大縄迷宮(四)
傷もすっかり癒え、このVIP空間も大方堪能し尽くした頃、僕達は次の階層に向かうことにした。刑部が言うには、ここの迷宮は全部で五階層しかないらしく、案外想定よりも早く帰れそうだなと思った。
「おいおい、あんまナメてっと痛い目見るぜ?次の階層のヤツは性格最悪のクソ野郎だからな、せいぜい気をつけな。」
相も変わらず、案内役として僕たちを先導してくれるのはヒッキョー・マウスだった。彼とは僕が療養中の間はずっと行動を共にしており、それなりに仲良くなっていた。
あるとき、酒の席で彼がチャンプと決闘したという話を聞いて胸が踊った。彼もまた、チャンプとまでは行かずとも漢であったのだ。僕と彼は漢同士、熱い抱擁を交わして急激に距離を縮めた。
他にも、チャンプの日記以外の小話やら色々な話を聞いた。特に興味を惹かれたのが、チャンプが外国に行き武者修行をしている時に見たという銃という武器だ。
前世の知識で概要ぐらいは分かるが、製法や材料などは全く知らないためしばらくは僕に関係の無いことだろう。そんなことを思っていたら、いつの間にか次の階層への扉の前にもう来てしまっていた。
「ありがとう、ヒッキョー。随分と世話になったよ。」
「へへっ、むず痒ぇよ兄弟。....達者でな。」
ぐっと力強い握手を交わす。なにか思うところがあるのか、ヒッキョー・マウスは歯切れ悪く別れの言葉を投げかける。おそらく次の階層のことだろう。彼も彼なりに僕を心配してくれているのだ。
短い時間だったが、それでも友情を育めたのには変わりない。僕はそんな彼のお節介な部分が嫌いじゃなかった。ただ、漢と漢の別れにこれ以上言葉はいらない。僕は彼に背を向け、扉に手をかける。
「ネズミの人!色々ありがとうね、じゃあまた!」
「随分お世話になったわぁ。ありがとうなぁ、ネズミの人。」
「ヒッキョー・マウスだ!嬢ちゃんたち、いい加減覚えてくれよ...。」
気が抜けるような彼の情けない声を聞かなかったことにして、僕達はこの次の階層へと繋がる扉を開いた。
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夏の畦道。ミンミンとセミがうるさい茹だるような暑さの中、僕は一人で虫取り網を持って立っていた。
何かがおかしい。そんな違和感を覚えつつも、それがなんなのか分からないまま時間が過ぎていく。辺りには、見渡す限り満開のひまわり畑と田んぼ。懐かしいような、初めて見るような。そんな光景をただぺたぺたと進んでいく。
「冬雪〜!冬雪〜!もう!こんなところにいた。帰るわよ、今日冬雪の好きなカレーなんだから。」
懐かしい声に、懐かしい名前につい振り返ってしまう。聞き覚えがある、記憶の奥底に澱のように残っていた、まだ優しかった頃の記憶。
振り返った先には、前世の母が白いワンピースを着て立っていた。僕はそれを見て、叫び出したいほど懐かしかった。
「うん......うん。帰ろう、お母さん。」
お母さんに手を引かれて、家まで帰った。家には、写真でしか見た事のないおじいちゃんとおばあちゃんがいて、これまた優しい顔で僕に採れたてのスイカを切って渡してくれた。
「冬ちゃんはいい子だからねぇ、いっぱい食べるんだよ。」
「そうだぞ冬雪、明日はおじいちゃんの畑の手伝いもしてもらうからな!」
おじいちゃんが腕をまくり、まだまだ現役だと言わんばかりに力こぶを浮き出させる。それにお母さんが笑って、おばあちゃんが諌める。暖かい食卓が、そこにはあった。
そうして寝る前、布団に入った後でお母さんが話しかけてきた。
「冬雪、ここの家のこと好き?」
お母さんはか弱く、細い糸のような声で僕に語りかけてきた。僕はもちろんと頷き、お母さんに笑いかけてみせる。お母さんは安心したように、ほっと胸を撫で下ろして続けた。
「お父さんから逃げてきて、こんな田舎に越したのはいいけど。やっぱり春人は、お父さん...欲しいよね。」
寝ている僕のお腹をぽんぽんと優しく叩きながら、お母さんはそのまましばらく喋らなくなった。言葉を懸命に探しているような、どう伝えればいいか迷っているような、そんな沈黙だった。
「大丈夫、お母さんがいれば。僕はそれだけでうれしい。だから、そんな顔しないで、お母さん。」
ぽたぽたと、大粒の涙が僕の顔にかかる。そうだ、思い出した。お母さんはお父さんと喧嘩したあと、沢山殴られたんだっけ。だから僕を連れてお母さんの両親がいるこんな田舎まで逃げてきたんだった。
急に記憶が思い出される。なぜこんなことを忘れてしまっていたのだろうか、だが今はそんなことはどうでもいい。僕はお母さんの涙を拭い、手を握る。
するとお母さんは強く自分の頬を叩き、力を込めて僕を抱きしめた。母親として、なにか決意みたいなものが生まれたのだろう。
「うん、お母さん大丈夫だから。もう心配なんてさせないから、だからね冬雪。ずっと一緒にここで暮らそうね。」
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扉を開けた瞬間、春水と刑部が急に倒れ込んだ。私だけは何故か平気だったようで、必死に倒れた二人に声をかけ続ける。返事は無い、ただ死んでいる訳でもなさそうだったので一度引き返そうと試みる。
しかし、後ろの扉はもう開かなかった。代わりに、前からコツコツと足音が聞こえてくる。刀を抜き、私が二人を守るのだと決心する。
「あらららら〜ん?貴女、私の『記憶廻廊』から逃れるなんてやるじゃな〜いん!まぁ、どっちにしろここで死ぬんだけど!げひゃひゃひゃひゃひゃ!」
声の主は、女の格好をしているだけの小太りで汚い老人だった。その老人オカマは背中から蛇腹剣を抜き、こちらに向けた。
「キモオカマ、早くこの二人を解放して。そしたら殺さないでおいてあげるから。」
そんな私の言葉に、オカマは不敵に笑った。気持ちの悪いにちゃっとした音を響かせ、唾を飛ばしながらわざとらしく口を開く。
「ぬゎ〜にを言っちゃってんの〜んこの小娘チャンは!お前は今から死ぬんだよ。ここで、無様にね!」
蛇のような刀身が私に飛びかかってくる。それを刀で弾き、伸びきって反撃できなくなった隙をつこうとする。しかし、弾いたはずの刀身が急激に軌道を変え、私の頬を掠めた。
ギリギリ回避が間に合ったからいいものの、頬から流れる血は私に確実な焦りを覚えさせた。その時、ハッと気づき急いで傷跡を術式で凍結させる。
オカマは舌打ちをして、完全に手元に戻った蛇腹剣で再び追撃を開始する。私は距離を取りつつ、ある程度伸びきってこれ以上の変動ができない攻撃だけを弾く。
(剣に毒が塗ってある!このオカマ、どこまでも嫌らしい!)
幸い、この階層も広々としていたため退路の確保には事欠かなかった。受けるのではなく回避を積極的に選択し、反撃の機会を狙い続ける。
「そんなに逃げちゃっていいのぉ〜ん?お仲間ちゃんたちが死んじゃうわ〜ん???」
オカマが春水の無防備な顔を踏みつける。恍惚とした醜い表情を携えて、舌なめずりをしている姿が気色悪い。私は怒りでどうにかなってしまいそうだった。
必ず殺す。そう心に誓い、掌をオカマへと向ける。オカマの周りに蕾が多数出現し、花を芽吹かせようとした。
しかし、オカマはそれら全てを器用になぎ払い、攻撃を無効化した。私はそれに眉を顰めつつも、諦めず追撃へと打って出る。
(たとえ攻撃を無効化しようと、私の術を捌くのに一工程分の動きが確実に発生する。その防御に徹した一瞬のタイミング、ここだ!)
私はVIP空間でこっそり貯めておいた熱量を矢に変換し発射させる。VIP空間には大きな調理場やお風呂場など、熱を集めるのに困らない場所だった。そのため、熱の貯蔵量は上限まで溜まっている。たとえこれを耐えられたとしても、物量で押し切れる。そう確信していた。
しかし、矢は空を切り、ついぞオカマに当たることは無かった。私は混乱していた。確実に捉えたはずのオカマの姿が、霧のように霧散してしまったからだ。
「『記憶廻廊』の能力は至って単純♡本人の記憶を元にして幻覚の世界に閉じ込めるのぉ〜ん。術がかかる条件は空気感染だから、貴女にもかかったはず。察するに、記憶が無いのねぇん!でも安心して、幻覚の世界には行けないけどぉん、幻覚を見せることだけならできちゃうからァ!」
そう言うオカマの姿は、いつの間にか三人に増えていた。三本の刀身が私に向かい、どれが本物か区別がつかない。
仕方ないので全てを避けようと試みるも、後方からもう一本の刀身が伸びていたらしく、私は大きく肩を切り裂かれた。
「素直ねぇん!でもでもぉ♡見えているものだけが真実とは限らないのよぉ!私の足を舐めなさい。そうしたらァ、『殺さないでおいてあげるから』!げっっひいいいひひひひひひひっ!ふっあひゃひゃはははははは!」
肩を凍結させ、必死に体制を立て直す。絶対に負けられない。二人を失いたくない。そんな思いだけで、心を奮い立たせる。
「素敵な言葉をありがとう。その台詞、あなたの墓に刻んでおいてあげるわ。」
「減らず口もキュート!決めたァ〜ん!貴女は私の性奴隷にするわァ〜!!!ぐっちゃぐちゃのボロ雑巾になってから謝ったって、許して上げないからね〜ん!」
剣戟の火花が散る。舌戦を終え、お互いの命を奪い合戦いが再び始まった。




