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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・蝦夷編
158/235

絶対、忘れないで。


深夜、春水たちと作戦会議を終えた私は、何だか寝付けなくって、一人仮設キャンプを抜け出して海をぼーっと眺めていた。


見えないほどの遠くに、自分と同じ悪霊たちが浮かんでいるのかと思うと、何だかぞっとする。


作戦として、私はあの船長と戦うことは無い。一度敗北したからではなく、私はどうしてもあの男が苦手なのだ。


あの、全てを見透かしているかのような目。それでいて、全てを諦めているような。紛うことなき亡霊の目。


あれを見ていると、自分も同じだと言われているみたいで嫌になる。私は、彼らと一緒なんかじゃないのに。


海はただ静かに、私を呑み込んでいく。そこには肯定も否定もない。ただ単純に、感傷を持たずさざ波を寄せる。


規則的な音が心を落ち着かせ、私の中の迷いを濯ぐ。そう、これでいい。私があれこれ考える必要なんて、無いんだから。


「やぁ、良い夜ですね。お嬢さん。」


聞こえるはずのない、不愉快な声がした。浜辺の向こうには、一隻の小舟と白髪混じりの覇気がない男。


絶対に会いたくないと思っていた、幽霊船の船長。葉蔵がグラスの中の氷をカランと鳴らして、小舟の上一人で酒を煽っている。


「.....奇襲ってわけ。いいわ、始めましょうか。」


私は辺り一帯、広範囲の熱を奪って白い息をはーっと吐く。周囲の温度は急激に低下し、葉蔵のグラスにも霜が着き始めた。


「対策は練って来た...と言うわけですか。なるほど、これなら確かに華が芽吹くことは出来ないかもしれませんね。」


葉蔵はニコニコと余裕の薄ら笑いを浮かべ、薄気味悪く小舟の上で酒をクイッと喉に通らせる。


臨戦態勢を取っているのはこちらだけ。だからこちらの方が圧倒的に有利なはずだし、このまま熱を奪い続ければ確実に敗北は無い。


そのはずだ。そのはずなのに、私はあと一歩踏み出すことが出来ずにいた。正直に言おう。私は今、眼前の葉蔵の迫力に気圧されてしまっている。


「試してみますか?私の華が、咲くのかどうか。」


お互いが既に互いの間合いの中に居る。即ち、ここから先は術式の早撃ち勝負。こちらが力を入れるのが先か、あちらが術式を発動するのが先か。


ここには、私と葉蔵の二人だけ。故に、一瞬の勝負で生死までもが決まってしまう。その重圧こそが私の感覚を狂わせ、キリキリと神経がすり減っていく音が聞こえた気がした。


この刹那の時間が、永遠よりもずっと長い。そう思えてしまうほどの錯覚を私は覚え、冷や汗が一筋頬を伝う。


「なんて、冗談ですよ。私は戦いに来た訳ではありません。ただ単に、貴女に興味が湧いたのです。私と同じ、悪霊の貴女に。」


葉蔵はパッと自身の両手を上に挙げて、降参のようなポーズを取った。私は当然、それを信用なんてするはずも無く、未だ警戒を続けながら葉蔵を睨んだ。


(罠?作戦?まだよく分からないけど...とにかく油断は禁物...!)


「私たちはね、この波と一緒なんですよ。えぇ、寄せては返す。一度誰かに寄り添ってみても、結局は灰になって何も残せず返る。私たちの生に、意味ってあるんですかね。」


ドクンと、心臓の鼓動が鳴った。ずっと考えてきたこと、その本質を言い当てられたような気がして。


私は何も残せない。どれだけ春水を愛していても、子供を作ることは出来ないし、未来へ自分の痕跡を残していくことだって出来ない。


私はそれに、耐えられるんだろうか。無為な体の重ね合いと、火照る体とは対照的に空虚が横たわって冷える心。


彼にとって私はいつか、忘れ去られてしまう女なんじゃないか。そう考え至った途端、私は溺れたみたいに息が出来なくなった。


彼の強さに助けられて、彼の優しさに救われて。彼の弱さを、助けてあげたいと思った。彼の隣に立って、少しでも力になりたかった。


春水は完璧じゃない。そこそこ強くはあっても、負ける時は負ける。どうしようもなく強い相手には、やっぱり一人じゃ勝てない。


そのはずだった。でも、久しぶりに会えた春水は、何だか丸っきり変わってしまっていた。


春水は強くなった。立ち姿で分かるぐらいには、見違えるほど。彼は、もう強くなってしまった。


(私はもう....要らないのかな。)


強さに縋った。それは、彼の隣に立っていい証明。強さだけが、私にとって彼の隣に立つための切符だった。


今となっては、それさえもう必要ないのかもしれない。自分の存在意義、存在理由は酷く曖昧で、簡単に崩れ落ちてしまうものだ。


「消えゆく私たちに、意味は無い。それは、貴女も同じじゃないですか。救われませんよね、そんな人生。」


「......何が......言いたいの.......。」


「私たちと来ませんか?聖女様は悪霊の救済までして下さいます。貴女もきっと、救われますよ。」


気づけば私は、術式を解いて浜辺まで寄っていた。一歩前に足を出せば、もう冷たい波が私の足に触れる。


葉蔵は浜辺近くの浅瀬にゆらゆら舟を漂わせ、こちらを手招いている。私は、どうしたらいいんだろう。


あなたの眩しさが好き。あなたの優しさが好き。あなたの笑顔が好き。あなたのちょっとダメなところも好き。周りに女の子が多いのはちょっぴり嫌だけど、それでもいいって思えるぐらい好き。あなたの所作、一つ一つがとても愛おしい。


あれが好き、これが好き。例をあげたらキリが無い。胸に彼のことを思い浮かべれば、ほんの少し胸が暖かくなる。


暖かくなって、熱くなって、どうしようもない感情が溢れ出す。これはきっと、自分の心じゃ抱えきれなかったものたち。


(あぁ。本当に、泣きたくなるほど大好きなんだ。)


ボロボロ、熱を帯びた銀が落ちる。私は、傷だらけだ。好きだから、その好きの分、体に見えない傷がつく。


「分かります。残せないのは、辛いことだ。貴女はもう、惨めな思いをしなくていい。一緒に来ましょう?一緒に、救われましょう?」


今ここで海へと身を投げ出せれば、どんなに楽だろう。葉蔵について行けば、私はきっと言葉通りに救われるんだろう。


でも、その先にきっと彼は居ない。彼がいる場所は、あの海の向こうなんかじゃ決してない。


私は愛されている。彼に愛されて喜んでいながら、その愛に同じぐらい傷つけられる。なんて愚かで、憐れな女。


「救いなんて、私は要らない。私はね、何にも残せない。残せないけど、爪ぐらいなら立てれるの。」


私は無意味だ。私の生に意味は無く、意義もまた無い。出来ることと言えば、精々誰かに傷をつけることぐらい。


「私は救われなくていい。救われたら、きっと忘れられちゃう。だからね、その代わり...酷い傷跡になるの。醜い醜い、化膿して一生跡が残るぐらいの大きな傷。かっこよく死ねば、忘れたくても忘れないでしょ?」


泣きながら、私は笑った。大好きな人のことを想って、大好きな人のために死ぬ。これ以上ない、幸せのはずなのに。


私はなんで、泣いているんだろう。


「....救われないでしょうね、貴女は。」


「本望よ。それで、彼の中に一生居れるのなら。」


もう、迷いは無い。私は、春水の目の前で死んでやるんだ。彼を守って、それでかっこよく死ぬ。


綺麗な思い出なんて、すぐに褪せてしまう。寝る前に毎晩思い出して、涙のせいで寝付けなくなるような夜を過ごして欲しい。


熱病と見まごうほどの悪夢を。私は、あなたの傷でありたい。美しい過去になんて、しないで。


葉蔵はいつの間にか、もう随分遠くまで舟を漕いでいた。私は、夜の浜辺で一人泣き続ける。でも、それでいい。


この痛みの分だけ、きっと彼も痛むから。この苦しみが、愛そのものなんだから。


私はただ、お守りを握るみたいに両手で虚空を抱えて胸に抱いた。そうして、ぽつりと雨のように呟く。


「大好き...。大好きだよ、春水。」


砂浜に雨粒が落ちる。空は雲ひとつ無く月を浮かべ、さざ波だけが雨の音をかき消してくれた。

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