上洛する(中)
少しの間、物語は俺こと蔵王陸の視点から離脱する。健闘を祈る。
七ヶ宿理奈の訃報を聞いたファン達は悲嘆に暮れたが、どこか「ああ、そういう事もあるかもしれないな」と奇妙に納得している部分もある事を認めざるを得ない。
その是非、(女の子達への扱いを主とした)問題点は置いて、現代に於いてアイドルとはその道のエキスパート達による徹底したプロデュースと管理によって作成された加工製品である。昔の様に、生まれながらにして即日芸能人としてやっていける様な傑物をただ待っているだけの体制では、正直な所、需要にとても追いつけないという事情もある。「可愛いは作れる」のではなく「可愛いを作っていかないともうどうにもならない」のだ。
だから、そうした業界の現状の中で、天然自然のままどこからともなくやってきてステージに立つ様な娘は今や逆に不自然ささえ漂い、その妖しさこそに惹き付けられる者もまた多い。
この頃のそうした「人為によらないアイドル」とも言うべきアイドルの代表格が白川千歳であり、七ヶ宿理奈である。
「ほら、まだ義務教育だし、アイドル活動も程々にしとこうよ、って家族に言われちゃったからねえ。受験もあるし。有名私立? いや、普通に地元の高校へ行くよ?」
そう言って、白川千歳は人気の上昇と反比例する様にメディアへの露出を減らしていき、今では半引退の様な状態なので、前述の天性のものを尊ぶ人々の支持は、勢い理奈の方へ集中した。
デビュー前。地元で地域の祭りが、あるいは公共施設の竣工式等が執り行われる時、理奈はだいたい出向いて歌って踊っていた。噂を聞いて様子を見に行った某プロダクションの社員によると、
「昔ながらの町祭りのプログラムに、地元高校の吹奏楽部とか婦人会の何とか音頭とかに混じって、七ヶ宿理奈という個人名が載っている。まだ何も成していないはずの、何の肩書も無い女の子の名前が。そしてその事に、僕が行った時点で町の誰も疑問に思っていなかった」
その社員は、微笑ましい出来のステージに立った彼女の歌を聞いて、そのまま名刺を渡して全力で口説いたと言う。
「歌うのは得意だから、いつどこで歌えって言われても歌えるよ。でも、喋ったり演じたりするのは教えてね?」
そう言う理奈の言う通り、歌に関して教える事は無かった。厳密に言うと彼女を担当したトレーナーは少し迷った。歌という「学問」を修める段階で、当然身に着けていなければならない基礎が二つ三つ、彼女には欠けている様に思えた。だが、独学のままでここまでに達した才能に余計な口出しをするべきだろうか。考えた末、トレーナーは自分は通常生徒にはこう教える、と前置きしてから幾つかの技術をあくまで知見として教えて、そのまま芸能界に放り出した。
その歌声を、多くのファンが愛した。
シングルが何十万枚売り上げたとか、ヒットチャートに何週連続で何位に入ったとかいう結果を、見ようによっては、理奈はどこか泰然と受け止めている様に見えた。一部の人間からの批判もあったし、すごい大物じゃないか、と褒める者も居たが関係者からはまた別の視点があった。
「喜んでいなかった訳が無いですよ。七ヶ宿さんはステージの外では基本、多少人見知りではにかみ屋で小心者の、普通の女の子でした。そういう性格が時に、素直に喜びを顔に出さない、と誤解される事もあった様です。ステージの上、自分の得意なフィールドでは無駄に気が大きくなる所も含めて、彼女は普通の女の子でした。怪物の様な才能を持って生まれただけの」
年末の歌番組への出演や、映画出演のオファーがあったりした最中、とある感染症に罹患して合併症を併発し、あっさりと死んだ。アイドルとしてデビューしたその年の内の出来事だった。
しのぎを削って人気を競うアイドル業界で、特に努力を必要とせず、特に誰かの助力を必要とせず、ただ歌いたい場所で歌ってどんどん上り詰めていく理奈の存在は、他のアイドルから見て率直に理不尽な存在であったろう。
そんな彼女が数ヶ月足らずで芸能界の話題の多くを独占して、そのままに全然別種の理不尽に飲み込まれて消える。
酷い物言いかもしれないが、いっそ物語として美しく完成しているとさえ言えないか。彼女のファン達がどこか凶報に、そうか、そういう終わり方か、と合点してしまうところがある所以である。
納得する事と、辛い事は別問題である。
理奈が死んでおよそ一月後に開かれたお別れ会に、ファン達は粛々と参列していた。悲しみを共有する為であり、ほんのひと季節だけステージの上を駆け抜けていった夢幻の様にも思える彼女が確かに実在した事を再確認する為である。
色々な思いを噛みしめ、あるいは押し殺して参加しているお別れ会の様子が、だが少し様子がおかしい。
壇上に、お別れ会としては定番の、花に囲まれた故人の写真が無い。いや、先ほどまで在ったのだが、会場のスタッフが慌ただしく片付けていってしまった。会はまだ始まってもいないのに。
だいたい当日になってから、こういう場のスタッフがあたふたしているのは何事か。故人を偲ぶ空気がぶち壊しになるでは無いか。
苛立つファン達の心理を、更に逆撫でする様な物が幕の中から壇上に運ばれて来る。花に囲まれた、それは大きな棺だった。中央に据え置かれると、表側を座席側に向かって約70度の角度で立てられる。
棺に蓋は無い。中には副葬品に囲まれ、目を瞑った理奈が居た。衣装は知る者は知る、デザインはされながらも彼女の早逝により身に着けられる事が無かったステージ衣装。
「おい……」
「ちょっと、これ」
何人かが思わず呟く。理奈は一月前に死んでおり、無論正式な葬儀も火葬も終わっている。つまり壇上のあれは良く模した人形に違いないのだが、誰が思いついた企画か知らないが、いくらなんでも悪趣味が過ぎるのでは無いか。
「ねえ、聞いていた内容とずいぶん違うのだけれど!」
会場の想いを代表するかの様に、年配の女性が声を荒げた。理奈の親族だろうか。
「こんなふざけた会なら、開かせるんじゃ無かったわ! さんざん働かせた子に、最後にこんな――」
人形が目を開いた。
年配の女性が声と色を失う。
がさり。
棺の端に手をかけて、理奈の人形がゆっくりと起き上がって、棺から一歩壇上へと進む。
会場内は静まり返っている。年配の女性同様、会場の他の全ての人間が声を出す事さえ出来ない。奇跡。悪戯。幻覚。何にカテゴライズするべき事象かは不明だが、いずれにしても常軌を逸した出来事が、今目の前で起こっている。
「えーと……、うん」
人形は、人見知りではにかみ屋で小心者のくせに、ステージの上ではテンションのままに色々やらかしそうな。そんな困った表情をしていた。
「……えー、なんか、ごめん。みなさんせっかく集まってもらったけれども、お別れ会は中止です」
そう言って、申し訳程度に頭を下げる人形。……いや、この会場に居るのは理奈のファンばかりなので、態度で解ってしまう。事ここに至っては認めるしか他に法が無い。これは本物の七ヶ宿理奈に間違いなかった。
「――と、言う訳で。ここから先は、七ヶ宿理奈の復活記念ライブ! デビューから死ぬまでに歌った三曲、ノンストップで行くよ!」
彼女のデビュー曲のイントロが、会場に流れ始める。
「いやいやいやいや」
「待って、待って」
最前列のファン達が、会場内の微妙な空気を代弁すべく声を挙げる。どうにかこうにか口を開く余裕だけはできた様だ。
「ちょっと音楽止めて。無理」
「お別れ会に来た人間に今の一言で、今すぐライブのテンションになれとか暴力だから」
「……何? 何か、問題あった?」
とにかくも一度演奏が止まった会場で、理奈が心底不思議そうに問う。
「その辺の情緒が理解出来てないっぽい天才っぷりで、どうやら理奈ちゃん本人らしいって判断出来る所が嬉しい様な微妙な様な……」
「とりあえず……これ何? 何これ?」
「何だと言われても」
理奈が首を傾げる。
「ドッキリ?」
「…………」
一月前、理奈が死んだ所から実はドッキリでした! と言う話だったら、ファンである事とか理奈がまだ未成年である事とかをひとまず置いて全力で引っ叩いてやる所であるが、そんな訳は無い。警察や病院がテレビ局の企画につきあう筋合いは無い。彼女は間違いなく死んでいた。
「ええとね?」
できの悪い生徒に何とか理解してもらおうとする教師の顔で、
「お別れ会かー、どうせ皆は解らないだろうけど、参加してた方がいいのかなって思ってたら、『蘇生屋』さんが来てね?」
理奈は一から事情を語り始めるのであった。
美しく完成した彼女の物語とやらは破綻して消え、種々雑多な日常が続いていく。
神奈川のとある中核市、その中心地に比べれば郊外は事件や事故も大分少なく平和なものである。特にこの辺りは、人家よりもむしろ墓地、霊園の類が多い様な地域なのだ。一般に、仏様は犯罪を犯さない。
凶悪事件や大きく報道される様な事件は自分が住む町では起こるまい。似た様な環境のほとんどの地域で暮らす人が無根拠にそう信じている様に、柴田巡査も少し油断している節があった。
だから、
「公園墓地に複数の全裸の男女が居る」
と言う通報があっても、まあいい陽気だからな、としか感じなかった。確かに、それほど珍しい内容の通報でも無かった。
複数の、と言う事であれば同僚の大河原と二人だけで向かうのは少し心もとないかもしれないなと、無線で近隣のパトカーと交信しながら現場へと向かった。
「うーむ」
そして、公園墓地に着くまでも無く、途中の県道沿いを全裸の老若男女が数十人余り、恐らくは100人に迫る数が徒党を組んで歩いている様を見て、やっと事態はもう少し深刻そうだと考え直したのであった。
「どうする? 応援を待つか?」
大河原巡査が聞いて来る。声に若干怯えの色があった。もっとも、全裸で整然と外を歩く集団を見て怖じ気づかない人間は余りいないであろう。
「まあその、なんだ。……見るからに丸腰だし、ちょっと声ぐらいかけても良いだろう」
それでもあまり刺激しない様にしようと思い定め、柴田がパトカーから出る。
全裸の集団はパトカーの出現と柴田の姿に、明らかに委縮しているが、その場から逃げ出したり襲い掛かってきたりする様子は無い。一般人、通常人のメンタリティである様に思えた。
「やあ君、何かのデモ活動かい? そういう報告は受けていないんだが、事前に警察に許可を取らないと拙いよ」
一番近場に居た青年(全裸)に声をかける。
「……んー……。いや、そういう訳では無いんですよ」
「そうか。でも、集団で路上を占拠していると、どっち道そういう扱いになるんだ。あと、君たちは実はもう一つ罪になりかねない事をしでかしている。解るかい?」
「はあ。まあ、――何となくは」
「何となくでも把握してくれているなら助かるね」
柴田が破顔する。
人によっては激昂しかねない受け答えだったかもしれないが、柴田は元々いかつい顔の割に温和な警官として地域住民達からも慕われている人物である。もっとも、これだけの全裸の集団の前で声を荒げるのは悪手であると、大抵の人間なら判断出来た。
「これ、全部で何人位居るんだい?」
「全部で89人らしいです」
「なるほど。……まあ、ともかく。主催と言うかさ、リーダーは居るのかな? このまま町の方まで歩き続けてもらう訳にも行かないし、若い女性も居る様だ。何にしても、何かを着て貰わないと」
「やあやあ、申し訳無い!」
先頭の方から、大柄な男が戻って来る。
「どうしてもすぐには衣服が都合出来なくてね! 本件は、全て僕の責任と言う事にしてくれないか」
野太い、良く通る声だった。
「あなたがリーダー?」
そして、いつかどこかで見た声と聞いた声だと思った。
「ああ。兄貴に、連絡をとってくれないか? あいつ、本ばっかり書いていると思ったら最近は自分でも映画を撮り始めたんだろ? ここに居る人数分の服ぐらい、すぐに用意出来るはずさ」
自分の兄を、さも柴田にとって既知の人物の様な言い方をするが、柴田は兄どころか目の前のこの男にすら面識が――。いや――。
「――御大将ッ!」
背後から叫び声がした。
振り向くと、パトカーから降りた大河原巡査が、この恰幅の良い男に対して最敬礼で応じていた。
知り合いか、と開きかけた口が強張った。この国で、御大将等と大層な呼ばれ方をする人間はそれほど多く無い。一般的に言えばその呼び名は二次元的にはあるロボットアニメの敵方であり、三次元的にはこの国を代表する俳優であり――。
「……熊野さん。熊野洋二さん」
戦慄しながら柴田は呟いた。
郊外とは言え首都圏に近い、それなりに大きなこんな町に住んでいるのだから、有名人の姿を見かける事は稀にある。だが、これほどの大物を目の当たりにするのは初めてだった。
作家である兄・陽一氏原作の映画を始め、数多くの映画、ドラマに出演して平成のスターとして脚光を浴び、そして――平成が終わる前、一昨年の暮れに癌でこの世を去った伝説の俳優。
100年後に、この時代この国の代表的な俳優を挙げろと言われれば、50人が彼の名を挙げ、残りの50人はそんな大昔の演者など知らない、と答えるに違いなかった。
「とある人……蘇生屋、って言うの? その人に生き返らせてもらったんだがね、どうも詰めが甘くてね! 服までは再生出来ないと言うんだよ。まったく、困ったものだね!」
あはははは、といつか観た何かの映画そのままの笑顔で、全裸の洋二が笑った。
「……それは……災難でした」
本来優秀であるはずの柴田巡査が状況に追いつけないまま、妙に間の抜けた受け答えをしてしまう。
「それで御大将! こちらの方々は?」
代わりに大河原巡査が洋二に問う。
「ああ、彼らは皆僕のファンだよ。生前からの人も居るけれども、墓同士が近所だった誼でお喋りしてたら意気投合しちゃってね。一生着いて行かせて下さいだって。一生終わっちゃってるのにねって笑ってたんだけどさ、そうしたら
今回、僕を生き返らせたいって話が来たから、それならついでに皆も生き返らせてよって答えたんだよ」
洋二が答える。
「いやあ、悪い事したなあ、蘇生屋さん。一度に90人蘇らせた後は、さすがにちょっと疲れ気味だったよねえ」