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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・蝦夷編
161/235

断罪の騎士は風を浴びる

 

 彼は、名前さえ持たない孤児だった。頬は痩せこけ、腕は枯れ木のように細く萎び。なんの希望も無い、死にゆくだけだった子供。


 そんな彼に、ある時転機が訪れた。それは、彼の住む地方には珍しい雨が降った宵のこと。


 汚い雨水を腹に溜め込み、それでも飢えは収まらない。自分と同じ浮浪者が一人、また一人と雨の中倒れていった。


 次に瞬きした瞬間、自分はもう目を開けないかもしれない。次に紡いだ言葉が、最後の言葉になるかもしれない。


 彼は恐怖と慣れない雨の寒さでガチガチと歯を震えさせ、ただボロ布に包まって膝を抱える。そんな折、彼はある女と出会う。


 綺麗だった。金髪に雫を滴らせ、敬虔に空に向かって祈る姿を見て、少年は彼女が天使かと思った。


 人生で初めて見る、綺麗なもの。そんな美しいシスターが、彼の目を見た。雨だったから、頬が濡れている。


 シスターは震えた声で、少年に三十枚の銀貨を差し出す。その手は寒さからか震えていて。いいや、少年はそうでは無いと理解していた。


 幼いながら、少年は美しい彼女が泣いていることを本能で理解した。それが、自分にとって既に枯れ果てたものだったとしても。


 少年にとって涙とは、何の意味も無いゴミクズ以下の代物だった。けれど、少年は女の涙を尊いと心の底から思えてしまった。


「....これで...パンを買いなさい......。そうすれば、しばらくは飢えないはずです。」


「ないてる。」


「....泣いてなんか......。泣く資格なんて.....私にはありません......。」


 少年は、もう飢えなんて忘れていた。死んでも良かった。だって、彼女を知れたのだから。


 小さな枯れ木のような手で、少年は銀貨を受け取るよりも先に彼女の涙を拭った。その熱は、やっぱり雨なんかには無い温かさがあって。


 女はその萎びた手を取る。それが、少年と裏切り者の聖女の出会いだった。二人は雨の中見つめ合って、お互い視線を交わらせる。


「あなたは...どこにも居場所がないのですね。私と.....おんなじです。」


「....いばしょ。なるよ、おれが。」


 単なる子供の強がり。初めて優しくしてくれた彼女に、ほんの少し元気をあげたかった少年が送った言葉。


 それだけで。その一言だけで、救われたものは確かにあった。彼女は少年を抱きしめ、少年はその熱が報酬だと思った。


 今までの苦痛、今までの絶望は、全て彼女に出会うための対価。全ては、この一瞬の出会いのためだけに。


 そうして、彼らは共に生きることになった。手持ち三十枚の銀貨で宿とパンを買って、細々と確かな幸せを築いていく。


 けれど、そんな生活も長くは続かなかった。それは出会いの日とは真逆の、乾き切った昼。少年の幸せは唐突に、呆気なく女の死によって引き裂かれる。


 少年は宿で、女の帰りを待っていた。買い出しに行くと言ってもう随分帰ってこないけれど、それでも待ち続ける。


 そうしてとうとう我慢の限界が来て、少年は町の広場へと駆け出して女を探した。やけに人混みが多く、少年はそれを掻き分けて女を探す。


 人混みを掻き分けた先、少年は見た。女が、燃えている。磔になって、石を投げられながら燃やされている。


「この女は先生を裏切った!はした金のために、先生を売ったクズ女だ!!!」


「燃やせっ!!もっと!!もっと燃やせっ!!」


「裏切り者のユダ!先生が拾ってくれた恩も忘れて!!!死んで償え!!!」


 瑞々しい肌も、美しい金髪も、自分のことを見つめてくれた透き通る瞳も。全ては炎の中に消えた。


 涙は枯れた。枯れた、はずだ。涙が流れなければ、悲しくなんかない。少年の心には、絶望も悲しみも無い。


 ただ使命のように、燃やさねばと思った。世界で最も美しいものを焼いた罪を、贖わせなければと。


 少年は、女の焼死体に突っ込んでいく。そして今度は、彼の方から女を抱きしめた。雨の宵、あの日語った言葉は嘘ではないと、そう高らかに吠えるように。


 炎が少年の身を包み、刻一刻と命を薪として焚べていく。皮膚は爛れ落ち、眼球は水分を失って崩壊する。


 それでも、まだその身は灰になっていない。少年は広場の人間を全員焼き殺し、その後で自身も灰となった。


 悲鳴も、絶望の喘ぎも、死への恐怖から来る泣き声も。どいつもこいつも、罪人の命乞いに過ぎない。


「まだ....焼かないと........。罪........あの人を....焼いた.....罪........。おれが.....ゆるさない.....!」


「....もういいのです。あなたは、果たすべきことを果たしました。」


 灰の中から、女は蘇る。少年の目から見たそれは、紛うことなき奇跡だった。まさか死人が、蘇るだなんて。


 死後の奇跡。女は悪霊となって奇跡を成し遂げ、聖女に成った。聖女は灰になりかけて崩れ落ちる寸前の少年の頭に、そっと優しく手を当てる。


「よく...頑張りましたね。あなたを...私はきっと忘れません。」


 優しい手。あれほど焦がれた、他の誰でもない彼女の手。少年は、その感触にただ耽溺した。ああ、自分は報われた。と、そう確信して。


「でも、これで終わりにしたくない....。おれ...もっと.....あなたと居たかった.....。」


 ほんの少しのわがまま。死に際の、どうしようもなく叶わぬエゴ。されど、聖女はその祈りを聞き入れる。


「あなたがそれを望むのなら、私はそれを叶えましょう。『永遠紡ぐ命の神交(しんこう)』」


 この時、少年の死は聖女に捧げられた。少年に死は訪れず、また聖女にも訪れない。彼女らは、永遠の命を手に入れたのだ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 剣は春水の首元に到達する直前で、弾けるようにその刀身を砕けさせた。騎士は驚愕の色に表情を染めながら、眼前の獣を見る。


(何だ....?雰囲気がまるで違う。こいつ、本当に先程までと同じ人間か....?)


 春水は人として生まれ、人として生き、人として過ごした。その期間は彼に尊厳と理性を与え、彼の根本にある獣性を覆い隠す。


 だが、それはあくまで隠しているだけ。長年培ってきた野に生きる経験が、消えてなくなるわけじゃない。


 人を最も殺す獣とは、それ即ち人である。人もまた、自然の摂理を離れることの出来ない獣。生命の危機に瀕すれば、自ずと野生が顔を出す。


 風が高密度の塊となって、騎士へと吹き荒れる。その威力の高さに騎士は思わずよろめくが、吹き飛ばされぬよう足腰に力を入れて何とか耐えた。


 そうして刹那、今度は上から下にかけて、押しつぶすように風が吹き降ろす。すると騎士は吹き飛ばされないように体勢を整えていたせいで、簡単に地面へと押しつぶされてしまう。


(う....動けん....!今までとは風の威力が比べ物にならん....!)


 春水は騎士が動けずにいる間にフラフラと立ち上がって、ボタボタと顔から血を地面に滴らせる。


「ミカ、ありったけ。」


 《....っふ。いいねぇ!キミ、私好みのいい男になったじゃないか!いいとも、いいとも!私はキミの希望に答えよう!》


 春水は『屑金星(くずきんぼし)』を夥しい数出現させ、騎士へ向かってぶつける。普段の出力に加え、風によって加速した隕石は正に絶滅の化身。


 そんな災厄たちが、騎士の身へと襲いかかる。騎士はそれを、為す術なくその身一つで受け止めた。


 甲冑は大破し、肉の破片はちぎれ飛び、もはや騎士の面影すら無くなった残滓は、時を戻すかのように少しづつ回帰し再び騎士を形作る。


「あ゛ー....。頭痛い......何にも、考えらんない........。」


 春水の出血が止まらない。体部分へのダメージは軽微だが、頭部へのダメージが甚大すぎる。今の春水は意識が朦朧とし始め、今に倒れてもおかしくない状態だ。


 騎士もそれを理解している。いくら高い火力を持っていようと、不死の騎士を殺すことはできない。


 故に、騎士は恥と外聞をかなぐり捨てて耐久戦を選んだ。このまま耐え続ければ、確かに春水はジリ貧。騎士の方に軍配が上がるだろう。


 しかし、春水は朦朧としながらその実、絶好調と言っていいパフォーマンスを見せた。重体となった肉体は自動で無駄な動きを排し、洗練された技を可能とする。


 身体中にエーテルが澱みなく巡り、その魂にまで風が刻まれた。それは、技が術式へと昇華したことを意味するもの。


 最高潮のパフォーマンス。術式に至るまで磨きあげられた技術。培われた経験による、眠っていた潜在能力。


 その全てが爆発的に噛み合った結果、春水は一足飛ばしで術式の核心を掴む。そうして、その事実が引き起こす現象。


「【血界侵蝕】『遺風残香蛍明標(いふうざんこうけいめいしるべ)』」


 遺された最後の風が、世界を塗り替える。

・『永遠紡ぐ命の神交(しんこう)

死を奪う術式。生前に死を奪われたものは不死となり、死後に奪われたものは悪霊となる。


悪霊は一度殺されれば死ぬが、術者本人は例外的に術式をかけ続けることで擬似的な不死を再現できる。

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