堕ちた聖女に賛美歌を(一)
知っている、その痛みを。二度と会うことの出来ない寂しさも、段々と記憶さえ朧気になっていく悲しさも。
春水は、その全てを知っている。そうして、その冷たい過去が未来の幸せで上書きできないことも。
未来で幸せになれたとしても、その温みが余計に過去の冷たさを浮き彫りにしてしまう。だから春水の言葉が綺麗事だなんて、そんなのは本人が一番よく分かっている。
だから、だからこそ。彼は少女のために立ち向かう。家族を失ったとしても、自分の人生は続いていく。
自分の人生の先には、また別の家族が生まれていくのだと。失ったものは取り返せないけれど、失って手に入れてを繰り返して進んでいくしかないのだと。
綺麗事だけでは直視できない現実を見据えながらも、彼は綺麗事を突き通す。だって、そうじゃなきゃ報われないから。
春水の周りには続々と、彼の家族たちが集まってくる。そうして少しの時間が経った後、春水とハスミを含めた計八人のメンバーが全員揃った。
「ごめん。みんなもうクタクタだと思うけど、最後にもう一回だけ力を貸して欲しい。これが正真正銘、蝦夷での最後の戦いになる。」
春水はルルイエで体験した聖女の大まかな概要を各メンバーに伝え、その聖女がこれから海の中から出現するであろう事も伝達する。
「ぶっちゃけたところ、うちらは花丸ちゃん以外ほとんど疲弊はしてへんのよぉ。だから体力的に考えるなら、優晏ちゃんと花丸ちゃんはちょっと休んどいた方がええんちゃう?」
「.....確かに先の戦闘により受けた損傷で、本調子とは言いづらい。我が王、不甲斐ない私をお許しください。」
「私も....まだ若干ふらつくわ。だから、少しだけ休憩を取らせて。すぐに復帰するから。」
春水は二人の頭をポンポンと撫でて、労いの言葉と共に両腕で一人づつ抱擁を交わす。それからゆっくり二人が休めるよう彼女らを後方に控えさせ、その他にもハスミとかぐやを下がらせた。
前線に出たメンバーは、春水と刑部、それに織と絹の四人。彼らは少しづつ揺れが大きくなっていく水面を見つめ、深海からせり上がってくる巨大な化け物へと視線を移す。
「....とにかくデカいって言ってたけど、これは...桁が違いすぎるんとちゃうん?」
「でっかい!でも、まけられないもんね!!」
「ん....。大きさだけじゃ、勝負は決まらない。」
深海から這い上がる巨体。胡乱な髑髏の眼窩に潜む奥の空洞が、小さな四つの影を視認。巨体が持つ十の腕のうち一つを指揮棒のように揺らし、言葉をポツリと唱える。
「שִׁחְרוּר」
ラッパの音がどこからともなく響き、天からいくつもの真っ白な閃光が降り注いだ。織はその攻撃を絹に乗って宙を舞うことで回避、春水も風と翼で空を飛行して閃光を避ける。
「東の豊穣十一番、『豊妃螺硬鉛』!」
一方、刑部は鉛の盾を生み出して光の筋をガード。攻撃を受け止めようとしたが、その光の違和感に気づきすぐさま身を捩って回避へと務めた。
「っ....!あの光に触れたらあかんよ!!訳が分からへんけど、問答無用で塩にされる!!」
刑部がガード用に貼った防壁は、天から降り注ぐ閃光を浴びた瞬間にただの塩と化した。しかも、触れた部分だけが塩になるのではなく、全体に伝播していくかのように防壁は崩れ落ちる。
光は雨のように空から落下してくるものの、射程はそこまで長くないのか、後方に控えている優晏たちまでは届かない。
されど滞空手段を持っている春水や絹、それから軽量で絹に乗せてもらえる織とは違い、刑部は海上での回避にやや難がある。
そこに防御不能のこの攻撃。この盤面では回避に難がある刑部に、異形と堕ちた聖女は嫌らしくも狙いを定めた。
「ちょっ...?!集中砲火とか聞いてないんやけ...どっ!!」
刑部は空気中に盾をやたらめったら生成し、それを足場とすることでいくつかのレーザーを回避。相手の注意を引くことで、春水たちがフリーになれる状況を作り出す。
(にしてもこの量....捌ききれへん...!結構しんどいけど、賭けに出るしかないなぁ....!)
刑部が捌き切れなかった分の光が一筋、刑部へと直撃。閃光が彼女を呑み込んでいき、中に包まれてしまったせいで内部に居る刑部の安否が不明瞭となった。
そんな光景を見て、織と絹は大いに焦る。彼女らは額に冷や汗を浮かべつつ、まさかと言った表情で絶叫を上げた。
「おさかべっ!!!!!!しゅんすい....!!おさかべが!!!!!」
春水はそんな織の悲鳴にも動じることなく、飄々と聖女へ向かっていく。そうして光の筋が晴れた後、初めから全て分かっていたかのようにニヤッと笑う。
「織ちゃん〜!うちはここにおるよぉ〜。心配してくれてありがとうなぁ。」
春水の胸元から、狸形態となった本体の刑部が服を掻い潜ってポンと顔を出した。それから春水は刑部に、閃光の攻撃の詳細について尋ねる。
「それで...どうだった?結界でも防げないっぽい?」
「うん、少なくとも十四番の『覆隅』じゃ貫通されてまったわ。防御無視して貫通、そっから触れたもの全部を塩にしていくって感じかなぁ。」
分体である刑部に閃光が集中したおかげで、攻撃の波が落ち着く。それからゆらゆらと揺らしていた一本の腕の動きが止まり、心無しか少し枯れたように萎んだ。
(閃光が来ない...。なるほど、一定時間を過ぎたらクールタイムってわけね。)
攻撃の規模と性能、それから相手の力量までを勘定に入れ、春水はおおまかなクールタイムの目星をつける。
そうして一旦はあの閃光が来ないだろうと予測し、攻撃が止んでいる今のうちにと春水は距離を詰めた。
「אֱמוּנָה」
すると今度は萎んだ腕とはまた別の腕が動かされ、その腕に極大の肉切り包丁が出現。異形の聖女は腕を振り上げ、肉切り包丁を春水目掛けて向かわせる。
春水はその大振りの一撃を難なく回避。しかし、巨体から放たれる驚異的な一撃は空を割き、風圧だけで春水を軽く吹き飛ばす。
「なんてパワーだよ....!でも、力押しなだけってんなら怖くは.......?」
「どうしたん、ご主人様?治癒欲しいん?」
「いや...そういう訳じゃないんだけど....。違和感?がある。」
春水は空中を飛び回りながら違和感の正体について考え、手をグーパーさせて自分の体の不和を訝しむ。
「春水....。そろそろこっちの攻撃圏内。攻めてもいい?」
「分かった...。よっし、合わせるからちょっと待ってね。
『魔纏狼・纏身憑夜鬽・改』。」
春水はそう呟いて、手馴れた操作で全身に力を巡らせた。しかし、春水はいつまで経っても生身のまま宙を迂回し続ける。
春水はそれから二、三度『魔纏狼』を発動しようとしたが、そのどれもが失敗に終わった。
そうしてそこでようやく、彼は違和感の正体に気づく。それは、魂の縛りと言っても差し支えない不快感。
長らく春水の魂に付属していた、大口真神の術式。それからついでに後付けされた、天津甕星の権能。そのどちらもが使用不可となっている。
(術式を使えなくさせる能力か....!厄介にも程がある....!!)
「術式が使えないっ!!一旦距離を取ってやり過ごした方がいいかも!!」
「....ん、ボクは使える。」
「わたしもつかえるみたい...。なんで?」
「うちも使えとるわぁ。...ご主人様だけが使えないん?」
春水以外のメンバーは何の問題もなく、術式を発動することが出来ている。この場において、一部の術式が使用不可となっているのは春水のみ。
「春水...翼ある。だから...術式が使えなくなったわけじゃ...多分ない。」
春水は自らの背後を確認し、きちんと翼が残っていることを把握した。それから彼は自身の使用可能な能力を確認するため、風をほんの少しだけ起こそうとする。
「...風もダメだ。それに、翼って言っても
『大鵬金翅・迦楼羅焔』は使えない....。できるのはせいぜい、出力の低い『神足通』だけ...。」
春水は現時点で、『大鵬金翅・迦楼羅焔』の前身である『神足通』以外の使用が不可能となる。
つまり、今の春水はスペック的に見れば、屋敷以前の彼と何ら変わらない。いいや、ともすればそれよりも低い性能しか持たない弱小へと成り果てた。
額に冷や汗を浮かべ、春水は自身がどうしようもない逆境に立たされてしまったことを悟る。
「......でも、負けられない。」




