大縄迷宮(三)
試合が終わり、未だ湧き上がり続ける会場の中、僕は刑部から治療を受けていた。と言っても、治癒術をかけてもらう訳ではなく、包帯や消毒などの古典的な方法でだ。
刑部は呆れたようにため息をつきながらも、僕の傷に湿らせた包帯を巻いていく。その隣では優晏が冷水に手ぬぐいを浸しており、僕の汗を拭いたり患部の冷却を行ったりしていた。
「ご主人様も男の子なんやねぇ...。名誉の負傷って、うちにはよく分からんわぁ。」
「あんな真剣勝負でできた傷を一瞬で治しちゃうなんて、チャンプに対する冒涜だよ。迷惑かけちゃうけど、しばらく休んで行ってもいいかな?」
迷宮攻略において、自分の都合だけで進行を遅らせるのは少し罪悪感があった。それでも、どうしてもこの誇り(きず)だけは無くしたくなかったのだ。あのチャンプに漢として認められた者として、それだけは折れたくない部分だった。
「おっと!お前さんたちがここでしばらく休んでいくのは確定事項なのさベイベ!」
唐突に声が響き、動けない僕に変わって刑部と優晏が戦闘態勢をとる。声の主は慌てて両手を上げて、降参のポーズをとった。
「怖え、怖え。そう警戒しなさんな。おいらはここの闘技場のレフェリーさ。まあ、そうそう反則なんてする奴がいねぇもんでゴングと照明係になりつつあるけどな。」
そう言い放つネズミの男はパチンと指を鳴らし、部下らしきもののけたちにある箱を持ってこさせた。そしてその箱を開けると、中に入っていたのは一冊の日記のような本だった。
「こいつはチャンプの日記。何しろチャンプは武者修行に海を渡って外国にまで行ってたらしいからな。そうとうお前さんの役に立つはずさ。」
ネズミの男は僕にチャンプの日記を手渡すと、くるりと身を翻し、観客たちの方へと向かった。
「馬鹿野郎共!!チャンプをブッ倒したこいつが、VIPルームを使うのに反対な奴!!!手ェ上げろ!!!」
「いるわけねーだろ!!クソネズミ!」
「使わせてやれよ!俺が許すぜ!」
「またソイツが戦うとこ見てェんだ!ゆっくり休ませてやれよ!」
「チャンプをブッ倒したんだ!あのチビが次代のチャンプじゃねぇか!」
「「「「「それは無い」」」」」
観客が自分の荷物をリングに向かって投げ入れながら、それぞれの意見を叫ぶ。ネズミの男は誇らしげに鼻を鳴らして、僕に手を差し出した。
「お前さんの拳、ありゃよかった。傷が治ったら今度はこの搦手の魔王、ヒッキョー・マウスであるおいらともやろうぜ。」
「もちろん、手加減はしないからね!」
ガシッと伸ばされた腕を掴んで起き上がり、そうしてよろよろと千鳥足ながらも肩を借りる。後ろからも刑部と優晏に支えてもらいつつ、僕達は闘技場の奥へと案内された。
VIPルームへたどり着く前の道のりで、色々と他に施設を紹介された。案内された場所は、あの闘技場よりも格段に広さがあった。地下なのに何故か緑生い茂る露天風呂がある温泉、何人ものシェフが和洋問わず食事を提供し続ける食事会場、見渡せるほど広く退屈しなそうな図書館。おおよそ地下とは思えないような娯楽施設が他にもごまんと設置されていた。
「ビビるだろ?普段は迷宮にいるヤツらの大半がここで過ごしてるからな。外に出れねぇもののけ達にとって、ここは地下の楽園なのさ。」
ヒッキョー・マウスの案内を終え、ようやく僕達はVIPルームへと通された。VIPルームはあれだけ華美だった他施設とは打って変わって、それなりの広さを持つ慎ましい和室だった。
「やっぱり和室が一番落ち着くわぁ。ご主人様、優晏ちゃん!見てこれ、窓開いたらほら。満月と桜が綺麗やねぇ。」
刑部の言う通り、何故か窓の外には満開の桜と満月、それにはらはらと雪が降っている不思議な夜が映し出されていた。
ヒッキョー・マウスが言うには、この迷宮のもののけ達が力を合わせて作り上げている光景だそうだ。珍しくはしゃぐ刑部を見て優晏も盛り上がり、寝室でふかふかのベッドに飛び込んでぴょんぴょん跳ねていた。
「春水!こっち来て!あ、そうだ!喰らえ〜!」
ほんの少し回復しただけの僕に、柔らかい枕が飛んでくる。枕は顔面へと直撃したが、全く痛みを感じなかった。それどころか、干したての匂いを感じられる心地良さがあり、僕は眠気を誘われてしまった。
「枕投げしようよ〜ねぇ〜寝ないでよ〜!」
駄々をこねる優晏がガシガシと僕を揺さぶって起こそうとしてくるので、たまらず僕は優晏を布団の中へと引きずり込んだ。
「えっ?!あっ、あの...。えっ?まくらな....げ....。えっ.....?!」
優晏はそれから静かになった。あまりの睡魔に目を閉じていたので優晏の表情はよく分からないが、どうしてか優晏の顔あたりからとてつもない熱気が発せられている気がした。
「優晏ちゃん顔真っ赤やねぇ...。ご主人様は疲れてるんやから、一緒に添い寝でもしてあげてや〜。」
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ここは迷宮の中の大浴場、冬の間。ここでは星空と小粒の柔らかい雪が降るのを楽しみながら、湯船に浸かってお酒を堪能することが出来る。先程見つけた、私のお気に入りスポットだ。
「ふぅ〜。ご主人、いや春水も無茶するなぁ。見てるこっちの方がハラハラさせられるんだから、ほんとに。」
ふいに、そんな愚痴がこぼれる。お風呂に入りながらお酒を飲んでいるせいだろうか。普段よりも酔いが回るのが早い気がする。
ちゃぽん、と急に隣で水音が跳ねる。星でも湯船に落ちたか、なんて下らないことを考えながら隣に目をやる。
「お隣いいデスか?ボクもおフロが大好きなんデスよ。」
相変わらず気配が全くない、胴体が骨でできている女の子が話しかけてきた。彼女はにこやかな表情を崩さないまま、私の持っている陶器の小さな酒瓶によく似たシャボン玉液の容器を持ち出して、それを棒につけてから吹き始めた。
「ほんまに驚かせんでやぁ。それで、なんか用でもあったん?」
「ずっと聞いてマシたから、無理にしゃべりカタを変えなくてもいいデスよ。用...と言えばそうなのかもデスけど...。」
長い沈黙が続いた。向こうも私も、お互い何を話していいのか分からず、ただただ気まずい空気感が漂い続けた。そんな沈黙を破るように、骨の女の子がざばりと湯船から勢いよく飛び出した。
「お背中ながしマス。刑部サマ、どうぞこちらに来てくだサイ。」
手を引かれるがままに、私は洗い場の方へと連れていかれた。湯船で隠されていた彼女の肌が顕になり、そこで驚愕する。彼女の胴体は骨でできている。そのはずなのに、今目に見える彼女の胴体にはしっかり肉が着いていた。
貧相な体つきではあるが、全身が肉で覆われている。あの時見たあれはなんだったのかと疑惑の目を向けていると、彼女がそれに気づいて補足を入れてくれた。
「ボクの術式、力を使うには肉がジャマで...それで術式を使う時はオ肉をほとんど無くすんデス。デモ、後で大縄サマが治してくれマス。だから大縄サマのおかげでこうして動くこともできマス。」
「そう言うの、言って大丈夫なの?確実には言えないけど、多分私たち戦うことになるんでしょ。」
もう隠しても無駄だと悟り、肩の力を抜いて話す。骨っ子ちゃん改めシニカが、やや嬉しそうに背中を洗う手を強めた。
「大丈夫デス!どうせ分かったところでボクには勝てませんカラ。ボクの仕事は第四階層で刑部サマと優晏サマの相手をすることデス。その時は、よろしくお願いしマスね?」
そんな当たり前のことみたいに言うシニカに、苛立ちを覚えつつもそれを飲み込む。落ち着いた頭で呼吸を整え、できるだけ情報を引き出せないかと試してみた。
「この迷宮ってどうなってるの?今更だけど何も知らされてないし、ちょっとぐらい説明があってもいいんじゃない?」
シニカは頭を悩ませて、うーんと唸りながら何かを考えている様子だった。しばらくして、踏ん切りが着いたのかシニカが口を開いた。
「この迷宮は全部で五階層ありマス。一層の守護者がシャコ・マーン三世。二層と三層がまだ秘密デ、四層はボクなんデス。そして、最後の五層では大縄サマが春水サマをお待ちになっていマス。」
その後も二層と三層の情報を聞き出そうとしたが、結局収穫はなかった。ただそれでも、迷宮の全体像が把握出来たことは大きな前進だった。シニカが背中を洗い流し終わり、私が交代しようとすると、シニカは慌てて距離を取り逃げるようにお風呂場を後にした。
そんなに私に洗われるのが嫌だったのだろうかと、ショックを受けつつも再び湯船に戻る。酒瓶にお酒がまだ半分ほど残っていたはずなので、飲み直して気分を良くしようと考えていた。
しかし、驚くべきことに酒瓶は残っておらず、そこにあったのはシャボン液だけだった。私は心がポッキリ折れてしまい、間抜けにもシャボン液を指につける。それから指で輪を作り、ふーっと息を吹きかける。
偽りの夜空にシャボン玉がふわふわと舞い、幻想的な景色に拍車がかかる。私はそれを眺めて、この場にお酒があればどれだけいいだろうかと、思わずにはいられなかった。




