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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
幼年編
15/235

大縄迷宮(二)

 チャンプの黒光りする豪腕は、振るわれる度にとてつもない風切り音を響かせた。当たればひとたまりもない。速さも威力も十分な拳は、ただ愚直なまでに真っ直ぐだった。


 一途な拳。投げも掴みも突きも、あまつさえ蹴りだって使わない。純粋な打撃一つで向かってくるチャンプは、ここにあるどのスポットライトよりも眩しい存在だった。


 それに加えて、チャンプは回避をしない。絶対に回避出来るような攻撃も、彼はあえて喰らうのだ。なぜか。答えは簡単、チャンプとしての誇りだ。


 絶対王者、全ての漢を魅せるリングの帝王故の矜恃。それが、彼に回避を選択させないのだ。僕が振るう拳が腕に命中しようとも、鮮血を飛ばしながら堂々と耐える。それどころか、殴られながらも反撃を繰り出してくる。


 僕はだんだん、彼の拳を避けることが恥ずかしいと思うようになっていた。そんな僕の思いを振り払うように、彼の拳が一段とキレを増して振り回される。


「少年よ、どうか恥じないでくれ。戦い方は千差万別、君はここに体一つで立っている!吾輩に合わせることは無い。ただ全力で、向かってきてはくれまいか。」


 言葉と共に、右ストレートが飛んできた。僕はそれを避けてから、伸びきった彼の剛腕を手で掴み、踏み台にして宙へ飛び上がる。そして空中で体をひねり、重力に任せてかかと落としをお見舞する。チャンプはそれを残った左腕で受けるも、ダメージは抑えきれていないようだった。


「さっきの言葉で目が覚めたよ、ありがとうチャンプ。さぁ試合の続きだ、とことんやろうか!」


 シャコの顔とはいえ、彼がニッと笑ったのがわかった。それと同時に僕の口角もぐっと上がり、腹へ思いっきり拳を打ち込む。


 打った瞬間に察した、これは鋼鉄だ。おそらく彼に切腹を命じたとて、その刃は赤く染ることはないだろう。そう確信できるほど、彼の腹筋は練り上げられていた。


(一番狙いやすい腹はダメージが入らない。クソッ、身長差が大きすぎる!顔を狙えば確実に隙が生まれる。どうすればッ!)


 頭をフル回転させながら、チャンプのパンチを避け続ける。彼もまた、身長差のせいで攻撃を当てることが困難になっているのだ。互いに決定打を与えられない膠着状態の中、視野を広げるため大きく息を着く。


 ふと、今僕たちを囲んでいるリングに目がいった。張り巡らされているゴム状の縄は、チャンプの空振りのたびに空気の振動でその身を揺らしており、それが非常に高い弾力性を持っていることを示していた。


 僕はそこで妙案を思いつき、全力でチャンプから後方へと距離をとる。チャンプは堂々とした佇まいでその場を動かなかったため、追撃はなかった。


 リングの四方に張り巡らされている縄に身を預け、自身をパチンコの弾丸のように発射させる。凄まじい速度を持ってチャンプへと突撃をし、その鋼鉄の腹に思いっきり飛び蹴りをかます。


 当然のようにチャンプは平気といった顔をしていたが、あまりの衝撃に体制が崩れる。ようやく射程圏内に顔面が入ったので、拳を振りかぶって彼の顔面ごと地面に叩きつける。


 初めてチャンプが地面に背中をつけ、観客たちが悲鳴にも似た歓声を上げる。ただ、それは僕に向けられたものなどではなく、すぐさま起き上がるチャンプへと向けられたものだった。


 彼は口から血を流していたが、その瞳には先程よりも光を宿している。その証拠に、目で視認できないほどの速度から放たれる拳が、僕の体を襲った。


 痛みを感じるよりも先に、驚愕がそこにはあった。どんな攻撃も、目で追うこと位はできた。『未来測定』の補助ありきとはいえ、あの茶釜の全速ですら最近は視認できるようになった。


 だが、今この場で仮に『未来測定』が使えたとして、彼の拳が見えただろうか。答えは恐らく否。肉体の細胞が脳に痛みを伝達する前に、その結論に至る。


 縄に激突し弾かれ、またチャンプの眼前へと運ばれる。無防備な僕に、チャンプは容赦などしなかった。繰り返される乱打、それも一発一発が致命傷になり得る程の威力を持っている。


 そんな時間が、どれだけ続いただろうか。気づけば僕は、ボロ雑巾のようになって血に伏していた。あれだけの攻撃を喰らって、生きているのが逆に不思議なくらいだ。


 チャンプは僕に背を向けて、両腕を上げながら喝采を浴びているようだった。しかし、何故か歓声は聞こえなかった。チャンプがくるりと振り返り、ぎょっとしたような顔で僕を見る。なぜ敗者にそのような目を向けるのか理解できなかったが、次の瞬間にそれがはっきりとわかった。


「少年!!見かけによらずタフなんだな...。ますます気に入った!ラウンドトゥーだな!よしきた、再開のゴングを鳴らせぃ!!!!」


 チャンプが再びこちらへ構え、左フックを顔へと吸い込ませる。それは見事ノーガードの僕の顔に着弾し、心地よい音を辺りに響かせる。


「なっ?!受け止めただと?!」


 そんなチャンプの素っ頓狂な声で、ようやく我に返った。僕はいつの間にか彼の攻撃を右手で受け止めており、殺人的な左フックは僕の顔に着弾などしていなかった。


 僕はそのまま彼の拳を離さず、逆に引っ張りチャンプをこちらに引きずり寄せる。つまづいたようにこちら側へと向かってくるチャンプに、すれ違いざま拳を顔面にめり込ませる。


 衝撃で後ろへ仰け反るチャンプに、意趣返しと言わんばかりの乱打を返す。乱打を受けながらも、彼は首の皮一枚踏みとどまった。彼は拳の嵐の渦中にあって、強く一歩を前に踏み込み、こちらの乱打に乱打を重ねてきた。


 拳と拳のぶつかり合い。そのうち一発を互いに打ち漏らし、その矛先は両者の顔へと向かう。しかし、体格差もあって攻撃を喰らうのは僕だけだった。永遠に思える乱打戦が幕を下ろし、僕は吹き飛ばされる。


 それでも、僕はまだ倒れなかった。僕が立ち上がった時、今まで以上に大きな大喝采が生まれ、なんだか少し体力が回復したような気がした。


「頑張れ〜!ご主人様ぁ〜!」

「負けるな!春水!!やっちゃえそんな黒筋肉!!」


 聞き覚えのある声が、耳に入ってきた。全ての音がかき消されてもおかしくないような喝采の中でも、その二つの黄色い声援は、何より僕に元気を与えた。


(使えるものは全部使う。勝ちたい、どうしても、この漢に勝ちたい!)


 無意識のうちに僕は重心を低く保ち、四足歩行の獣のように身を屈めた。そして両手両足を使って狼のごとくチャンプへ向かう。


 どこか手慣れたように洗練された動きに彼は戸惑い、その体制の低さ故に攻撃を当てられないようだった。そのまま僕の間合いまで接近し、チャンプの股をくぐって背後をとる。


 彼が振り向く前に思いっきり跳躍をして、チャンプの首筋まで飛び乗った。肩車のような体制になり、両足を使ってチャンプの首を絞める。チャンプが慌てて僕を引っ剥がそうとする前に、後ろへ向かって全体重を傾ける。


 試合が始まってからずっと悩まされてきた問題、身長差。それを逆手に取り、棒倒しの要領で彼を再び地面へ叩きつける。


 チャンプの下敷きになる前に、くるりと身を翻して彼の鎖骨あたりに馬乗りになる。全ての対応が後手に周り、反撃へと注意が向く前のほんの一瞬の隙。それを、僕は見逃さなかった。


「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!!!!!オラァ!!!!!」


 渾身のラッシュがチャンプの顔面を全て捉えた。最後の一撃を加え、チャンプが動かなくなったのを確認してから立ち上がる。


「勝った!勝ったぞぉ!!!!!!!!あいつやりやがった!!!」


「「「「「うおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおすげぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!」」」」」


「ご主人様!やったなぁ優晏ちゃん!ご主人様が勝ったなぁ!」


「うん!かっこよかった!すごい、すごいよ!!」


 刑部と優晏の二人は手を取り合って喜んでいた。ぴょんぴょん跳ねる二人を見て、ようやく勝ったと、そう思うことが出来た。しかし、そんな熱もすぐに水をかけられたように静まってしまった。


「正直、ここまで追い詰められるとは思っていなかったぞ少年。認めよう、この技を使うに相応しい相手だと!刮目せよ!吾輩の最強奥義、太陽拳!!!」


 倒したはずのチャンプが起き上がってきたことに驚くよりも先に、会場が暗転する。何が起きるかは分からないが、とにかく警戒しなければ。そう思い構えようとするも、もう体はボロボロで、腕は上がらなかった。


 刹那、暗闇から凄まじい光が生まれた。宇宙に光が芽生え、太陽にふさわしい程の熱気と光が会場にもたらされる。これは一体なんだ?妖術や術式では無い。道具を使った発火でもない。自ずと導き出される答えはひとつ、拳の速度が音速を超え、光さえも超え。そうして生み出したのだ、摩擦による、紛うことなき太陽を。


 会場が再び光を取り戻す。観客が息を飲み、僕でさえもが暗闇の中から何が飛び出してくるのか分からなかった。


「ぃぃぃぃいいいいいい痛いぃいいいいいいいい!!!腕がァ!吾輩の腕があああああああ!!!火傷しているぅうううううううううううう!!!!うわあああああああ!!!!!!!」


 僕の目の中に飛び込んできたのは、拳から煙を上げてのたうち回っているチャンプの姿だった。彼は一通りのたうち回ると、ボロボロの腕を抱えて立ち上がった。


「誇るがいい少年!君はチャンプを打ち負かした漢の中の漢だ!!!だが忘れるなよ、次に戻るチャンプはさらに強く、さらに強大だ!!そしてこの場の全てのギャラリー達よ!!再び強くなって戻ってくるその日まで、さらばだ!!!!」


 そう言って、チャンプはリングから飛び降りると一直線に巨大なトイレへと走っていった。


「吾輩は故郷に戻り、鍛え直す!!次会った時は負けんぞ少年!!」


 チャンプは別れを惜しむ声たちの中、トイレへと綺麗な飛び込みを見せて流されていった。僕は涙を流しながらも、最後まで戦ったものとして深い敬礼をして彼を見送った。彼は、最後の最後までチャンプだった。向上心を忘れず、負けた直後でさえ自身の研鑽のみを思う、まさにこの闘技場の王にふさわしい。僕は彼を一生、忘れることは無いだろう。


 そうして僕は、迷宮の最初の階層を攻略したのだった。

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