銀の雫降る降るまわりに
銃弾の雨が降り終えて、シャコ・マーンは意識を現実に戻すかのように、熱い息をほうっと吐き出す。
痛みと熱が意識を明瞭にさせ続け、シャコ・マーンは弟の目を直視する。怨恨に満ちた曇眼、そうしてその原因が自分であること。
「シャコ・マーン。お笑いだよな、ふざけたその名前。ボクはあの雨の夜から、一睡だってまともに出来なかったよ。いつ人間が襲ってくるか分からない、次殺されるのは自分かも。そう思いながら、ボクはずっと暗い海の底で惨めに隠れ続けたんだから。」
シャコ・マーンは何も言わない。弟の独白に、ただ静かに耳を傾ける。するとだんだん、弟の瞳が滲んで涙が溢れだしてきた。
それだけでシャコ・マーンは、弟が一体どれだけ辛い思いをしてきたのか。ほんの少し、分かれたような気がした。
弟の声が荒くなる。留めていた感情の濁流が暴発し、もう抑えきることは出来ない。そんな怒りと悲しみ、それから諦めの奔流が、シャコ・マーンを襲う。
「.....ずっと、待ってたんだ。兄さんのこと。待ってたんだよ?ボク。でも........アンタは来なかった。」
「チャンピオン?シャコ・マーン?ふざけるなよ!アンタは....アンタは....!!!ボクのことなんか忘れて一人楽しんでたじゃないか!!!!それを今更、よく戻った?ふざけるのも大概にしろよ!!!!【臓腑を啄め】『乾荒原の隻眼鷲』!!!!」
弟の口から言葉が発された瞬間、虚空から銃弾が生成され、瞬時に装弾。再び銃弾の雨がシャコ・マーンに降り注ぐ。
「もう限界だ.....!これ以上のダメージは...いくら師匠でも耐えきれない....!!」
春水はもう、我慢の限界を迎える寸前だった。いくら兄弟喧嘩、いくら師匠から見守ってくれと言われていても、目の前で死なれることを許容できる訳じゃない。
(たとえ師匠から一生恨まれることになってでも、僕は弟を止める。今の僕なら、殺さずに制圧だってできるはずだ....。)
足に力を入れ、春水は土を蹴飛ばそうとした。しかしその寸前で、春水はハスミに声をかけられる。
「春水...お師匠さん、笑ってないっすか?」
シャコ・マーン。完全無敗、最強無敵の熱血漢と呼ばれた漢は、全身から血を吹き出しながらも笑顔を崩さない。
チャンピオンとしての意地はあった。師匠としての誇りもあった。けれど何より、兄としての愛情がそこにはあった。
「久々の再会!生き別れた弟との、初めての兄弟喧嘩だ!!目に入れたって痛くはないさ!!さぁ存分に、想いをぶつけてこい!!!我が弟よ!!!」
「そう言うところが.....!!!!!ウザいって言ってんだよ!!!!クソ兄貴!!!!!!!」
狙いは正確、威力は最大。ただし、それら全てはシャコ・マーンを死に至らせるには全くもって足り得ない。
進む。進む。進む。どしゃ降りの雨を進んでいき、あの日離してしまった手をもう一度掴むのだと、シャコ・マーンは腕を伸ばしながら進む。
そうして距離が縮まっていき、最終的にはもう腕の届く距離となった。けれど、この瞬間に伸ばしていたはずの腕は、だらしなくぶら下げられる。
「殺しに来たって言っただろ。アンタはここで、ボクに懺悔しながら死ぬんだよ。」
シャコ・マーンの額に、ガチンと銃口が突きつけられた。弟は引き金に指を掛け、いつでも銃を発射できる体勢を整えて、最期の瞬間を待つ。
「....お前は引けないよ。お前は優しい子だ。殺しなんて、出来やしない。」
「.....この銃を聖女に与えられてから、ボクは最初に人間を殺して回ったよ。沢山殺した。山ほど殺した。ボクら一族の死体の分以上に殺した。だから、もうボクは....兄さんの知るボクじゃない。」
寂寥感の滲んだ微笑みで、弟は笑った。もうこの手は汚れているのだと、もう止まることなど出来はしないのだと。
兄を恨むしか無かった。そうしないと、自分が壊れてしまうから。
人を殺すしか無かった。そうしないと、自分が殺されてしまうから。
憎しみだけが、彼の命を繋ぎ止めている鎖に他ならない。この憎しみの火を失えば、彼はきっと凍え死ぬだろう。
分かっていたのだ。兄が悪くなんかないこと。それでも、それでも自分が生きるためには、恨むしか無かった。
「ボクは....生きてちゃいけなかったんだ。あの夜に、みんなと一緒に死んでいればよかった。そうすれば...そうすれば....!」
こんなに苦しむこともなかった。そう付け足そうとしたところで、弟の言葉はシャコ・マーンによって遮られる。
「それは違う!!!!!!!!」
下げられていたシャコ・マーンの腕が二本とも動き出し、弟を強く抱きしめる。滴る血と体の体温が熱を伝え、冷えた心を温め始めた。
「俺だって...俺だって沢山殺した!八つ当たりだぞ?!ただの八つ当たりで....沢山殺してしまったんだ!!」
「兄....さん....?」
「俺たちはもう清流では生きられない!でも...ドブ川でも生きられないんだよ.....!だから...殺してきた分償うしかないんだ....そうしないと俺たちは....あの夜の人間たちと同じじゃないか.....。」
それはともすれば、告解だった。自分はどうしようもなく血に濡れているのだと、自分はただの愚かな殺戮者なのだという。そう言う告白。
ある雨の夜に、蝦蛄一族を虐殺した人間とは無関係の人間を、シャコ・マーンは殺して回った。
本当にただの八つ当たり。憂さ晴らし以下の、惨めな殺戮。彼は殴り殺した人間の体温を、今でも鮮明に思い出せる。
「人を殺すのは、最悪の気分だっただろう....。ちっとも、スッキリしなかっただろう.....。俺も一緒だよ、自分が汚れてしまった。そんな感覚だけが、毎日毎日俺を責め立てるんだ。」
彼ら兄弟が復讐者となるには、彼らはあまりにも優しすぎた。そうしてその高潔すぎる心は、もう泥まみれに汚れてしまっている。
「でも....ボクは人間を許せない....!許せないんだよ....兄さん.....!!!」
「ああ...。許さなくていい、許さなくてもいいんだ....。だから、自分を傷つけるのはやめろ。だって、俺たちはもう一人じゃないんだから。」
大粒の涙が、ボロボロとこぼれ始める。そうしてそれを誤魔化すかのように、空が曇り始めて大雨が降った。
その雨は乾荒原に染み入るかのように優しく、泥を濯ぐように美しい銀の筋で。
弟は銃を自然と手放した。そうしてまたシャコ・マーンも、自然と腰からチャンピオンベルトがずり落ちた。
ここにいるのは、ただの兄と弟。なんてことの無い、世界にたった二人だけの兄弟。
「......銀の雫降る降るまわりに。金の雫降る降るまわりに。」
ハスミは何かを感じたかのように、抱擁し合う二人を見て、ポツリとそう呟いた。
「ん?ハスミ、なにそれ。」
「アイヌの詩っすよ。立場が逆転して、それでも復讐したりせず、平和にまとめようって言う。綺麗事ばっかの詩っす。」
ハスミは空を見上げて少しだけ辛そうな顔をしたが、頭をブンブン振って雑念を取り払う。
「綺麗事...か。でも、綺麗事でいいんじゃないかな。汚いのよりかは、やっぱり綺麗な方がいいじゃん?」
「...ふふ。バカっすね、春水は!」
心底面白がるように、ハスミはころころ笑う。でもその笑いには、どこか諦め切っているところがあって。
春水はそんなハスミの笑顔を端目に、ハスミの言葉を反芻して、自分でもポツリと呟いてみる。
「銀の雫降る降るまわりに。金の雫降る降るまわりに。」
言葉は雨に掻き消え、誰の耳にも届くことなく消え失せる。それでもその詩は確かに、抱きしめ合う兄弟を誰よりも祝福していた。
・『乾荒原の隻眼鷲』
祝詞は【臓腑を啄め】。
この魅孕はある砂漠に生息していた大鷲のもののけの嘴と鉤爪から作られた銃である。効果は銃弾の無限生成と自動装填。
元来はある聖女の持ち物だったが、堕天を探すという条件と引き換えに、シャコ・マーン弟が聖女から譲り受けたもの。




