退路の先に
男に着いて行って、道場の奥へとオレは進み、そのまま汗の匂いがぎっしり染み込んだ剣道場に足を踏み入れた。
剣道場にはこの道場の門下生であろう武士が、竹刀を振るって訓練に励んでいる。
その数はおよそ十数名。これだけの大きさの道場に比べれば、不自然に思えてしまうほど門下生の頭数が少ない。
森で「なまはげ」の襲撃を受け、その数を半数にまで減らしたと言っても、これでは計算が合わなくなってくる。
そんな風にオレが不思議に思っていると、男はそれに気づいたのか、鼻を鳴らしてオレの疑問に答えた。
「アイツらは潔が良かっただけだ。負けて、逃げて、武士の命の刀まで放り捨てて。そのくせ、みっともなく生かされちまった。師範代が生きてりゃ、良くて破門。最悪、切腹だったろうさ。」
「じゃあここにいるのは、諦めきれなかったヤツらだってことかよ。」
「いいや?俺たちゃ、刀を捨てることさえできなかった半端もんだ。道場からも逃げたヤツらの方がよっぽど漢らしいぜ!」
男は、逃げたかつての仲間を擁護するように語る。その語り口からはなんだか哀愁が漂っていて、周りにいた他の門下生も男の言葉に、悲しいような面持ちをして頷く。
「俺ぁな、お前みたいにガキの癖して刀差してるヤツ見ると、ブッ殺したくなんだよ。殺す覚悟も、死ぬ覚悟もねぇ癖によ!」
男は腰に差していた真剣を抜き、刀で身を隠す青岸の構えを取った。男の言動とは違って、粗雑でなく洗練された、無駄のない形。
その構えを見ただけで、オレは目の前の男がどれだけの研鑽を積んできたのか手に取るように分かった。
足捌きや握り、それから呼吸にわたるまで、目の前の男は限りなく師範代に近いレベルまで至っている。
「ガキだろうと刀差してりゃ、もう武士だ。躊躇なく殺すぜ、俺はよ。」
「ハッ!その構えでよく言うぜ。見たところ、カウンター重視の型だろうが。」
「....へぇ。お勉強はしてんだな。そうさ!俺は柳生新陰流、免許皆伝の藤四郎だ。死ぬ前に覚えておきな。」
柳生新陰流。この流派の特徴はなんと言っても、攻防が一体になっているという点だろう。
輪之太刀と呼ばれる独自の所作で刀を振り、どんな攻撃であろうとも受け流してそのまま相手を切り捨てる。
言ってしまえば、字のごとく柳のような剣術だ。柳が風に揺られるように、こちらの攻撃にそよいだかと思えばもう相手の刀がこちらの首筋にまで迫っている。
『後の先』。武道ではしばしば、こんな言葉が使われることがある。
一見、矛盾しているそれは、こと柳生新陰流とは切っても切り離せない関係にあると言っても過言では無い。
要するに、相手の行動を完璧に見切った後で、紙一重でその攻撃を避けてカウンターをぶち込むという訳だ。
後から出て、先を取る。言葉にすればたったこれだけのことだが、そのこれだけが難しい。
「お勉強じゃあ攻め方は学ばなかったのか?来いよ、ホラ。こっちの肩はがら空きだぜ?」
カウンター重視とはいえ、それ一辺倒になってしまっていないのがこの流派の凄まじい所。
柳生新陰流は、相手を誘う技というのも潤沢に用意されている。例えば今、藤四郎がやっている肩をがら空きにして攻撃を誘う技、一刀両断。
これに半端に踏み込めば、オレの手首は切り落とされ、その上でさらに手痛いカウンターを喰らうことになる。
これほどまでにカウンター方面で充実している剣術は、巷にはそうそうない。だから、オレはこの流派について熟知している。
(つーか、普通に使い勝手いいからオレも使ってんだよな。カウンターって便利だし。)
オレは軽くため息をついてから、拳を構えて藤四郎に軽く構えを向ける。
「お前、マジで抜かない気かよ...!俺を舐めんのも、大概にしろやぁ!!!!!!」
藤四郎は肩を空けたまま、がら空きの肩を手前にしてオレの方に突っ込んでくる。
やや変則的な突進ではあるものの、藤四郎はカウンターの意向はそのままに、攻めの姿勢を崩さないという、まさに攻防一体の動きを見せた。
なるほど確かに、藤四郎の動きは凄まじい。ただそれは、柳生新陰流に限ってだけの話。
実践はもっと、複雑に動く。例え一つの剣術を極めたとしても、その剣術と相性の悪い攻撃が飛んでくれば元も子も無いのだから。
オレは相手の突進を左へと躱し、相手と向いている方向と自分の向きを合わせて、刀の柄に左手を掛け、右手で刀の峰を押す。
そんな躰道の刀取りを用いて藤四郎の刀を強奪。次に身を翻し、左手で刀を寸止めしながら、空いた右手で反撃を防ぐため相手の手を抑える。
あらゆる動きに古武術の瞬歩を混ぜこんで加速させた上、相手の手を抑えて反撃を防ぐ技は柳生新陰流の、中段十本目だ。
「お前.....!どこで学びやがった....。今のは....まさか?!」
「テメェの予想通り、今のは中段十本目の応用。師範代にでもならなきゃ使えねえ代物さ。テメェにゃまだ、早かったみてぇだがな。」
こう言っておいてなんだが、シュンを除いた屋敷の刀使いのヤツらの中でオレが一番、柳生新陰流の扱いが下手だった。
死んじまった頼光はもちろんのこと、綱なんかはもう規格外にも程がある。一連の流れどころか、技の起こりさえ見れねぇなんざ、もう人間じゃねえ。
刀を突きつけられた藤四郎は冷や汗を流して、両手を上げ降参のポーズを取った。俺はそれを見て刀を地面へ捨て、気を一瞬弛めた。その時。
「お前らぁ!!全員でかかれぇ!!!!とにかくこいつをブッ殺せぇ!!!!!!」
辺にいた数十人の門下生たちが一斉に刀を抜き、こちらに構える。構えの練度はそれぞれだったが、どれもこれも藤四郎ほどのキレはない。
「...ゴミがっ!」
向かってくる門下生たちを、オレは素手でボコボコにし続けた。ある者は蹴りで、ある者は絞め技で、またある者は肘打ちで。
ありとあらゆる技を使い分けし、オレは十数分かけて門下生を全員捌き切った。
しかし、人間の絨毯ができるほど伏した門下生が剣道場を埋めつくした中で、唯一再び立ち上がってきた者がいた。
それはもちろん、この中で最も強かった藤四郎だ。藤四郎は誰のものとも分からない刀を拾い上げて、ボロボロになりながら尚も立ち上がってくる。
「見くびって悪かったなぁ....!お前は強ぇ...。強ぇよ....!だから、お前にゃ負けられねぇ....。」
藤四郎はボタボタ鼻血を撒き散らして、震える膝をガンガンと殴りつける。それから鼻水だか涙だか、どっちか分からないような液体を流して、震える声でオレに刀を向けてきた。
「そんだけ強けりゃあよぉ、俺らの気持ちなんか分かんねぇだろ。みっともなく逃げて、あんだけ嫌ってた頑固ジジィの師範代に守られてよぉ。そんで刀も捨てれねぇで、未だにこんな男臭い場所に拘ってる。」
「惨めだよ。みっともねぇよ!俺たちは全員、お前の言う通りゴミだ!武士の風上にも置けねぇ、正真正銘のゴミなんだ!!でも、でもよぉ。俺は...俺たちはっ!!柳生新陰流なんだよ!!」
「産まれてこの方、剣を振るしかやってこなかった!!剣に捧げた俺らの人生、それで高みに届かなくても!!剣を振るしか俺らは知らねぇ!!!!!」
漢が吠える。まだやれると、剣はまだ振れると、そう吠える。
オレはそんな藤四郎の姿を見て、刀を抜くことを決意した。
「テメェの流儀で相手してやる。行くぞ、受けきってみろ!藤四郎!!」
銀を鈍く光らせ、鋭い一閃を殺す気で藤四郎に向けて放つ。
それに相対する藤四郎の構えは、柳生新陰流、一刀両断。
スっと二本の銀の筋が走り、勝負は一瞬で決着した。袈裟に血を吹き出し、地面に倒れる藤四郎。
「.....死んだか。」
そう思った刹那、オレの手の甲から、温く赤い一線が流れ出す。藤四郎の一刀両断は、未熟ながらオレに一矢報いたのだ。
このことから恐らく、藤四郎に着いた傷も致命傷には至っていないだろう。その証拠に、藤四郎呻き声を上げながらも、もう既に片膝をついている。
「なぁ、藤四郎。お前はオレを強ぇと言ったな。違ぇよ、オレは弱い。テメェが思ってるよりもずっと弱ぇし、なんならテメェ以上のゴミクズさ。」
「守りたいもんがあった。なのにオレはそれを自分で傷つけて、心を壊して。あまつさえ、勝手に相棒に託しちまった。武士の風上にも置けねぇ、ゴミってやつだ。」
なりたかった。オレは、あいつの英雄になりたかった。囚われのあいつを、夜に雁字搦めだったあいつを、オレがこの手で救ってやりたかった。
それをオレは、自分で勝手に諦めた。立場があるとか、弱いからとか。そんな言い訳で心を守って、オレは逃げた。
本当は、拒絶されるのが怖かったんだ。シュンに惚れてるあいつに、あなたなんて好きじゃない、って言われるのが怖かっただけだ。
「逃げて、目を背けて、惨めに泣き喚いて。それでも、テメェはその師範代に、何を託された?」
「俺.....は......。託され....た......?」
「そうだ。テメェは託されたんだよ。テメェの師範代に、剣を!想いを!繋いで欲しかったから、師範代はテメェをわざわざ逃がしたんだろうが!!」
「剣振ることしか脳がねぇならオレが教えてやる!オレと来い!そんで仲間と師範代を散々奪って好き放題してやがる「なまはげ」に、一泡吹かせてやろうじゃねえか!!腐ってもオレたちゃ武士だ、弔い合戦と行こうぜ!!」
片膝をついている藤四郎に、オレは手を差し伸べる。その瞬間、藤四郎の瞳に、再起の炎が宿ったのをオレは見た。
「あぁ....。ああ!」
藤四郎が、ガシッと力強くオレの手を掴んで起き上がった。その顔は、出会った時とは見違えるほどに晴れやかなものになっている。
「いいツラするようになったじゃねぇか、頼りにしてるぜ!藤四郎!!」
「任せろってもんよ!俺の.....ガフッ!」
「えっ?藤四郎おおおおおおお!!!」
傷口から大量に血が吹き出し、藤四郎は再び倒れてしまった。オレはそれを門下生たちと一緒に介抱し、何とか藤四郎に包帯を巻いて傷の手当をした。




