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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・蝦夷編
168/235

娼婦と救世主

本小説はあくまでフィクションです。

 

 もう、三千年も前の話。腐臭とゴミの残骸が跋扈する掃き溜めにも似たスラムに、私は孤児として生まれた。


 物心着いた時には既に両親はいなかったし、もちろん助けてくれる人なんかもいなかった。ボロクズみたいな街、ボロクズみたいな私。


 でも幸い、どんなに救いが無くなって私にはたった一つの武器がある。スラム生まれスラム育ち、教養もお家もなんにも無い女の子が生きていくために売るもの。


 まず、お腹を満たすためにパンを盗む。それで捕まらなかったら良し。もしも捕まってしまったら、小さな少女の身でオネダリをする。


 汗臭い匂い。下衆な吐息。髭面の汚らしい唇。どれも吐き気のするものばかりだったけれど、生きていくためには仕方がなかった。


 春を鬻ぐなんてお上品なものじゃない。生きるため、食いつなぐためだけに、股を開く。


 血が出ちゃって自分が売り物にならないから、ご飯がどうしても食べられない時期。私は毎晩鳴るお腹を殴って痛めつけて、無理やり血を止めていた。


 そんなことをしているうちに、いつしか血はもう出なくなった。今になって思えば酷く悲しい事柄だが、当時の私からすればこれが本当にありがたくて。


 月に三日も四日も体を売れないなんて、それこそ死活問題だった。私はそうやって生きていくうちに、何となく賢い生き方というのを見出した。


 息を吸うように、男とまぐわう。すると成長する事に、体は段々と男好きする柔らかさを帯びていく。


 そんな自分が気持ち悪かった。男が嫌い。でも、男に媚びて下品に振る舞わなければ生きていけない自分は、もっと嫌い。


 お酒を飲む。殴られながら男を咥え込む。お酒を飲む。酔わされて手篭めにされる。お酒を飲む。嫌でもそうしなきゃ、お金が貰えない。


「おぇ....っ。おっ......ぅぇお.....っ。」


 スラムの外れ。誰もいない路地裏で私は、一人ひっそり嘔吐を繰り返していた。不快な酔いの感覚と、男の汚い感触がまだ口の中に残っている。


 それを外へと吐き出すように、私は何度も何度も嘔吐を続けた。もう出すものが無くなって、吐くのが辛くなった時でも、嗚咽は止まらない。


 胃酸の酸味に喉を焼きつつ、脱水症状により私はごみ溜の中へ倒れ込んだ。その時見た夜空は皮肉にも綺麗で、私は思わず呟いてしまう。


「私....こんな所で、死んじゃうのかなぁ。」


 もう、少女と呼ぶには大きすぎる体になっていた私。そんな歳まで、汚いやり方で生き延びてしまった私。


「私....私悪いこと....何にもしてない.....!何にもしてないのに.....!なんで....?どうしてなの......?」


 体の中の水分を出したくなんてないのに、勝手に涙が溢れてくる。お洋服も買える、ご飯だって昔よりいっぱい食べれるようになった。


 なのに、苦しいことばかりだ。私はどうしようも無くなって、がむしゃらに走り出す。途中、何度も転んで擦りむいて、その度に血が出た。


 けど、そんなのはどうだっていい。どうせ私はずっとこのままなんだから、だったらいつ死んだって構わないじゃないか。


 走った。暗い夜道を、全力で。まるで、自分のやってきたことから逃げるみたいに。そのうちに体力の限界が来て、私は何処とも分からない荒野で大の字になり倒れ伏した。


「死んじゃえ。みんな、みんな死んじゃえ。ばかみたい、ほんと。」


 私、金のために体を売る商売女なんだって。


 どうしようもないアバズレで、死んで当然なんだって。


 スラム生まれじゃない女の子は、普通に恋とかするんだって。


 それで、私ぐらいの年になったら、好きな人と初めてをするの。ちゃんと愛し合って、好きだよって言って。


 幸せな幸せな、ぬるま湯の中にいるみたいな温度のキスをするんだって。


 全部、私には最初からなかったものだけど。私はよく、男と一頻りまぐわいを終えたら、散々罵声を浴びせられた。


 その度に、私はなんでこんな底辺なんだろうって思い詰めて。でも生きるために仕方なくって、言い訳し続けて。でも、もう無理みたい。


「幸せって、どんな感じなんだろうなぁ。」


 私は泣きながら笑った。男に媚びる時の笑顔が、張り付いて離れてくれない。そんな品のない笑顔のまま、ボロボロ大粒の涙は零れる。


「大丈夫ですか?....酷い傷だ、今手当をします。もう、大丈夫ですよ。」


 長い髪をした男の人が、いつの間にか私の目の前には立っていた。男の人は包帯を取り出して私の患部に巻き付け、消毒に油とぶどう酒を吹きかける。


「ぐすっ.....!お金...ない...ので、体....を...。」


「お代は要りません。その代わりに、私に着いてきてくださいますか?少しばかり、旅を共にする仲間が欲しいのです。」


 その男の人は優しかった。その優しさはきっと本物で、彼は心の底から私を心配してくれているのだろうと理解もできた。


 幾度となく男の顔色を伺ってきたから、それぐらいは分かる。だからこそ、嘘のないこの優しさに、私は心が締め付けられるのを感じた


「名前...あなたの名前を.........聞いてもいいですか....?」


「私の名はイエス。貴女は?」


 私はその名前を聞いて、すぐにピンと来た。私とまぐわった男の中に、一人行政官の男がいる。


 その男がよく、口にしていた名前だ。確か、信者を集めて巷を騒がしているテロリストだとか何とか。


 私はそれを思い出した途端、彼の手を取っていた。テロリストだって、カルトの首領だって何でもいい。


 彼の手は暖かい。私が生きてきた人生、千は下らないぐらい男と関わってきた。けどその中でも、私に手を伸ばしてくれたのは彼だけだ。


 彼は私にとって、革命家で、救世主で。それで、初恋の人だった。


(あぁ...ちゃんと私にも出来たんだ。普通の恋。)


 それが堪らなく嬉しくて、私は女であることを初めて受け入れられた。私は、この人に出会うために女として生まれてきたのだ。


 そう思うと、今までに過ごした境遇でさえ、途端に愛おしくなってくる。私は、彼と出会うことで神を信じることが出来た。


(ありがとう神様。私を不幸にしてくれて。でないと、彼とは出会えなかった!彼が手を差し伸べてくれなかった!ありがとう!ありがとう神様!)


 それから私は、イエスと共に旅を続けた。ずっとずっと、信者が沢山増えて、私と話す時間が短くなっても。


 私は彼のお傍にいれることが嬉しくて、それだけが幸せだった。でも、幸せと同時に私の中である感情が芽吹き始める。


「あの人が、どんどん私以外の人たちのものになっていく。」


 彼はその優しさで、人々を救済することを本気で夢見ていた。その夢に、私は心から協賛し歩幅を合わせたつもりでいたのに。


 嫉妬じゃない。嫉妬なんて醜い感情じゃ、決してない。ただ、ほんの少しだけかまって欲しいだけ。


 私は男に対する気の引き方を、たった一つの方法しか知らなかった。ある夜、私は彼の寝室に忍び込んで、服を脱いだ。


 そうして優しく彼に体重を乗せて、私は培ってきた経験を精一杯彼に発揮しようと、初めて自分から彼の唇に口付けした。


 脳みそが蕩け出したのかとさえ思った。なんと甘美で、なんと美しい世界があったのかと。私は初めてぬるま湯の実在を知った。


 けれど次の瞬間、私は一気に冷水をぶちまけられたような気分へと逆戻りする。


 唇を離した時、彼は目を覚ました。それから一瞬で何が起きたのかを把握し、心底落胆したような目つきでこちらを見た。


 冷たい目。まるで、私が男を見ている時のような、蔑む瞳。軽蔑された、確実に嫌われたと、私は実感した。


 だから、その決定的な言葉が飛び出す前に、私がその場から逃げ出した。彼と出会ったあの日みたいに、また逃げ出した。


 それからすぐ、私は彼の居場所を密告した。彼が死んでしまえば、きっと彼にこれ以上嫌われることは無い。


 錯乱した頭はそんな馬鹿げたことを考え、後で死ぬほど後悔に襲われた。結局のところ、私もあの男たちと何ら変わらないのだ。


 私を抱き潰したあと、酷い罵倒を投げつけてくるあの男たちと、どこも変わらない。


 そうして後悔している間に、時が数え切れないほど流れ去った。戦争が何度も起こり、隕石が人類を滅ぼすため降った日さえあった。


 金星の悪魔の来訪。世紀末の厄災。人類は頭数を極端に減らして、文明をゆっくりと衰退させて行った。


 そうなっても、まだ私は生きていた。それはきっと、まだやり残したことがあったからで。


「....謝りたいの。たった一言、あなたにごめんなさいが言いたい。」


 聖女(わたし)は三千年、その六文字を伝えるためだけに各地を放浪した。そのついでに、彼のやり残した原罪の贖いと、金星の堕天を手土産に。


(ふふ。褒められたくて、ネズミを主人に見せびらかす猫ちゃんみたい。)


 娼婦(わたし)は棺の前で微笑む。外では聖女(わたし)の騎士が懸命に戦っていて、文字通り死力を尽くしてくれている。


「三千年も...付き合わせちゃったな。」


 聖女(わたし)の騎士はきっと、聖女(わたし)のことが好きなんだろう。そんな彼には少しだけ申し訳ないけれど、娼婦(わたし)の気持ちは変わらない。


(.....呆れ返るほど酷い女。でも、それが娼婦(わたし)だから。)

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