平凡の矜恃
うだつの上がらねぇ毎日だった。歳はもう三十四、周りは嫁さんなり子供なりをこさえて、俺なんかを置いてどっかに行きやがる。
刀一本でやっていくってほざいてたアイツ。いつか師範代を超えてやるって息巻いてたアイツ。いっつも飽きもせず筋トレばっかやってたアイツ。
「まぁ、全員もう居なくなっちまったけどな。あんな真面目なヤツらが抜けてって、不真面目な俺が残るたぁ。アンタも苦労しただろうよ。」
髪だけじゃなく、肌まで真っ白になったジジィは何も言わず、静かにこちらを見定めている。その佇まいは俺に、どこか寂しさを感じさせた。
刀の道ってのは至ってシンプル。殺すか殺させるか、たったそれだけのことなのだ。それは人の道からは外れて殺伐とした、獣の世界にほかならない。
そんな獣の世界に、マトモなヤツらが残ろうとするはずがない。青臭さのうちに刀に夢なんか見るのかも知れねぇが、大人になっちまえばそんな夢からは直ぐに覚めちまう。
免許皆伝って箔さえつけば、後はお雇いの武士にでもなっちまえば生活は一気に楽になる。そうやってみんな、現実と夢との折り合いをつけていくんだ。
いつ死ぬとも分からねぇ。さりとて、生き残ったからって莫大な利益が上がるわけでもねぇ。ただ残るのは、人殺しの技術だけ。
正しく虚無だ。刀の道なんて進めば、不幸になるのは自明の理。とっととおさらばして、賢く生きるのが正解だ。
でも、俺はどうしてか残っちまった。もう習慣になっちまった鍛錬をこなし、ガキみてぇに青臭い夢を追い続けている。
最強の男になりたい。刀で悪人を斬り捨てて、金と地位、それに女も手に入れたい。そんな俗世の欲に塗れた、馬鹿げた夢。
ただそんな夢さえもう、俺は見れなくなったんだ。理由は単純。でっけぇ壁にぶつかったのさ。
京や鎌倉に行けば、俺より年下のくせに俺の何十倍も強いヤツらがゴロゴロ居た。喧嘩っ早い俺はそいつらに喧嘩をふっかけては、ボコられまくったんだっけな。
俺は田舎の猿山で粋がってる、ただの田舎っぺ大将に過ぎなかった。そこでポッキリ、心と夢が折れちまったのさ。
辞めようと、何度も思った。俺も現実と折り合いを付けて、お抱え武士にでもなろうかって、そう思い続けた。
でも。それでも、俺はこうして今ここに立ってる。なんでか、その答えは決まりきってる。未練だ。
夢の残り香が、一度口を着けたあの甘美な味わいが、俺の口の中にまだ残ってる。
楽しかった。馬鹿みたいに仲間たちと棒を振り回して、汗水垂らしながら笑い会う日々が。
眩しかった。夢に向かって突っ走る、本当に愚直な自分の真っ直ぐさが。
諦めきれねぇ。どうしても、諦めきれねぇんだ。その割に、夢を見続けることだってできねぇ。中途半端なまま俺は、腐っちまった。
そんな時、腐ってた俺をぶっ叩いてくれたヤツがいた。ガキの癖に生意気で、お偉いさんの家の出だっていう、保昌サンが。
「俺は.....アンタに託されたんだってよ。そんな化け物の見てくれになっても、俺に託したこと...覚えてるかい?」
ジジィは何も言わずに、刀を抜いた。酷く見覚えのある、ジジィの青岸の構え。
「漢なら刀で語り合え。ってか、そういやアンタの口癖だったよな。いいぜ、化け物になった師範代に、弟子である俺が引導を渡してやろうじゃねぇの。」
こちらも同様に刀を抜き、相手と全く同じ構えをして向かい合う。この雰囲気に、何時もやっていた模擬戦の様相を感じるが、互いが握る真剣の圧が懐かしさを掻き消す。
呼吸は深く、視野は広く。無駄な迷いは全て捨て去り、今は相対する敵のことだけを考える。
俺は特別にはなれなかった。歴史に名を刻むことも無く、あまつさえ上澄みになることすら出来ないだろう。
だからこそ、俺は積み重ねたんだ。平凡は平凡なりに、中途半端でも研鑽を、弛まぬ努力を続けてきた。
「俺の剣は今日この日、アンタを超えるために積み上げられたものだったのかもなぁ。」
ボソリと、俺が呟く。するとなにかの錯覚か、ジジィの表情が少しだけ笑ったように見えた気がした。
それを契機に、俺は相手との間合いを、刀が接触するギリギリまで詰める。
(突いて来るならカウンター。こちらを待つなら先手を貰う...!さぁ、どうするよジジィ?!)
ジジィが選んだ選択は、やっぱり待ちのカウンター狙いだった。俺はそれを確認すると、ニッと口角を上げて片腕を刀から離す。
中段十本目。保昌サンからのみっちり指導と、俺の積み上げた経験が上手く噛み合って、ようやく出来るようになった柳生新陰流の極地。
「カウンターが来るって分かってりゃ!怖かねぇんだよジジィ!!」
左腕で相手の腕を押さえつけ、残った右手で刀を振り上げる。出来損ないで不真面目の弟子が、師匠の最後に見せるには、これ以上なくピッタリな技。
そうして俺の刀は見事ジジィの首を切り落とし、俺は名実ともに師範代のジジィを超えた、はずだった。
あろうことかジジィはこちらの攻撃を、刀から手を離して体を強引に後ろへ倒すことで回避。それに加えて蹴りでの報復までやってきやがった。
「がっ....?!反則だろうが....!このクソ老害が....!!」
ジジィは蹲るこちらを傍目に刀を回収。実践だぞ?竹刀剣術じゃないんだぞ?と言わんばかりにこちらを見下してくる。
「上等だよ....!もう手加減なんか....してやらねぇから...なっ!!」
俺はさっさと体を起き上がらせて復帰、すぐさま反撃に出るため地面を全力で蹴り上げた。
そうしてジジィの手前で急ブレーキを掛け、地面の土をわざと大きく跳ねさせる。
目潰しの後はそのまま、ブレーキで抑えきれなかった慣性を活かして回転斬り。もはや、先程までの行儀のいい戦い方は見る影もなってしまった。
守破離。と言う言葉がある。要するに、基礎が終わったなら教えを守り続けるだけじゃなくて、ちゃんと自分の頭でも考えろ。という事だ。
(柳生新陰流の熟練度なら互角まで持ってこれてる。つまり後は、地力の勝負ってわけだな!)
こちらの攻撃を軽々と防ぎ、カウンターを喰らわせようとしてくるジジィを俺は蹴り飛ばして距離をとる。
地力の勝負とは言ったものの、研鑽の量では長く生きてる分向こうが圧倒的に上。ならば、その研鑽を超える奇想天外なアイディアが俺には今求められている。
読み合いに次ぐ読み合い。カウンター同士の戦いでは、相手の一手先や二手先を読むことが重要となるはずだ。
俺は覚悟を決めて突きの構えを取り、そのまま特攻する。相打ち覚悟、傍から見たらそう見えるのだろう。
しかし、今までの打ち合いで散々お互いが理解している。おそらくジジィは、こちらが相打ち覚悟に見せかけることで自分のことを油断させ、そこにカウンターを合わせてくるのだと思っているに違いない。
逆の逆、即ち表を取る。今までカウンターを見せ続けた結果、相手はカウンター以外の選択肢を頭から除外した。
この思考の偏りに漬け込み、捨て身の特攻などありえないと思わせる。そうすることで一瞬の隙を生み出し、肉を切らせて骨を断つ。
「ジジィ!!!!喰らえやぁあああああ!!!!」
こちらのわざとらしい咆哮も、全ては一瞬相手を騙すための演技。ジジィはこのバレバレ演技を、こちらがカウンター狙いではないとジジィに思わせるための演技だと思っている。
しかしそれは仮初の嘘。本当に騙したいことを隠すための、ブラフのブラフに過ぎない。
そうしてこちらの予測通り、ジジィは自分の懐まで踏み込んで来た俺に対して、カウンター警戒のための半端な斬撃しか繰り出して来なかった。
俺はそれをこの身で受け止め、肩の肉で刃を止めることで相手の獲物を奪い取る。それから、俺は勢いを止めることなく、突きをジジィの腹へ進ませた。
カウンター使いがカウンターを捨て、化かし合いを放棄する。その結果、愚直なまでの正直さにほんの一瞬、目を奪われてしまうのだ。
「俺ぁ、夢を突き通せなかった。でもよ、アンタが俺を生かしてくれた。アンタが俺に、技を教えてくれた。アンタは.....俺にまだ、刀を振る理由をくれたんだ。」
刀をジジィの体から抜き、倒れ込むジジィを俺はただ見守る。今度こそ見間違いや勘違いじゃない、ジジィは確実に、微笑んでいた。
「あ〜あ。これで俺が師範代かよ...。ったく、面倒な仕事が増えるんだろうなぁ....。」
ジジィの死体に背を向けて、俺は再び森の中へと戻ろうとした。しかし、その時ジジィの死体から、轟音が鳴り響く。
「giiiiiiiiiiiiaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」
「おいおいおいおい。いつからうちのジジィはまっ緋の化け物になっちまったんだよ。喪に服す時間ぐれぇあってもいいだろうが。」
かつてジジィだったそれは、獰猛な緋に身を染め、涎をダラダラと垂らしながら獲物に飢えている。
そんな化け物を見て俺は顔を顰め、ジジィのせいで肩に刺さっていた刀を取って、化け物の方へと投げ渡した。
「おい。さっさと終わらせてくれ。テメェみたいな化け物、雑魚以外の何者でもねぇんだよ。」
こちらの挑発を、化け物は本能的に理解したのだろうか。投げられて地面に刺さった刀を抜いて、ゲヘゲヘと下品な笑顔を浮かべながらこちらに向かってくる。
力任せの特攻。構えも走りも何もかもが出鱈目で、醜い以外に感想が思いつかないぐらい醜悪な化け物を、俺は迎え撃つ。
傷ついた肩をがら空きにして、あからさまに相手を誘う。ジジィならもちろん引っかかるわけもないのだが、この化け物は簡単にそれに引っかかった。
「kyoaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!」
「ジジィの面と体でそんなことするんじゃねぇよ。胸糞悪ぃ。」
柳生新陰流、一刀両断。柳生新陰流の中でも最も基礎的なカウンター技であるこの技が、緋の化け物を袈裟斬りにして屠る。
無感動に、無味無臭のまま化け物は体を二つに別れさせて、塵となり崩壊していく。俺はそれを、虚しいような想いで眺めていた。
「骨すら....残んねぇのな。」
俺もジジィも、剣に生きた身だ。どこで死ぬとも、無縁仏になるとも分からねぇ。だからこの結末は、ジジィも覚悟していたもののはずだ。
だから、俺は何も思わない。ただそこには、分かりきっていた当たり前の現実が、横たわっているだけだから。
「あぁあ.....!!クソッ...クソがっ.....クソがあああああああああああああ!!!!!!!!!」
手をどれだけ伸ばしても、塵は俺の手のひらをすり抜けて風に舞う。俺は一掴みでも塵を集めようとして、結局何も手のひらの中には残らなかった。




