麗じゃないし、茶髪だってなんか似合ってない。


 いつも同じ黄色のカーディガンを着て、薄手のシャツに透ける白レースのブラ。別に、気になってる訳じゃない。勝手に見えてしまうだけだ。


「...な〜に?あ、こっち見てそんな顔したってダメだからね!同情は無し!ちゃんと文字数書き上げて!」


「....へいへい。」


 先生はパソコンで何かをカタカタ打ち込んでいる。俺は反省文にカリカリ、何でもない文字を書き込んでいる。


 下らない夏休みだと、心底思った。でも、バカみたいに茹だりそうになる部屋で一人で過ごすよりかは、ずっと心地のいい時間だった。


 そうして一日が終わり、先生は少し笑いながら帰っていった。先生はいつも、帰り際に缶コーヒーを一つ買って俺に持たせてくれる。


「無難に生きなよ?中二病拗らせてないで、少しは周りと協調する事を覚えた方が....。って、ごめん。やっぱ今のナシ。」


 先生は、俺がどうして反省文を書くはめになったのか知っている。包み隠さず一言で言えば、結局ただの暴力沙汰なのだ。


 生徒A、B、C、Dを襲撃。四人相手に暴力を振るい、切った貼ったの大立ち回り。俺はただ一人で、特に理由もなく四人を殴り散らかしたらしい。


 この筋書きを、大人たちは信じた。いや、多分疑うのが面倒臭かったのか、大事にしたくなかったのか。


 とにかく俺一人を締め上げて、それで大人は事なきを得た。身体中あちこち痣だらけの俺と、軽い擦り傷だけの四人。怒られたのは、俺だけだった。


 その時どうしようもなく、正義は多数決で決定されるのだと悟った。毎日修正液入りのお弁当を投げつけられる悲しみも、毎朝靴箱に入っている画鋲を取り除くやるせなさも、彼らは知らない。


 知らない方が、きっと正しいのだ。四人を怒るよりも、一人を怒った方が労力が少なくて済む。先生の言う、無難な選択。


 俺が怒られた日。指導を受けることが確定したその日に、先生は転勤してきた。だから、先生がこの学校で初めて見たのは、あのクソみたいな地獄で。


 それだけは本当に、申し訳ないと思う。初めての教育現場で、最初に見るのがこの出来レース裁判なんてどうかしてる。


 でっぷり太った教頭も、ストレスで前髪が後退した担任も、どいつもこいつも頭がおかしくなってるんだ。


 世界中のどこを探しても、俺以外にイカれてないやつは映画の中にしか居ないもんだと思ってた。


 でも、たった一人見つけた。先生だけは、少しだけ俺に優しかったんだ。何かを言ってくれる訳でも、頭を撫でてくれる訳でもなかったけど。


 とにかく、俺の話を聞いてくれた。それが俺は嬉しくて、この人の言うことなら聞いてもいいかなって。そう思えた。


 夏休みのお勤めを終えても俺は帰路につかず、映画館に直行する。映画館と言っても、ここは田舎のど真ん中。


 都会みたいに駅やモールにあるような、だだっ広いシアターがある訳じゃない。あるのはボロボロの、個人の爺さんがやってるレイトショーだけ。


 普段は見るに堪えないポルノ映画を垂れ流してるくせに、誰も来ないレイトショーになるとここの爺さんは趣味を出す。その趣味が堪らなく、俺にドンピシャなのだ。


「ふーん。今日は『リリィシュシュのすべて』か。なっげーんだよなぁ....まあ、今の気分には合ってるか。」


 ガラリと空いた映画館では、俺以外に客はほとんど居ない。嘘みたいに、ここはいっつも貸し切り状態。


 ここにいる時だけ、嫌なことなんて全部忘れちまえる。映画に縛られてる二時間が、俺にとってのタイムリミット。


 それが終われば全部パア。また、つまらない毎日に逆戻り。俺はエンドロールが流れ終わった後、長く座りすぎてバキバキになった体を伸ばして大きな欠伸をする。


 映画も終わり、どうせ俺以外に客など居ないのだから、それぐらいは許されるだろう。そう思った瞬間、俺の肩にトントンと小さな衝撃が二回走った。


「おーい。もう十時は過ぎてるぞ〜。このっ!不良少年めっ!!」


「げっ?!?!?!先生?!?!?!」


「げっ!とはなんじゃい!はーいお説教です!レッツゴー!」


 そう言って先生は、俺の首根っこを掴んでズルズルと映画館を出た。そうして先生が説教を始めようかとした瞬間、俺のお腹がギュルギュルと空腹を訴え始めたのだ。


「......なんか、すいません。」


「はぁ〜!若いっていいねぇ、こんな時間にお腹空いても平気でご飯食べれちゃうんだから!ったく...ほら、行くよ!」


「え?行くって...どこに?」


「ファミレス!!他の子とか他の先生たちには内緒にしてよ?四年通った大学がパアになっちゃうんだから!!」


 いつもの黄色いカーディガンじゃない先生は、何だか先生じゃないみたいだった。いい匂いがする、綺麗で優しい大人。


 映画みたいだと、そう思った。吐き出したくなるほど、甘いのか酸っぱいのか分からない青春映画。大嫌いだったものが目の前にぶちまけられて、俺はただ湧き上がる興奮を抑えるのに必死で。


 退屈が崩れた音がした。その音は、ぺたんこ靴の足音なんかじゃなく、黒いヒールの笑い声。俺は真っ赤な顔を見られたくなくて、そっぽを向きながら言葉を繋いだ。


「先生はエンドロールって、最後まで見ます?」

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