堕ちた聖女に賛美歌を(五)
春水は空を舞い、残り四本の腕を破壊するため聖女へと接近した。隠しダネも小細工も、もはや彼の手には残っていない。
あるのは完全なエゴ。絶望の淵に立たされている少女に、遥か遠くの古い水面に映っている自分に。人の体温の温かさを教えるため。
春水は力一杯拳を振りかぶって、聖女の腕目掛けてパンチを繰り出した。しかし、聖女はその攻撃を素手で掴んで受止め、そのまま技を発動。
「פַּחַד」
聖女の別の腕に巨大な十字架が生成され、拘束している春水目掛けてその十字架を全力で叩きつける。
「がっ......!!」
骨の折れる鈍い音がバキッと響き、春水は地面へと叩きつけられるように急速落下する。それを目撃した優晏はカーブ状の氷の滑り台を作り、落下してきた春水を滑らせて再び空へ打ち上げた。
そうして、落下する勢いが弱まった春水を花丸が優しくキャッチ。何とか二次被害を抑えつつ、春水を回収することに成功する。
「春水!!!!酷い....肋が外に出ちゃってるじゃない.....。こんなの....戦える状態じゃない。」
「同感です。刑部様。手当の後、我が王を海岸までお願いします。後は私たちで、あの怪物を処理しますので。」
春水が壁になってくれたのか、無傷だった刑部はそれに頷き、慌てて『美園』を発動しようとした。だが、異形の聖女はそれを許さない。
「שתיקה」
いつまで経っても、刑部の腕から治癒の光が春水を温めることは無い。春水は浅い息をしたまま、薄らと目を開けて人間態となった刑部の抱擁から脱する。
「.......まだ、止まれない。」
一抹の不安、その正体。それは春水自身が無意識のうちに感じていた、肉体のオーバーワーク。
騎士との戦いを超え、聖女との死闘をくぐり抜け、この場に立っている春水は誰よりも連戦を続けている。
休憩を挟む暇も無く、傷ついたダメージは治癒術で騙し騙しやってきたものの、疲労までは誤魔化しが効かない。
蓄積した疲労が判断を鈍らせ、反射速度を落とし、膂力の低下を招いた。その結果、今の彼はダメージと疲労が相まって瀕死の重体。
折れた肋はほんの少し、腹から体外にかけてその白い顔を覗かせている。出血は止まらず、絶えず滝のようにドブドブと流失。
春水はそれを何とか風の力で無理やり循環させ、出血死だけは免れようと強引に血を引き止めた。
「止まれないって....!バカ言わないで!自分が戦える状態じゃないことなんて、春水が一番よく分かってるはずでしょ?!」
優晏は春水の前に立ち塞がり、その進路を妨害しようとする。ただ、春水はそれでも止まらず優晏の肩にポンと手を置く。
「言ったんだよ.....。僕が格好つけて、生きろって。幸せになれって。だから.....ここで意地を張らなきゃ......僕は漢じゃない.......!」
春水はずっと、誰かの背中を追ってきた。屋敷の人たち然り、シャコ・マーン然り。その誰もがみんな、格好つけて命を張れる漢たちだった。
だから、彼も負けじと意地を張る。歯を食いしばって、痛みなんか関係ないんだって笑い飛ばしてやる。それが、彼の尊敬する漢の在り方。
優晏はその返答に複雑な表情をして、それから少しの時間が経ったあと、彼女は春水の患部を凍結させた。それから氷の刀を彼に手渡し、ぎゅっと思いっきり抱きしめる。
「..........死なないで。」
「うん、勿論....!」
患部を凍結されたことで、春水は風を無駄なく使用できるようになった。それから氷の刀を右手に握り締め、彼は聖女を睨む。
「我が王。私からも貴方へ.....。私は、貴方の勝利を信じています。」
「花丸...いつも迷惑掛けるね。」
「いいえ、それこそ。私の至上の喜びです。」
そう言って花丸は、春水の背中に触れて影を纏わせる。擬似的な影の『魔纏狼』は春水の体に良く馴染み、『魔纏狼』本来の性能を引き出した。
ボロボロながらも何とか体勢を整えた春水に、最後刑部が背中を叩く。そうしてそれと同時に、刑部は『盛馬千』と『望都真地』を発動。
春水の脚力と防御力を底上げしつつ、軽く背中を押すような激励の言葉をたった一言だけ送った。
「頑張れ、ご主人様っ!」
「あぁ、頑張るっ!!!!!!」
翼を出せるほどの体力はもう無い。春水は強化された脚力で地面の氷を踏み割って、風で更に勢いを加速。
氷の刀を構え、巨大な十字架へと向かわせる。一方聖女は十字架を大きく振りかぶり、巨体と膂力から生まれる絶大なパワーのままに春水を打ち据えた。
春水はそんな十字架を氷の刀で受止めて、そのまま宙に滞空し続ける。ギリギリと十字架と刀がぶつかる鈍い音が木霊し、力が拮抗しているのかお互い一向にその勢いは強まらない。
膂力も、大きさも。あらゆるスペックで春水は聖女に敗北している。今こうして力で拮抗できているのが不思議な程に、彼に勝ち目などありはしないはずだった。
薄氷の刀、贋作の鎧、付け焼き刃程度の些細な能力向上。どれもが頼りなく、どれもが聖女に敵う代物なんかでは間違ってもない。
けれど、春水は心の底からこれらを信じていた。この刀が今世界最強で、この鎧が世界最硬で、この能力向上こそ世界至上のものであると。
ただ一言、格好つけた意地。たった一人の少女のために、立ち上がったに過ぎない自分を。優晏は、花丸は、刑部は。そんな彼に力を貸してくれた。
(ここで勝つ!!!!!負けない.....負けられない!!!!!!!!!)
最後の最後で、馬鹿みたいな根性論。それでも、大事なものを一つ一つかき集め、取り零すことなく勝ちの要素を拾っていった春水。
あと一歩の所まで、春水は聖女と張り合った。だが、想いの力だけでは越えられない壁がある。結局、春水は力負けにより少しづつ押されていった。
春水の敗北。彼はどうしようもなく、異形と成り果てた聖女に敗北した。そう、春水単体としては、紛れもない惨敗。
「刑部っ!上にとにかく氷出して!!!ほら!!早く!!!!!!」
「.....!分かったわ。よっしゃ、まだまだ足りひんご主人様のために、うちらが一肌脱いだろか!」
刑部は大量に分身を生み出し、聖女の頭上にかけて劇的に温度の下がった空気を発生させた。そうして優晏は、足場となっている氷を溶かす程の熱を海面に生成。
その状況が起こす現象は、上昇気流。急激に生み出された二つの空気は勢いを孕み、上向きの風を創り出す。
春水にとっては追い風、聖女にとっては向かい風。春水はそんな風に助けられ、押されていた盤面を逆に押し返した。
(格好...つけられなかったなぁ。でも、僕だけの勝ちじゃない。みんなの勝ちっていうのは、悪くない。)
春水は口角を上げて、刀を用いて十字架を押し返した。その勢いで十字架は真っ二つに斬れ、止まらない勢いは十字架を持っている腕まで切り落とす。
(みんなで繋いだ一本!だからあとは、僕の意地で持っていく!!)
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
空に打ち上げられ、腕を一本切断した後の自由落下。春水はその落下中に体を捩り、無理やりまだ残っている腕目掛けて着陸。
重力と勢いに全てを任せ、刀を走らせる。刀はぞぶりと腕に喰い込んでいき、半分ほどまで進んだと同時に粉々に破砕してしまった。
惜しくも急造の刀では、聖女の腕を二本切り落とすことが叶わなかった。でも、春水の目はまだ諦めていない。
刀が破砕したタイミングで、春水は刀を支点に回転斬りのごとく一回転。聖女の腕に着地し、刀で作った切れ込み目掛けて連撃を叩き込む。
「折れろ....折れろっ...!!!!折れろおおおおおおおおおお!!!!!!!」
グシャッと不快な音が鳴り、誰もが聖女の腕に注目する。あろうことか、聖女は自分の腕が折られる寸前で、一転攻勢に出た。
聖女は折られそうになっている腕で春水を思いっきり握り締め、海へと投擲する。攻撃は最大の防御。聖女はすんでのところで腕の破壊を免れ、春水を離すことに成功。
したかに思えた。聖女は春水を投擲した瞬間、自分の腕がブチリと千切られたことに気が付く。
「はっ....!あんまり舐めんな....!!」
春水は投擲される刹那、聖女の手のひらが開いた途端に彼は指へ絡みつき、全身全霊を掛けてその指を引っ張った。
ギリギリまでダメージを受けていた腕はその衝撃で見事に千切れ、聖女は腕を二本残してその他全ての腕を失う。
そうして海に投げ出された春水は、水面に波紋を立てながら海の中へと沈みこんでいく。そうして、予め待機していた花丸が春水を回収。二人は水面から顔を出し、したり顔で聖女の虚ろな髑髏を見つめた。
「あとは大詰め.....。いよいよトドメを刺してやる.....!」




