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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
幼年編
11/235

食人鬼は月に濡れる

 私の記憶は、ゴミ箱の中から始まる。まだ生きていた頃、私は産まれてすぐに捨てられた。多分、飢饉だったり貧困だったりが重なって、仕方の無い口減らしだったんだと思う。


 ゴミ箱の中で赤ん坊がそう長く生きれるわけが無い。最終的に、私は烏に啄まれて死んだ。細かく細かくちぎられて、生きたまま食べられて。


 憎い。でもそれ以上に、悲しかった。私だって生きたかった、私だってお腹いっぱい食べたかった。ごめんなさい。捨てないで、おかあさん。おとうさん。いい子にするから。いやだ、いたいのはいやだ。だれか、だれでもいいから、たすけて。


 気がつくと、私は昼ほど明るい三日月の夜の下にいた。銀色の月の色を写し取ったような長い髪に、誰の肉とも分からない赤を唇に塗りつけて。


 ここは合戦の跡地、そこら中に、死体がゴロゴロ転がっている。


「そうだ、お腹。空いてたんだっけ。」


 近くにあった刀を手に取って、それで死体を切り分ける。子供、老人、青年、果ては流れ矢で死んだ女。手当り次第口に放り込む。


 不味い。不快な酸味に硬い食感。何より口にあたる産毛やほかの体毛が気持ち悪くて煩わしい。ただ、ほかに食べられそうなものもないので、空腹を紛らわせるために食べるしか無かった。


(あの時私を食べた烏も、こんな気持ちだったのかな。)


 不意に、烏がそこらじゅうで死体を啄んでいるのが目に入った。それを同情的な目つきで眺めながらも、ぐちゃぐちゃと屍肉を喰らう姿があまりに醜かったものだから、思わず手にあった刀を力一杯投擲し、烏に突き刺す。すると、蒼く冷たい炎が線を描いて宙に現れ、烏を氷漬けにした。


 烏の周りには、蒼い花弁を散らす炎の蓮が狂い咲いた。星の無い空に咲く数多の花は、烏の熱を奪い命の輝きを燃やし尽くしているように煌々と輝いた。


 極楽浄土のような、ともすればそれ以上に美しい風景だった。おびただしい数の死体を覆い隠して咲き誇る炎の蓮も、凍り付いてなお彫刻された氷像のごとく無駄のない烏たちも。それら全て、たった一人を飾り立てるためのもの。この場は、私のためだけに用意された、贅沢な食事会場。


 そんな幻想的な景色の主役であるのは、気味の悪い食人鬼。私は泣きたくなった。叫び出したい程、気が狂いそうになった。


(ああ。こんなに美しい命なのに。どうして私は、食べることしか、殺すことしかできないんだろう。)


 ちっとも食べたくなんかないのに、飢餓が理性を塗り替えてしまう。食べて、食べて、食べて。気持ち悪くなって吐く。そしたらまた食べる。これの繰り返し。


 吐くのも苦しくなって、吐くことを諦め食べ続けるだけになった。そうしたら少しお腹が脹れて、目頭が熱くなった。地上に落ちる銀の雫。これが涙なのか、涎なのか。私には分からなかった。


(死んでしまいたい。誰かを傷つけることしかできない私は、きっと死んでしまった方がいい。そんなこと、とっくのとうにわかってた。)


 頭の中に響くのは、先程まで耳のすぐ側で鳴っていた咀嚼音。ぐちゃぐちゃと音を鳴らし、それが止まったと感じる頃には、気づけば手のひらに真っ赤な塊が載せられている。


(誰か。誰でもいい、助けて。私を止めて。私を、殺して。)


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 修行の最初は、走り込みからだった。林の中で木にぶつからないように、全力疾走で駆け抜ける。これを一時間。森や林の中での全力疾走は、意外とコツがいる。木を避けたりぬかるみを踏まないようにしたりなど、最初のうちは苦労するそうだが、僕にはそんなの朝飯前だった。


 あれもこれも、前世で狼に教わったことだらけだ。前世でのあれこれが、今の自分に活きている。その事が、なんだか誇らしかった。


 その後は腕立てに腹筋、それから刀や槍の素振り。一通りの準備を終えたら、そこからは狸達との組手をする。一匹一匹、順番に素手か武器を携えてかかってくる。これを百匹抜きまですると、今度は複数の狸に囲まれて叩かれる。


 こんな稽古が、来る日も来る日も続いた。そうして、僕が七歳の誕生日を過ぎた少しあとのこと。


「ボンもそろそろ腕試しがしたくなった頃じゃろう?最近、近くで大きな戦があってな、悪霊退治にちょっと寄ってみんか?」


 茶釜が、そう問いかけてきた。ここしばらく、茶釜のうんちく話をずっと聞かされてきたので、悪霊というのがどういうものだかは知っている。悪霊というのはもののけとはまた少し違うらしく、死んだ人間の魂が現世に留まり、意思なく人やもののけを襲う化け物のことだ。


 茶釜はこういうためになる話をしたかと思えば、煮卵は八分煮るのが一番美味しいなどのくだらない話を長々と語ってくるので厄介だ。


「うん、行ってみる。色々試してみたいこともあるしね。それに悪霊達が村に降りてきて被害が出た、なんて話になっても目覚めが悪いしね。」


 僕は二つ返事で茶釜の提案を了承し、早速準備を始めた。と言っても、戦のあった跡地に行くのは真夜中という事だったので、今日は早めに稽古を切り上げて家に帰った。


 家に帰ると、つかまり立ちできるようになった雨音が、急いでこっちに向かってきた。その健気な姿に、思わず頬が緩む。


「にーに!にんに〜!あばばばばばばばばばば〜」


 まだ言葉を十全に使うことはできないようだが、僕のことを呼んでいるということは理解出来る。僕に抱きついてきた雨音は、僕の服を力いっぱい引っ張って遊んでいた。


「こら、雨音〜。お兄ちゃんの服を引っ張っちゃダメでしょ〜。」


 母が雨音を抱き上げると、雨音は不服そうに頬を膨らませた。そんな細かい仕草でさえ、僕は愛おしさを覚えずにはいられなかった。


 父がしばらく家に帰ってきていないせいか、なんだか空間が広々としている気がする。父は僕の誕生日に刀をプレゼントしてくれた後、京に呼ばれて出張をしている。


 父が刀を沢山作っているうちに、だんだんその名声が京まで響いたらしく、とある武家のお偉いさんが父を呼びつけたそうだ。それで、家には時々手紙とそれなりのお金が届くが、やはり父がいないというのは寂しいことだった。


 そんなこんなで夜になり、母と雨音が寝静まった頃、刑部が狸姿から人へと変わり、僕もそっと布団を抜け出した。


「一応...起きられてもちょっと手間やしなぁ...。東の豊穣、二番『寝陶檜樫(しんどうひがし)』」


 辺りに清涼な檜や樫のような香りが広がり、母達はより一層の深い眠りに落ちたようだった。刀を背負い、申し訳ない気持ちを胸にしまい込みながら、刑部と一緒に家を後にした。


 そうして、茶釜と合流して戦場跡地へ向かう。場所はそう遠くないようで、雑木林を抜けてすぐの原っぱだった。


 雑木林を抜けた瞬間、強い血の匂いが鼻をかすめる。ただ、辺りには死体がひとつもない。それどころか、綺麗な蒼い花が咲いているだけだった。


「おかしいの、確かに戦があったはずなんじゃが...。」


「よぉく見てみぃ。この花、蒼いけどもののけの炎で作られとる。これだけの広範囲を覆える力、警戒した方がええよぉ。」


 風が起こり、花が一斉に花弁を散らす。満月に向かって、花弁が吸い寄せられるように宙を踊る。


 その時、僕は目を奪われた。空を憂いのある目で見つめる、春雷のような銀髪の乙女に。その乙女が急に現れた疑問など、忘れ去ってしまうほどに僕は見蕩れてしまった。


 しなやかで華奢な指先が、踊る花弁をそっと撫でる。陶器を思い起こさせる白い指が一瞬蒼みを宿し、花弁が泡のように解ける。


 眼球が固定されてしまったのかと錯覚するほど、僕は彼女から目を離せなくなった。細い脚が、月の影を帯びて艶めかしく動く。一つ一つの動作でさえ、天才的な彫刻家が作り上げた稀代の銅像のように神秘的だった。僕はゆっくりと、恐る恐る彼女の表情を伺うように注意する。


 髪と同じ美しさを孕んでいる睫毛、くっきりした鼻筋、そして何より、息を飲むほど美しい真っ赤な唇と瞳。全身が白く、落ち着いた雰囲気を醸し出している中で、このふたつだけが鮮明な赤をしていた。


 彼女の目線が動く。どうやらこちらに気づいたようで、目が合った。すると彼女は少し微笑んで、その唇を少し歪ませた。


 その時に気づいた。彼女の赤は、彼女本来のものではなく、それが人の血であることに。

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