帰郷
聖女との戦いから数日、僕らは小樽で体を休めてから函館へと南下。みんなは結構時間がかかると思ってたみたいだったけど、ハスミがいたから帰りは一瞬だった。
そうして函館に着いてから、僕はヤスから借り受けた紋所を使ってお偉いさん方に面会をしようと試みる。
けれど、なんだか慌ただしい様子で面会は断られてしまった。なんでも、蝦夷の首領が死亡したとか何とか。
それでそのゴタゴタを処理するために、今はそれどころじゃないらしい。僕はそれを聞いて大人しく引き下がり、一旦事後処理は諦めることにした。
その後は函館の港まで移動し、元々蝦夷に上陸した船で、今は本州まで帰るための準備中。食糧の調達や日用品の用意など、出発にもまだ少しの時間がかかるだろう。
と言っても、船旅はあくまで一日二日のもの。そこまで大量の備蓄が必要な訳じゃない。僕たちはハスミにも手伝ってもらい、荷入れを完了。
もう空が暗くなってしまったため、出航は明日の朝ということにして、今日はゆっくり眠りにつくことにした。
随分、蝦夷で長い時間を過ごしたような気がする。だが恐らく、実際にはほんの一ヶ月も経っていないのだろう。
倭国大乱が発生してから、もう時期三ヶ月ぐらいだろうか。未だ本州では、強力なもののけが土地を荒らし占拠している。
(家族のみんなは無事かな...。それに、屋敷のみんなも。)
そんな思いが頭に浮かんで、なんだか僕は眠れなくなった。ただ寝床でじっとしている事も難しかったので、僕は夜風を感じるために甲板へと上がる。
風は冷たく、粉雪が海へと溶けていく。僕は真っ黒な海と、そこに浮かぶ一つの三日月を眺めながら、どこまでも切れ目が分からない水平線をぼーっと見つめた。
(倭国大乱が終わったらどうしようかな。畑とか...僕にできるかな?)
そんな、他愛もないことを考える。でもみんなと畑を耕しながらわいわいやっている所を想像したら、ちょっぴり胸が暖かくなって。
熱を帯びた胸に耳を傾ける。とくとくと、鼓動する心臓の音が心地いい。そうしてそれに混じる、パチパチと微かに聞こえてくる焚き火の音。
僕はその焚き火の在処を確かめるために、音のする方へと足を運ぶ。すると、船から降りた港の方で、ハスミが一人焚き火をしていた。
「....春水。なーに起きてんすか〜?明日が出航なんすよ?寝坊したら、優晏とかに怒られちゃうっすね〜。」
ケタケタと笑いながら、ハスミはいつものニヤケ面を崩さない。しかし、僕に気づくまでの彼女が酷く物憂げな表情をしていたことを、僕は見てしまっている。
「ちゃんと起きるよ....多分.....?それで、ハスミはどうしたの。眠れなかった?」
僕の真剣な眼差しに、ハスミはどうやら観念したらしい。聖女を倒してからというもの、僕たちとハスミは何だかんだ、なあなあでやってきた。
お互い一歩も踏み込めないまま、何となくで帰路の旅路を続けて。そうして明日に別れを控えてようやく、こうして僕たちは向かい合っている。
「......帰る場所、私にはもう無いんすね。」
揺れる炎を一点に見つめ、自嘲気味に軽く微笑むハスミ。きっと彼女は、心の置き場が分からないのだ。
故郷を奪った聖女は、もう居ない。残ったのは、たった一人の自分だけ。家族も故郷も失って、復讐さえも終わってしまった彼女。
「幸せにならなきゃいけない....。それはちょっとだけ、分かったような気がしたっす。それは、春水が教えてくれたっすから。」
幸福は、残された者の義務だ。繋がれたのなら、生かされたのなら尚更幸せを追い求めなきゃいけない。
死んだ人たちが、間違ってなかったって証明できるのは、生きている僕らだけだから。
ハスミは炎から視線を外し、僕の目をきちんと見た。瞳の奥は空っぽで、揺れる緋色が映り込んでいる。
「じゃあさ、一緒に来たら?行くあても無いんでしょ?」
思いつきのようで、その実僕もずっと考えていた事だった。このまま寄る辺もないハスミを一人蝦夷に残していくことが、本当にいい事なのかって。
ハスミは嬉しそうな表情を一瞬だけ作って、でもすぐに下を向いた。それからやっぱり嬉しそうな顔をして、ハスミは口を開く。
「...誘ってくれたのは嬉しいっす。でも、それは春水一人で決められることじゃないっすよ。準備だって、もう終わっちゃってるんす。だから....言葉と気持ちだけで、十分なんすよ。」
僕はそんなハスミの言葉に言い返そうとして、結局何も言えなかった。そこには確かに、ハスミなりの思いやりがあって、それを包み込んで否定する言葉を、僕は一つだって持っていなかった。
「そっか.....。じゃあ、明日でお別れか。寂しくなるね。」
「ははっ!女の子沢山に囲まれといてな〜に言ってんすか!ほらほら、何時までもここにいたら明日起きれないんすから!!もう行った行った!湿っぽいのはナシっすよ〜!」
「....うん、そうだね。それじゃあ、また明日!ハスミ!」
そう言って僕は下手な作り笑いをして、なんとか船の寝床まで戻った。そうして結局眠れないまま朝が来て、僕らは出航の手筈を整える。
「ねえねえ、しゅんすい?はすみは連れていかないの?」
織がくいっと僕の服の裾を掴み、上目遣いでそう尋ねてくる。僕がその問いに複雑な表情を作りながら答えるのに戸惑っていると、横から刑部が口を挟んできた。
「ん〜?ハスミちゃんもちゃあんと連れてくよぉ。ご主人様、女たらしやから。」
「いや...ハスミは....。」
と僕が否定の言葉を述べようとしたところで、優晏とかぐやが横を通り過ぎる。そうして僕らの会話を聞いていたのか、優晏は何でもないような顔をして呟く。
「え?普通にハスミの分の食糧も積んじゃったわよ?ねえ、かぐや。」
「はい。ハスミさんが居なきゃ帰りはもっと時間がかかってたでしょうし...乗っていくんじゃないんですか?」
僕はそれを聞いた瞬間、船を飛び出して港へと着地。ハスミを両腕に抱え、空を飛びつつ再び船へと戻る。
「ちょっ...?!春水?!何やってんすか!」
「ハスミの分の準備もしてあるってさ!だから、一緒に行こうよ!ハスミ!!」
ハスミは軽く頬を赤らめて、恥ずかしさを誤魔化しているのかジタバタと暴れる。僕はそれを意にも介さず、翼をはためかせ風を切る。
僕は戸惑うハスミを優しく甲板へと下ろし、全員が揃っているかを確認。そうして確認が終わった後、港に付けていた船を出港させた。
「....もう、強引すぎるっすよ。でも.......ありがとうっす。」
誰にも聞こえない呟きは、船出の音に掻き消されていった。ハスミは自分の腕にまだ残っている春水の温もりを感じながら、遠くの無くなった故郷を思う。
(みんな....。私、まだそっちには行けないっす。でも、その分沢山の土産話を作ってくるっすから、どうか....どうか待っててね。)
青空は深く、海は朝日を反射してどこまでも届かない光を走らせる。キラキラと駆ける朝日の欠片、それらをいっぱい抱きしめて、海は飛沫を上げている。
ハスミはスッキリとした気持ちで、昔のように屈託なく笑う。本当に、罪悪感なんかに囚われるよりもずっと前みたいに。
「春水。それで、これからどこに向かうの?」
「ん〜.....。真っ直ぐ越後に行ってもいいんだけど、一回実家に帰りたいかも。中継地点として、休憩も挟みたいしね。」
全員が春水の意見に賛成し、彼ら一行は本州を目指す。海を裂き、鮮やかな朝日に照らされて。彼らは少しづつ、胸に色々なものを溜め込んで進んでいく。




