割かれた愛、紡がれた白。(四)
初めに湧き上がったのは、紛れもない恐怖だった。全長で百メートルはあるだろうという巨体に、憎悪に満ちた狂気的な瞳。
そうして理解不能な人外の化け物は、人を鏖殺せんと人口密集地帯の町を本能で嗅ぎ分け、怨みのままに空を舞おうと翅をはためかせる。
まだ飛び上がってさえいないのに、翅が動いた風圧で辺りの木々が根っこから吹き飛び始めた。こんなものがそのまま町に行ってしまえば、明らかに町は助からない。
それどころか、町を滅ぼしたら今度はどこに向かうのかさえ分からないのだ。もしかすると、さらに人口密集地を狙って鎌倉や京に行くかもしれない。町だけでも被害が計り知れないのに、そこまで行ったらこの国はおしまいだ。
だから、ここで確実に阻止しなければ。そう思った僕は早速絹に指示を出して、恐怖を退け腹を括る。ひとまずはこの森にいる人員と、町の住民たちの避難が最優先。
「絹…ヤスとか他の武士たちの回収をお願いしてもいいかな。僕は…あいつを止めてくる。」
「ん…。こっちは任せて。あと………死なないでね。」
強風に煽られながらも力強く飛んでいく絹に向かって僕は親指を立てつつ、視線の先にいる巨大な化け物への対処法をなんとか考える。
相手はどう考えても、あの「なまはげ」よりも格段に上の相手。中途半端な襲撃じゃ、逆に返り討ちに合うのが目に見えている。であれば、どうするか。
《随分お困りみたいだねぇ。少し手でも貸そうか?》
偶然にも、僕は今あることを考えていた。『逆甕天蝕大金星』。極大の相手には極大の質量を持った隕石で、その全身ごと地面に押しつぶす作戦。
しかしこの作戦を実行に移す際に、いくつかの懸念点がある。まず、一つ目はこの技の練度が低いこと。大質量での攻撃ということもあって、周りへの被害も考慮すれば訓練などはできるはずもない。
二つ目に、この技の概要が僕でも掴みきれていないということ。そもそもこの術式は天津甕星。ミカのものを借りているからなのか、体感では把握できていない部分が多い。
だから最悪暴発の危険だってあるし、マシだったとしても不発、あるいは体力だけ持って行かれて失敗なんてケースも考えられうる。
そうして三つ目。シンプルに地形への影響や二次被害。それに、逃げ遅れたせいでこの技に巻き込まれる人々もいるかもしれない。とにかく、リスクが多すぎる技なのだ。
確かに、今僕が持ち得る手札はこれだけ。多くを救うには、必ずリスクを取らなければ始まらないことは理解している。がしかし、いくらなんでも危険すぎる。
そう思い、一度この作戦は凍結しようとしていたところで、このミカからの申し出。はっきり言って胡散臭すぎる。正に計ったとしか言いようのないタイミングだ。けれど、可能性があるのなら話を聞かないわけにはいかない。
「聞くだけ……聞くよ。それで…どうするつもりなの?」
その時僕は、ミカがにっこり口角を上げたであろうことが声色で分かった。そうしてミカの提示した内容は、僕の考えた作戦と全く同じ、『逆甕天蝕大金星』を使う作戦。
《隕石の発動と調整は私がやるよ。キミはただ、私に全てを委ねればいい。…不安かい?では約束しよう!この隕石で私はあの化け物以外、誰も傷つけない。地形はちょっと凹むだろうけど、それ以外は被害を出さないと誓うよ。これでもまだ、信用できないかな?》
考えている時間はもうない。化け物は既に少しだけ宙に浮き始めているし、あと一刻の猶予もないのは誰の目にも明らかだ。それに加えて、ミカのこの圧倒的なまでの自信。
全ての歯車がガチッと噛み合って、僕はミカに全てを委ねると決めた。それから、僕はミカの指示通りに瞳を閉じて、ミカの合図を待つ。
ミカが言うには、とにかく自分の言葉が一旦終わったら、承認と言うだけでいいらしい。全然意味が理解できないが、ひとまず今はこうするしかない。
《金星星雲に接続。擬似巡礼者U+2640号の情報を確認。仮想天体データを受信中。……データの受信成功。外殻変更、擬似巡礼者U+2640号の仮想天体データを当該生命体に復元しますか?》
「………承認。」
刹那、ドクンと心臓の髄から熱が脈を打ち、意識が一瞬にして奪われる。視界が薄れていく中で、僕はこれから先のことを憂うことしかできなくなった。
「ん〜!千年振りの、おはようかな。」
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「あ〜。あ〜?なんだっけこの服?ああ、旧人類の服だっけ。もう覚えてないや。」
肩辺りまで届く整えられたボブヘアーの金髪に、透き通る碧眼。かっちりとしたスーツと真っ黒なネクタイを締め、元の少年の面影はもはやどこにもない。
それもそのはず、既に生体情報は書き換えられてしまった。今この瞬間において、春水という少年の存在はどこにも存在しない。ここにいるのは、無慈悲なる巡礼者。ただひたすらに人類という名の癌の破滅を願い、正常な地球を取り戻さんとする金星からのサポーター。
彼女が選んだ選択はもちろん、ことごとくの破壊。ではなく、目の前の化け物を粉砕することだった。一見意外にも思われるそれは、よくよく見れば筋の通った理論で。
「完全な復元って訳でもないし…。あくまでこれは繋ぎだから。まず一旦、信用してもらわなきゃね。」
ミカの今の状態は、いわば一時的な仮顕現に過ぎない。ある程度の時間が過ぎれば体は元に戻るし、春水と言う少年の意識も体も完璧に元通り。であるならば、今は信用を積み上げた方が得策であるとミカは判断した。
そうして、ミカの異様な雰囲気。もとい、異常なまでに剥き出しとなったその圧倒的な力に、喰禍蟲がミカの方へと顔を向ける。圧倒的強者を前にして、蟲は本能で知覚した。ああ、自分は駆除されるだけの害虫なのだと。
しかし、それですんなりと諦めるわけにもいかない。喰禍蟲はミカにせめてもの威嚇として、翅をバサバサと動かして相手を吹き飛ばさんと風を起こす。
相手が相手なら、それだけで終了していただろう。だが、ここにいるのは惑星の巡礼者。地球の嘆きを聞き届け、その嘆きを受け止めたがために、地球の知的生命体を滅ぼす使命を背負った殺戮の兵器。
そんな鉄の冷たさを持つ乙女に、羽虫如きのはためきがどうこうできるはずもなく。ミカは風で揺れる髪をくすぐったそうに梳いて、その片腕を指揮棒のように天へと掲げる。
「惑星通信。敵対生命判定。厄災剪定、レベル2。3次元データ、転送用意。なんだよコイツ、よっっわ。まあいいや、さっさと死んで。その気配、どうせ狐の回し者でしょ?高々一個体風情が、代弁者である私を縛るなんて許されたことじゃない。だからこれは…そうだ!人風に言えば、八つ当たりってヤツ!」
喰禍蟲の頭上数十メートルに、喰禍蟲の大きさ以上の隕石が出現した。彼女も蟲とは言え、狐から力を直々に与えられた直属の配下の一体。いかに最弱と言っても、魔術や術式の探知などはお手のもののはず。
しかし。いや、だからこそ彼女は気づくことができなかった。ミカの隕石、ここでは少年に合わせて『逆甕天蝕大金星』と形容するが、これはそもそも術式などではない。
これは、人類が二十世紀かけてなお到達することができなかった、遥かなる次元の高位テクノロジーである。例えば、パソコン上から他のパソコンに画像を送るように、ミカもまた金星付近から隕石を受信したのだ。正しく、3次元データの送受信と言うに相応しい芸当。
そうしてこの技術の差が、蟲の虚を突いた。もしこれが術式による隕石の生成だったならあるいは、回避できたのかもしれない。だが現実は残酷に、大きいだけの羽虫を踏み潰していく。
「bbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbb」
「うるさいなぁ…おかわりなら、まだまだあるからさぁ?早く黙ってね♡」
それは、まごうことなき奇跡だった。ただの瀕死だった蚕が狐から力を貰い、新たな姿を得た。望んだものでは無かったかもしれないし、望んだ力の発露では無かったかもしれない。それでも、蚕は己の願いを叶えるに至る。
喰禍蟲は隕石を丸々一つ背中に乗せて、宙に浮かんだ。見るものが見れば、飛び上がったとさえ形容してもいいだろう。そうしてそれは皮肉にも、まだ逃げ遅れていた武士たちや己の娘、それに少年の親友を救う結果となった。
蟲の心の内は計り知れない。ただの敵愾心か、この地に生きる生物としての意地なのか。だが結果から見れば、この蟲は誰よりも母親だった。地に降りかかる滅びの化身たる大隕石をその身一つで受け止めて、地上の損傷をゼロに防ぎ切ったのだ。
そう、まごうことなき奇跡だ。故に、二度目はない。ミカは道端の小石でも蹴るみたいに、軽く二つ目の大隕石を転送。無慈悲に、無感動に喰禍蟲を屠る。
最終的に、喰禍蟲は跡形も残らぬほど粉微塵となって死んだ。人間に道具として扱われ、化け物となっても怨みを成就させることさえできず、本当に蟲のように、惨めに死んでいった。
「被害は無しって約束なんだった?!まっず………これ、確実に誰かは死んだよね……?」
ミカは恐る恐る被害の確認をして、そうして驚愕した。驚くべきことに、喰禍蟲は二度目の奇跡を起こしていたのだ。喰禍蟲は自らを犠牲とすることで二つ目の隕石を砕き、威力を分散させる事で地上への被害を最低限に抑えていた。
そのせいで喰禍蟲の背面はぐちゃぐちゃになったが、結局粉微塵になってしまったのでそれを確認できたものは誰もいない。けれど確かに、喰禍蟲は抗った。最後の最後で、命を繋いだのだ。
「…多少気に食わないけど…。まあいっか!........時間か。ちょっと早いけど...慣らし運転には....なった..........ね。」




