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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・蝦夷編
162/235

百鬼夜行と踊る神

 

「化け物が....っ!」


「.....そう....かもね。」


 実際のところ、春水はもう正気を取り戻している。頭から血が流れすぎて、逆に頭に登っていた血が抜けたのだ。


 冷静になって、彼は騎士に向かい合う。彼の背中には、球体をした風の塊がぐるぐると渦巻く。


 真空の塊、純粋な高密度の素粒子と言い替えてもいい。それは、騎士の目から見ても人間からは到底外れた力。


 騎士は不死であるため、死ぬことは無い。けれどそれを考慮してなお、あの真空の塊は騎士に恐怖を抱かせるような代物だった。


 血界の中、土の香りとほのかに頬を撫でる風が両者を通り抜ける。ここは、春水にとって原風景の森の中。


 勝ちを確信したからでもなく、力に酔いしれているわけでもなく。春水は純粋な心で、騎士と言葉を交わした。


「僕はさ、大好きな仲間たちと平穏に過ごしたいだけなんだ。だからぶっちゃけ、君たちが人間をどれだけ殺そうが、正義とか悪とか、どうだっていい。」


「そうか。なら、今すぐここを立ち去るといい。俺もこの先を通ろうとする者でないなら、追う義理はない。」


「でも、争い続けたら泣く子がいるんだよ。そんで争いが終わらなきゃ、いつまでたっても苦しいのは続いていく。僕はただ、大切な人に泣いて欲しくなかっただけなんだ。」


 憎しみの連鎖、絶望の坩堝は止まらない。争いが終わらない限り、人ともののけはいつまで経っても睨み合うばかりだ。


 そうして、涙を止めたかったのは騎士も同じこと。聖女が悲しまないように。二度と、あんな地獄を繰り返さぬように。


 騎士は彼女の傍で守り続けると誓った。聖女がどれだけ、他の男に恋焦がれていると知っても。騎士の心は曇らなかった。


「泣かないで欲しい。ずっと、あの人には笑っていて欲しい。俺の祈りは、ただそれだけだ。」


「その果てが、虐殺だったとしてもか。」


「彼女と共にならば、俺は地獄に堕ちたって構わない。」


 好きだった。自分を救ってくれた乙女の、春の日差しのような優しさに、どれだけ懸想したか分からない。


 叶わぬ恋など百も承知。聖女が自分よりも偉大な救世主を愛していることなど、初めから分かりきっていた。


 燃え尽きるような嫉妬も胸に秘めて、騎士は聖女の幸福だけを祈る。その先に咲く笑顔が、自分には決して向けられないものだと知りながら。


 守りたい笑顔が、互いの脳裏に浮かぶ。今ここに、騎士も武士も存在しない。ここに在るのは、二匹の雄。善悪など関わりもしない、信念同士のぶつかり合い。


 刑部、優晏、かぐや、花丸、織、絹、ハスミ。それぞれの笑顔を胸に抱き、春水は背後に控えさせていた真空の塊を小さく手のひらサイズまで凝縮させる。


(僕は...やっぱりワガママだ。みんなを丸ごと、幸せにしたいって思っちゃってる。)


 真空の塊は依然圧力を高め、発射されるタイミングを今か今かと待ちわびている。そうして一方、騎士も深く瞑目し、その瞬間のため必要の無い情報一切を遮断した。


(聖女様....。いいや、ユダねーちゃん。俺は、あなたが好きだ。どうか、俺の邪な忠義を...この瞬間だけは許してくれ。)


 三千年引き摺り続けた初恋。一度だって、想いを伝えることはできなかったけれど。


「お前の風を砕き割ってやる。その後は、そうだな....玉砕覚悟で花でも送ろう。」


「はっ。お互い、背中に大事なものを背負ってるって訳か。そりゃ、負けられないよなぁ...!」


 騎士は刀身が砕けた剣を拾い上げ、縦の大振りの構えを見せる。正真正銘の真っ向勝負、全身全霊をかけた決着の一撃。


 使命など忘れ、誇りなどかなぐり捨て。最後に残ったものは、想い人への愛だった。それだけは、絶対に捨てきることができないものだから。


「ユダ様の騎士、エクエス。偉大なる聖女から頂いたこの名において、お前を退ける!!!!」


 春水は不意に、やけに鮮明な夢を思い出した。鮮明ではありながら、その実あやふやなような気もして。


 矛盾ばかりの記憶が、ふっと頭の中によぎる。『お前は誰の手を引く?』そんな声とともに、春水の心の奥底を激しく叩く。


 守りたいものはなんだ。守るべきものはなんだ。お前の愛したものはなんだ。声は激しくなっていく。嵐の日の窓ように、ドンドンと心が吹き荒れる。


風神(レラ・カムイ)。全てのもののけ...百鬼夜行と踊る神、春水。人ともののけの争いを終わらせるため、ここを通る!!!!」


 滅び行くもののけたちが起こした、最後の反逆。でも、それはきっと自分たちの首を絞めるだけだ。


 本当に他に道はなかったのか。殺し合いしか、方法はなかったのか。綺麗事なのかもしれないけれど、彼はもう悲しみを見たくなかった。


 誰もが幸せになれる結末を。誰かが泣かなくちゃいけない未来なんて、そんなのは嫌だ。


 少年は祈りを見た。狸の少女が、自分に神を堕ろしたあの日。あの祈りに、深い悲しみと絶望があったことを、彼は察している。


 誰もが願ったハッピーエンド。人ともののけが手を取って暮らせる、優しい世界。


(世界を変えなきゃ、きっと救われないんだ。だったら、世界だって何だって....僕が変えてやる!!!!!!)


 お互い、準備は整った。両者ともにガッチリと構え、最大出力かつ渾身の一撃を同時に放つ。


「『櫛風駘蕩(しっぷうたいとう)』!!!!!!」


「絶技『海割り』!!!!!!」


 真空の塊と、騎士エクエスの零れた刃が衝突する。海をも分つ斬撃と、全てを吹き飛ばす風力が拮抗し、一瞬の凪ぎが生まれた。


 風は、青い胡桃を吹き飛ばすように。酸っぱい花梨を吹き飛ばすように、激しく優しくそよぐ。


(行ける...!!これなら押し勝てる....!!勝って、勝って伝えるんだ....!!!俺は....俺はっ!!!!!)


 気が付けば、騎士は海中に居た。吹き飛ばされたことに気が付かぬほど、柔らかで繊細な一撃だったと、騎士はそこで初めて理解する。


(随分、遠くに飛ばされたな....。ルルイエが見えない。今から戻ったとて、全ては終わっているだろう。)


 死ぬことも出来ない騎士は、ひたすらに己の無力さに打ちひしがれた。全力の一撃、それを真っ向から破られたことへの敗北感。


 騎士は深海に沈む。恋も、戦いも。何もかも負けたと、そう思いながら心はどこか晴れやかで。


 ようやく、肩の荷が降りた気がした。聖女の騎士として、彼女を愛する一人の男として、彼はもう役目を終えた。


 それでも、やり残したことは確かにある。騎士でもない、ただのエクエスは甲冑を脱ぎ捨て溺れながらルルイエを目指す。


 もう手遅れだとしても、向かわなければならない。そうして最後の役目を果たすため、彼は海中を進み始めた。


 一方、戦いの勝者である春水は血界を解き、疲労から教会の前に座り尽くす。


「春水っ!!大丈夫っすか....!これは...もう戦える傷じゃ....!!」


「いい...。まだいける。まだ、止まれない....。」


 ダメージも疲労も限界に近い。ともすれば、もうとっくに限界は超えてしまっている。そのはずなのに、春水はまだ足を止めず、ハスミの肩を借りて立ち上がった。


 そうして春水は教会の扉に再び手をかける。今度は、誰も彼を妨げることは無い。


 汗と血を滴らせて、春水は教会へと足を踏み入れた。ステンドグラスから差し込む明かりと、神々しい賛美歌が場を支配する。


 並び立つ座席の最奥、何本もの蝋燭を超えた更に先。両脇の聖歌隊に挟まれながら、チャペルの中心で両手を合わせ、十字架に跪く女が一人。


「ようこそ。私はユダ、聖女ユダ。主に祈りを捧げ、全人類を救済するものです。」

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