バスルーム
「おじゃましましたぁ。」
夏休みに入ったばかりの、まだ明るく蒸し暑い玄関の外へ、3人の友達を送り出して、鍵を閉めるとさっさとリビングに入る。さっさと戻ってきたのは、蒸し暑い空気がいやだったからとか、見たいテレビがあるからとかそういうことじゃない。一人でいるのがいやだったからだ。
夏休みに入ったばかりで部活も午前中で終わったため、昼過ぎからうちに集まって4人でゲームをしていた。スポーツゲームやら格闘ゲームやら2時間ほど楽しんだ後、どういった流れだったか怪談を披露し合うことになってしまった。雰囲気を出すために、とかいってなるべく暗くした部屋は、まだ夕方とは言え結構暗くなったし、こいつらは自分の部屋に帰ることができるけど、俺は自分の部屋だから、もし万が一悪い霊とかを呼んでしまったらどうするのか、と気が気では無かったのだが、びびっていることを指摘されるのがいやで何も言えなかった。
「じゃあ、俺から行くぞ。」
床の上に円を描くように座った俺たちの顔を上目遣いで順々に見回してから、にやりと笑って優也が話し始めた。
「小学校の修学旅行の夜の話だ。俺たちが泊まったホテルは、廊下なんか少し薄暗くて寂れた感じのホテルだったんだが、その客室にはある恐ろしい噂があった。」
声を低くして、わざとらしく抑揚をつけたしゃべり方はどことなくおかしかった。
「ベッドが3つ並んでおかれていて、真ん中のベッドの向かいの壁には、大きな鏡がついているんだ。ほら、鏡の前に小さなテーブルなんかがあったりするだろ?ああいうやつ。」
キャラを徹底しきれないあたりが優也の良さだと思う。ひとまず、この話では、そんなにびびらずに済みそうだと胸をなでおろす。
「その鏡の中には、女の妖怪が住んでいるという噂だ。その妖怪はホテルに泊まる男性客を鏡の中に引きずり込んでしまい、引きずり込まれた客は出てこられなくなってしまうというんだ。そうして、なかなかチェックアウトに来ない客を、スタッフが訪ねるとそこには誰もいなくて、荷物だけが取り残されていたそうだ。」
「つまり、神隠しみたいなもんか。」
息をのむような感じで健太がつぶやく。
「ああ、そうだ。しかもその女の妖怪は決まって真ん中のベッドに寝ている男を狙う。布団から出ている足をものすごい力で引っ張って、抵抗する間もなく鏡の中へ引きずり込んじまうんだと。」
「足が出ていなきゃいいのか?」
俺は信じている訳ではないが、なんとなく焦ったような聞き方になってしまった。
「ああ、布団の中にしっかりと足が入っていれば問題ないらしい。」
「そこで俺たち3人は誰が真ん中のベッドで寝るかをじゃんけんで決めた。幸運なことに俺は鏡から見て右側のベッドを確保することができたんだが、、、。」
沈黙。その場の全員が話の続きを固唾をのんで待つ。
「真ん中になったやつは、そんなの嘘だろ、とか何とか言って平気そうな顔をしてたし、消灯の時間になって俺たちも寝たんだ。そしたら夜中、うわぁって声で飛び起きてみたら、ベッドの足下の方で真ん中で寝てたやつがうずくまってんだよ。」
「どうしたって声かけたら、『足を何かにつかまれた』って言ったんだ。でかい声で叫んでたし、俺たちもすぐ起きたから助かったのかもしれないが、あの鏡には確実に何かがいたんだ。」
「意外とちゃんとした話じゃねえか。」
雅人が余裕そうな笑顔で言った。意外と、じゃねえよ、鏡なんかどこにでもあるし、もしその女が鏡の中を移動しているならどこででも起こりうる話じゃねえかよ、と思ったが悟られないように少しだけ笑ってみた。
「よし、次は俺が行こう。」
余裕そうな雅人が話し始めた。
「霊は水辺に集まってくるって話、知ってるか?」
雅人がみんなを見回す。みんな小さくうなずく。もちろん俺だって知ってる。常識だ。
「その霊を感じて、カラスも集まってくるんだ。」
これは知らないだろう?という顔で見回す雅人。
「ある小学校のプールで起きた出来事なんだが、いつも通りにプールで授業をしていたA先生だったが、授業が進むにつれてプールの周りの柵やら、校舎のへりやらにカラスがいっぱい集まってきているのに気づいたそうだ。なんか、いやな感じがしていたが、授業の残り時間はあと少しだったし、天気が悪くなってきた訳でもない。予定通り、最後の何分間かを自由時間にしてプールから上がったんだ。」
俺は、小学校のプールの周りをたくさんのカラスが囲む様子を想像して、鳥肌が立った。
「自由時間の終わりを知らせる笛を吹いて子ども達がぞろぞろとプールサイドに上がっていくのを見届けていたA先生だったが、プールの真ん中辺りに浮かんでいるものを見つけて、青ざめた。子どもがうつ伏せになって、浮いていたんだ。」
これもまた、リアルに想像できてしまって背筋が寒くなる。横目で見た他の2人も少しこわばった顔をしている。
「慌てて飛び込んでプールサイドにあげ、他の先生とも協力して何とか一命は取り留めたそうだが、息を吹き返した途端、カラスが一斉に飛び去って行ったんだってさ。明らかに、カラスはわかっていたんだよ。人が溺れることが。」
「そ、それじゃカラスは霊を感じて集まってきていたってのか?」
健太が動揺した様子で聞く。
「どうだろうな。カラスは死者の肉を食う生き物だろ?だから、死の匂いを敏感に感じ取れるのかもしれないな。」
小学校の話なんてずるい。様子がありありと想像できてしまう分、怖い。
「じゃあ、次は俺だな。」
健太が座り方を整えて話し始めた。
「扉が別の世界に通じてしまうことがあるって話なんだ。」
もう、途中で口を挟もうという雰囲気でもない。
「今ある世界は、何本もある世界線のうちの一本で、決して交わらない平行線の様な世界線が別次元には何本も存在しているらしいんだ。例えば、分かれ道で右を選ぶ世界と左を選ぶ世界みたいに、何か選択をしたとき、世界は分かれていく。でも、時々、別の世界線に行ってしまう時があるんだってさ。その入り口が、何の変哲も無い扉なんだと。」
少し小難しい話だ。健太らしいと言えば健太らしい。
「俺の父親がその別の世界線に入ってしまったかもしれないんだ。」
「え、お前の父親が?」
思わず聞き返してしまった。
「ああ、もう5年も前の話だけど、これは実話だと思う。」
「5年前の夏、父親は家にいた母と俺を置いて消えた。財布を手に持って玄関に向かうところを母が見ていたらしい。ただ、どこに行くとかは言わず、玄関の扉を開けて、あれっ、と言って傘を持って出ていったんだそうだ。あれって声を母は聞いているし、見たわけではないけど父が使っていたビニール傘が傘立てから無くなっていた。」
「その感じだと、予想外の雨が降っていたけど、歩いてコンビニでも行ったんじゃないのか?その途中で、何かがあったとか、、、。」
雅人が口を挟む。
「ああ、その日は快晴だったんだ。通り雨も降らなかったし、予報も出ていなかった。警察が近くの監視カメラを捜査してくれたんだが、1台も父を映したものは無かったらしい。つまり、家を出て近くの監視カメラまでの間に消えたか、そもそも違う世界線に迷い込んだか。」
「神隠し」
優也がぼそっとつぶやく。
「本当に神隠しだよ。俺と母は、訳がわからないままだ今も暮らしてる。どうだ?怖いだろ?」
正直めちゃくちゃ怖かった。怪談は大抵が、出所不明な場合が多い。テレビとかでやっていても結局は遠い世界の話で片付けられる。でも、こいつらの怪談は全部が身近で、健太の話なんか当事者じゃないか。こんな怪談話として語るべき内容でもないだろうに、今まで知らなかったから、誰にも話していなかったことを聞いてほしかったのかもしれない。
「おい、後は、蓮、お前だけだぞ。」
雅人につつかれる。
「仕方ねえなあ。これの後にしゃべっても何も面白く無いと思うんだけど。」
いやいやながら話し始めた。
「かくれんぼのもういいかいって、あるだろ?あれは、6回目まで返事を返さないで7回目を聞くと返事を返さなかったやつは、二度と見つからないんだって。」
「そんなの聞いたことねえぞ?」
優也が言う。
「ああ、俺も小さいとき姉ちゃんから聞いた事があるだけなんだけど。かくれんぼって、もういいかい、には、まあだだよ、か、もういいよ、で返す決まりになってるだろ?あれは、まじないみたいなもんなんだって。だから、必ず返さなくちゃいけないんだ。でも、見つかりたくないからっていって、返さないとするだろ?そうすると、7回目で本当に消えちまうんだってよ。」
「ああ、かくれんぼで返事返さないと見つけてもらえないぞ、みんな帰っちゃうぞっていう教訓的な話か。」
健太がそう言うと、みんなも納得していた。
「まあ、そういうことかもな。」
俺も聞いた話だし、とか何とか言って終わりにした。その後、ゲームを再開するという空気にもならず、今日のところはお開きにすることにした。
リビングに戻ってきた俺を見て、母が声をかけてきた。
「晩ご飯用意しておくから、先にお風呂入ってきちゃえば?お姉ちゃんはもう済ませたわよ。」
「わかったぁ。」
あまり乗り気ではないのが伝わるように返事をしたつもりだったが、母はそれ以上何も言わなかった。この怪談の後の風呂はいやだ。水回りだし、鏡もあるし、扉もついている。いや、しかし、仕方ない。汗もかいているし、ご飯がまだできていないのであれば、シャワーを浴びるだけでも先に済ませておきたい。意を決して、一度部屋に戻り着替えを持って、バスルームへ向かった。
なるべく速く動いて電気をつける。いつもなら、さっさと服を脱いで、あがってきてから引き出しを開けてタオルを用意するのだが、今日は違う。タオルをしっかりと用意をして、すぐに逃げ出せるように服を着たまま浴室の扉を開けよう。浴室の中の電気をつける。シャンプーやらボディーソープやらが置いてある白いラックがぼんやりと扉に映る。ラックだろう、ラックだろうけど、もし違っていたら。そう思うと心拍数が上がる。黒くぼんやりしているところは、いつも通りであれば鏡だ。いつも通りで無かったら、どうだろう。この扉を開けたら別の世界線に入ってしまうかも。そうしたら、あれはラックではなく女の妖怪になっているかもしれないし、鏡ではなく黒いカラスの集団かもしれない。と思うと開けられない。
が、埒があかないので、えいっと思い切って開けた。その時、目はつぶらなかった。もしつぶってしまったら、開けられなくなりそうだったからだ。浴室の中は、いつも通りラックはラックだったし、鏡は鏡だった。
服を脱いで、浴室に入り、しぶしぶ扉を閉める。シャワーをだし、体の汗を流していく。髪を洗うのがいやだ。もし目をつぶっているときに鏡から女が現れて引きずり込まれたら、目を開けたらそこに幽霊や妖怪がいたら、どうしていいかわからない。でも、いつも通りであればそんなことはないはずだ。意を決する。目を閉じて、髪を流す。シャンプーを探して、、、視線を感じる。明らかに誰かに見られている。後ろだ。今俺は鏡に向かって立っている。つまり、このままだと目を開たとき、鏡の中に映っていることになる。まずい。別に手出しをしてきそうな雰囲気はない。つまり、目を開けなければ存在を見ることなく、気のせいだった、で済ませられる。どうかこのまま消えてくれ、と願いながらシャンプーを続行する。シャンプーを流す。いや、まだいる。そのままリンスも手探りで見つけて、続けてしまおう。いや、手探りの手に何か当たってしまったら、ラックでもボトルでも無い、何かに当たってしまったらどうしよう。目を開けるべきか、手探りで行くべきか。気配は後ろにしか無いことを考慮して、手探りで行くことにした。無事にリンスを探し出し、髪の手入れをする。シャワーで流す。もはや、待ったなしだ。これ以上は、目を開けないわけにはいかないだろう。鏡に何も映らないことを祈って目を開けるしか無い。気配は未だに感じるが、危害を加えてきそうなものではない。はずだ。おそるおそる目を開けてみたが、鏡には何も映っていないし、再三感じていた気配も消えた。その後は順調に身体を洗い流し、浴槽にも浸かった。最後の砦だ。この扉を開けてしまえば、もうそこは日常が待っているはずだ。ただ、この扉の先に何かがいるかもしれない、別の世界線に入り込んでしまうかもしれない。何より、こちらは裸だ。対抗のすべを持たないこの状況で、何者かと対峙しなくてはならない可能性がある。そのことが不安で仕方ない。
気配は無い。今しか無い!意を決して扉を開いた。エアコンの風だろうか、涼しい風を感じる。手早く身体の水気を拭き取り、Tシャツとハーフパンツを身につける。よし、これで安心できる。
バスルームを後にして、リビングを覗く。おや?誰もいない。夕飯を作っていたはずの母の姿もないし、見たいテレビがあるとソファを占領してテレビにかじりついている姉もいない。夕飯のおかずでも足りなくて、買い足しにでも行ったかな?特に疑問に思わず、部屋に戻った。中は、さっき着替えを取りに来たときと変わらない。静かすぎるのがいやだったので、適当にテレビをつける。
「もういいかい」
薄暗い画面から、幼い女の子のような声で呼びかける声。かくれんぼ?ホラー映画のワンシーンか何かか?そう思って慌ててチャンネルを変える。
「もういいかい」
同じ声。画面も薄暗いまま。テレビに向かってリモコンの4を連打する。
「もういいかい」
声が大きくなってきているような気がする。リモコンを投げた。慌ててリビングへ向かう。誰もいないリビングでも、このおかしな声よりはましだ。ソファに飛び乗り、クッションを抱える。静寂。人の気配も感じない。ただ、しーんと静まった部屋を見回す。作りかけの夕飯。健太の父親の話を思い出す。これは、まさか別の世界線に迷い込んでしまったのか?それなら、扉を開ければ戻れるかもしれない。そう思って動き出そうとしたときだった。
「もういいかい」
テレビよりもはっきりと、大きな音で聞こえた。まるで、窓の外で大声で叫ばれているような。
「もういいかい」
ガチャっとドアノブが回される音がする。やばい。リビングには、隠れるところなんて無いのではないか。きっと、この平行世界に入る扉になったのはバスルームの扉だろう。そこまで、見つからずに行ければ、、、。
「もういいかい」
完全に玄関にいるのがわかる。女の声だ。子どもかどうかはわからない。誰かもわからない。顔が引きつっているだろうし、足が震えるのがわかる。でも、今走り出さなきゃ、やばい。見つかる。
「もういいかい」
女の声は、リビングの1つ手前の部屋に入った気がした。ダッシュ。足音なんか気にしていられない。とりあえずバスルームの扉をくぐらなきゃ。バスルームの扉を開けて、中に倒れ込んだ。
「もう蓮ったら、いつまでお風呂入ってんのかしら。お姉ちゃん、見てきてちょうだい!」
夕飯の支度を終えたらしい母がテーブルの上を整えながら、ソファの上の姉に声をかける。
「えー、中学生にもなって一人で風呂入って出てこられないとかどういうことなのよぉ。」
いやいやながら姉が動き出す。
「ねえ、蓮~。はやく出て~。」
返事が無い。
「蓮~。開けるよ~。あれ?」
そこには誰もいなかった。
怖い話って、題材が身近であればあるほどリアルに想像ができて怖いですよね。トンネルとかお墓とか、あまり日常の中に登場しない心霊スポットよりも、学校とかバスルームとか。誰にでも、今日にでも起こりそうな事だから余計に怖さを増長させるのかもしれませんね。