影を開いて
戦いを怖いだなんて、思ったことは一度も無かった。全く、怖くなかったはずなのに。私の両足は今、もはや戦えないほどに竦んでしまっている。
織様の言葉を聞いた時、私は脳みそがスっと冷えたような、そんな感覚に襲われた。それは首元に刃を当てられた時の冷たさと似ていて、私は彼女に何か言葉を返すことさえ出来なくなる。
そんなどこか冷えた脳みそで状況を俯瞰すると、どんどん新たな視点が開けてきた。
まず、何故こうも私があの茸の化け物に狙われないのか。それはひとえに、織様が相手の注意をその身一身で受け止めてくれていたからだ。
織様は先程から、振り切れるはずの攻撃をあえて受け、自分が相手のターゲットであり続けるよう動きを最小限に留めている。
私はそれを、ただ見ているだけだ。なぜ動かない。なぜ助けに入らない。そう、自分を責め立てるように自問自答した。
(戦いなんて、屋敷でも何度だってやってきただろう!我が王と共に、何度も戦場を駆けたはずだ!!なのに....なのになぜ.....?!)
私は自身の不甲斐なさに歯噛みをして、憎々しさを顕にしながら震える足に目をやる。
そんな私とは対照的に、織様は勇ましく己が武器を振るい続けた。時には槍、時には剣、また時には斧。
相手と織様の実力差は拮抗している。しかし、それでも相手の方がやや優勢。織様は手を変え品を変え攻撃パターンを変化させるが、相手も当然これに対応してくる。
「私がっ....!私が加われば.....!」
分かっている。織様単体でほぼ拮抗状態に持ち込めているのならば、私が援護に入れば状況は必ずこちら側に傾く。
分かっている。分かっているのに、動かない。まるで、真っ暗な影の中に一人取り残されているみたいに。
「うっ....きゃぁあ!!」
「織様っ!!!」
私が自分勝手な考え事をしている間に、織様は茸の化け物からいくつもの拳を受けていた。
ほんの僅かな実力差と、大きすぎる体格差。一度でも不覚を取ってしまえば、その圧倒的な質量差で押しつぶされるのは当然だった。
逆に、今までよく耐えたとさえ思う。織様は決して、強い方だとは言えない。ただ彼女の持つ発想力と機転で、あまりに細すぎる綱渡りを超えてきたに過ぎないのだ。
今まで拮抗していたように見えていたのは、彼女の工夫があってこそ。純粋なスペック差だけで見れば、こうなるのは必然。
私は何度も殴打される織様を見ながら、一歩踏み出そうと足を上げようとする。けれど、それ以上動くことがどうしてもできない。
「はなまるっ!!大丈夫、大丈夫だから!!!おねえちゃんが、絶対勝つから!!!」
そんな私を咎めることなく、未だボロボロになりながらも戦闘を続行している織様は、こちらを安心させるように大声を張り上げた。
「はなまるは....寂しがり屋さんだから!!しゅんすいがいなきゃ不安だよね.....!でも....大丈夫!!ここはおねえちゃんに任せて!!」
血反吐を吐きながら、相手の拳を変形させた剣で捌く。何発か被弾しているため最初ほどの精度ではないが、それでも相手の一発一発を丁寧に避けている。
あの小さな目に、一体どれだけ私の心の中を映しているというのか。幼げな瞳の裏に、どれだけの勇気を隠し持っているのか。
自分ですら分からなかった恐怖を言い当てられた時、私は一気に恥ずかしくなった。臆病者だと、そう自分で思ってしまったから。
(私は...我が王がいなければ、何も出来ないのですか....。織様は...あんなにも立派に戦っているのに...!)
思い返せば、私の傍らにはいつも我が王が居てくれた。物心ついた時にも、初めての任務でも、ずっとずっと、傍に私を置いてくれていた。
知らず知らずのうちに、いつも我が王が背中を押してくれていたのだ。あの方が見ている。あの方が私を見てくれている。
たったそれだけの事で、私はどこにだって飛び込んでいけた。それだけが、私にとっては重要なことだったから。
でも、今この場に我が王はいない。この森のどこかで、きっと立派に戦っていることだろう。
我が王だけじゃない。刑部様も、優晏様も、戦いなんて最近まで無縁だったかぐや様も。そうして、織様も。
みんなみんな、自分の戦場で戦っている。それなのに、私は立ち尽くすだけなのか。
主人がいなければ、あの方がいなければ一人で戦うことさえままならない、牙を抜かれた狼なのか!
否、断じて否!誓ったはずだ!あの夜、私が初めて我が王と話した月下の庭で!もう二度と、決してあの頬を濡れさせることはしないと。
(動け、動け、動け!動かなければ!戦わなければ!私は何だ!私は何のために、この生を受けた!!)
拳を思いっきり握りしめ、自分の頬へと全速力で向かわせる。ジンジンと頬が痛み、その痛みで頭がクリアになった。
後悔している。先日「なまはげ」と出会った時、指示があったとはいえ、我が王を置いて逃げてしまったこと。
それはきっと、織様も同じだ。悔しくて、苦しくて。不甲斐なくて。だから今、あんなに懸命になって戦っているんだ。
私は吠える。狼のように、獰猛な獣のように。影を従え、夜に染まり、そうして恐怖を飼い慣らす。
私は、ただ一人のための忠犬で在ろう。あの方のためだけの、牙と成ろう。
迷いは無い。恐れも、厭いも無い。私は一人でも、あの方のために駆けるのだ。
私は『影狼送り』を起動して、墨より執拗く夜より暗い影をドロドロと周りへ漂わせた。
夜は自身の影と、その他の影との境界線が曖昧になる。だから、意識を拡張してその他の影を自分の影で侵食出来れば、それは大きな力となるはずだ。
意識の拡張。それは言い換えれば、意識を薄く広く伸ばす行為に他ならない。
その行為に一瞬でも精彩を欠けば、広く伸ばした意識は崩壊。影によって自らの身体を乗っ取られてしまうだろう。
影とは、もう一つの自分自身。そんな恐ろしいものを相手に、意識を薄めて手渡すなど、はっきり言って自殺行為以外の何物でもない。
(リスクはある....。しかし、ここでリスクを避けていては、私は前に進めない!証明しなければ!私は、もう一人で立てるのだと!!)
そうして私が影を広げた刹那、空気が澱む。その気配に茸の化け物も織様も気づいたのか、二人は激しい戦いを一度中断し、こちらへと視線を向けた。
その視線はどちらも、何かおぞましい物を見るような、そんな異様な視線だった。
私は微睡みの中で、それに違和感を持つことも、自分が自分でない何かの形を取っていることも理解できなかった。
ただ、織様の瞳に映っていた私を見て、そういう事かと納得する。
私は異形になったのでは無い。私は、私自身に秘めていた魔をこじ開けただけなのだ。
誰しもが持つ、後暗い感情。大好きな我が王を、私の友人である織様を煩わせる、気色の悪い茸。そいつを、縊り殺してやりたい。
影が身の内から溢れ出る。それに私は溺れ、段々と視界が真っ黒に染め上げられていった。
でも、良かった。これで、私は戦える。私は、皆様の役に立てている。
「はなまる...?はなまる....だよね....?」
(ここは....?海の底...?何も...何も聞こえない....。けれど、なんだか心地いい。昔、小さかった頃。私が我が王に抱きしめられて、眠った布団の中...。それに、酷く似ているような。)
私は静かに、安らかに眠りについた。そうして夜は、何かもっと恐ろしいものに形を変えて、ニタリと三日月のように口角を上げる。
「【血界侵蝕】『不明常夜』」




