大縄迷宮(一)
あの苛烈な夜から数日後、僕らは日常へと戻りつつあった。変わったことと言えば、いつもの稽古に優晏が混じるようになったことくらいだろうか。優晏は極めて高い戦闘能力を有していたが、茶釜から言わせれば基礎がなっていないのだそうだ。
はじめは手厳しかった茶釜だが、数日一緒に過ごして絆されたのか、先日とうとう茶釜お手製の青いワンピースのような布一枚で作られた薄手の服を渡していた。
「たまたま布切れ一枚が余っての、捨てるのも気が引けるから仕方なく作ったんじゃ!いつまでもボロ布でいられては目のやり場に困るしの。」
そう言う茶釜の手は、慣れない刺繍やら縫い物やらのせいでいくつも針が刺さった跡ができていた。そのほかにも目の下に大きなくまを作っており、優晏のことを引き取ってからずっと夜鍋して作ったのだろうということがありありと分かった。
優晏はそれを受け取ると、すぐさま着替えを終えて見せつけるようにその場で一回転し、はにかんでお礼を言った。そんな陽気に振る舞う優晏を見て、ふんと鼻を鳴らし茶釜はそっぽを向いたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
「そんなことよりものぅ!ボンらには行ってもらいたい場所があるのじゃ!」
本意を隠すためか話を急に転換し、茶釜がそう切り出した。またいつもの長話が繰り出されるのかと身構えたものの、その警戒は杞憂に終わり、大荷物を持って現れた刑部がことを説明してくれた。
「こないだの骨っ子ちゃんがお誘いをしてくれたんよぉ。腕試しにうちとご主人様と優晏ちゃんの三人で、骨っ子ちゃんの主人の迷宮に来ないかぁ言うて。」
荷物を下ろし、大袈裟に疲れたジェスチャーをとった刑部は心底めんどくさそうにため息をついた。大方、大して稽古の成果を見せない僕に痺れを切らした茶釜あたりが何か手回しをしたのだろう。僕は申し訳ない気持ちになって、逃げるように刑部が運んできた荷物に目をやる。
荷物の中には、食料や火おこしセット、果てまた刑部の枕まで様々なものが入っていた。それは暗に、その迷宮を攻略することに何日もの時間を要するということを告げているでのあった。ただ、迷宮まではそう遠くはないようで急げば半日で着く距離なのだそうだ。
そこで僕は、一つの疑問が浮かんだ。もし仮に僕が迷宮に何日も行ったとして、その間家のことはどうするんだろう。まさか母に迷宮へ行ってきます。なんて言えるはずもなく、どうしようかとあれこれ悩まされることになった。そんな僕を見かねて、刑部が一匹の狸をこちらへ手招いた。
刑部に連れてこられた狸は、しばらく僕の周りをぐるぐる回った。しばらくして、力を貯めるように身を縮めたその狸はボフンと勢いよく煙を放出した。煙が晴れた時中から飛び出してきたのは、鏡を見ているのかと思わせるほど精巧に僕の姿に変化した狸だった。
「自分、変化の術だけは誰にも負けない自負があります!春水さんは憂いなく迷宮探索に行ってください!」
声までそっくりだった。自分と全く同一になった存在に寒気を覚えつつ、それはそれとして感謝を述べる。なんにせよ、これで大体の問題は解決した。下準備も全て終わっているようなので、早速刑部と優晏を連れて旅路に出る。渡された迷宮までの地図を頼りに、いつも稽古している林をまっすぐ突っ切る。
林を抜けるまでに一泊分の野宿をして、次の日の昼にようやく海へ出た。前世でも今世でも海を見たのは初めてだったので、気分が昂り優晏と一緒に海へ突撃しようとする。
僕は若干の胸騒ぎを覚えたのだが、気にせずに足を回す。そうして砂浜に差し掛かった時、優晏はあまりの高揚に文字通り足元を掬われ、砂浜に思いっきり転んでしまった。
転んだ優晏を覗き込むと、顔から地面へ倒れ込んだせいか鼻血が出てしまっていた。最初は泣くのを我慢していた優晏だったが、起き上がって少ししたら涙を滝のように流して泣いていた。それを刑部が治癒術をかけながらあやす。
「ほら、鼻かんでぇな。ちーんって、一人でできる?」
「...うん....。ありがと....。ぐすっ。」
痛みも引き、刑部に頭を撫でられて落ち着いた優晏がくすんと鼻を鳴らしてとぼとぼ歩き始めた。刑部の後ろをついてまわる姿を見て、まるで姉妹みたいだななんて思う。
それから紆余曲折を経て、ようやく迷宮へとたどり着くことが出来た。迷宮の入口はごく普通の洞窟のような見た目をしており、本当にここで合っているのか判別がつかなかった。
他にそれらしいものも見当たらないので、みんなで会議したところ、一度入ってみようという結論に至り、そしてついでにその会議で陣形を考えようということになった。
考え抜かれた結果、前衛が僕で後衛が優晏。その真ん中に刑部を挟んで両者の援護ができる形にすることにした。息を少し整え、心を落ち着かせてから僕達はその迷宮へと足を踏み入れた。
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迷宮、といってもそこはただの洞窟だった。ただ周りの壁には規則的に松明が括り付けられており、明らかに侵入者を想定している作りになっていた。
真っ直ぐな薄暗い道を一列になって歩く。道幅は丁度人が三人広がれるぐらいの広さで、刀を振り回すには十分な大きさだった。
それから、やっぱりここはただの洞窟で、炭鉱か何かなんじゃないかと思えるほどの長い静寂が続いたあと、しばらく歩いていると大きな真っ白い扉にぶち当たった。
その扉は、およそただの炭鉱というにはあまりに荘厳な白亜の扉であり、この世界で初めて見る洋風のものだった。
心臓の鼓動を抑えながら、ドアノブを掴んで回す。ガチャリと音が響き、扉の中を覗いてみるととんでもないものが視界に入ってきた。
そこには、大きな闘技場とその真ん中にリングが設置されていた。その地下とは思えない広さに、思わず三人分の驚きの声が重なる。
緩やかなU字谷状になっている闘技場を入口から眺めていると、急に視界が真っ暗になった。襲撃に身構え警戒をする前に、一筋のスポットライトがリングの中心に浴びせられた。
「この大縄大迷宮のチャンピオン!繰り出す技は殺人パンチ!それを人は、太陽拳と呼び恐れ崇めた。完全無敗!最強無敵の熱血漢!シャコ・マーン三世、ここにあり!!!」
ゴンゴンゴンゴンゴン!
どこからかゴングが鳴り響き、会場が薄暗さを保ちつつも明転する。
「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!シャコ・マーン!!シャコ・マーン!!シャコ・マーン!!」」」」」」
いつの間にか、周りにあった観客席は全て埋まっていた。観客席には、蛇やら熊やら羊やら、様々な動物たちが大盛り上がりで声援を飛ばしていた。中には犬と猿が、手と手を取り合って感激している場面まで見られた。
「海老バディシャラーーーーーーップ!今日はめでたい日、久しぶりのチャンプ戦だ。相手は、あの少年ッ!!」
そう言って、リングの真ん中にいるシャコの頭をした筋肉ムキムキのもののけが僕を指さした。スポットライトが僕に当たり、大勢が僕へ注目の視線を向ける。
「降りて来たまえよ少年。輝かしいチャンプとのマッチだぜ?おっとサインが欲しいよな、安心したまえ!もちろん特別なヤツにしておくさ。ん?要らない?シャイボーイだな少年!」
シャコの男は、筋肉をスポットライトに輝かせて、ころころとポージングを変えながら僕にそう話しかけてきた。ポージングが変わる度、周りの声援がひとつ、またひとつとどんどん大きくなっていく。
僕は仕方なく、いや、結構盛り上がってしまい、ウキウキでリングへと向かった。これだけ強そうな相手、しかも近くで見るとかっこいいチャンピオンベルトまでつけている。これがワクワクせずにいられるだろうか。
リングに上がり、シャコ男へと向かい合う。シャコ男は二メートル程の身長で、その腕は大きく肥大していた。身につけているのは黄金に輝く美しいベルトと、最低限のマナーとして局部を隠す黒いふんどしだけだった。
僕も負けじと、刀や上半身の服を捨てる。観客が大いに盛り上がり、その隙間から刑部のため息が聞こえた気がした。
「フフフ、分かっているじゃないか少年!まあどちらにせよ、このリングは大縄様に頼んで作ってもらったものだ。武器や妖術の類は使えないがね。それでも吾輩は嬉しい!少年のような漢との戦いを、心から望んでいたのだ!」
シャコ男改め、敬意を持ってチャンプと呼ぼう。チャンプが構え、僕もそれに合わせて構える。ゴングの音が響き、観客の盛り上がりが最高潮になった。
ここに、最も熱い戦いが幕を開けたのだった。
シャコ・マーン!!シャコ・マーン!!




