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蘇生屋、海賊、小児科医

予定通りに俺の住む町と桜の居る隣の市でそれぞれ当日5名、翌日3名、翌々日2名ずつの計20人を蘇生。

言わば野良蘇生とでも言うべきこの行為はこの辺で一度打ち止めにして置いた方が良いだろう。現時点で39人、後から料金を回収しなければいけない対象が近隣市町村に散らばっている訳で、この時点でもう結構面倒くさい。

代わりに町の病院にふらりと出かけて、いかにも診察を待っている風に院内をふらふらしながら、出会う霊に声をかけた。今まで伝えた蘇生の為のルールを一通り伝えた後、更にこう付け加える。

『もう少し時間はかかるかもしれないが、その内週に三回、具体的には水曜土曜日曜に、永野スミ江の病室に旦那の永野康介が見舞いに来る様になる。料金は彼に渡すように』

とりあえず6人ほどに声をかける。蘇生させるタイミングはずらすとしても、一つの病院から集中して蘇る者が出てくるのは目立って良くないだろうか。ここでの金の受け渡しが上手く行くか見極めてから『集金人』を増やしていく腹積もりだったが、結果を待たずにどんどん他の場所でも組織化を進めて行った方が良いかもしれないな。



蘇生した人たちに口止めしているのは「蔵王陸の名前や素性に関わる事」だけであるので、自分たちがある人物に復活させてもらった事や代金が21600円である事、肉体が残っていなくても元通り又は改良した身体を再生させられる事などは既にメディアの間で既知のものとなっている。

テレビで料金を事を知ったとある女の子が、

「確かに値段は考え直した方が良いと言った気がしますけど、そうじゃないです」

と呟いたとか呟いてないとか。


皆の反応で一番多いのが、

「人間が死を克服する時が来た!」

「不老不死時代が来る」

と歓喜する人たちだ。

素直に喜ぶだけであればまだ良いのだが、中には思考が先走る人らも多く、

「死者を蘇らせて回るこの人物は神の遣いに違いない。末法の極東に、とうとう救世主が降臨なされたのだ」

「救世主だ。令和の救世主だ!」

とこちらを救世主呼ばわりする者もちらほら散見される。

令和の救世主、と言う字面はかなりダサいので止めてもらいたい。

「いや、ちょっと冷静に考えて欲しい」

一方で、俺の活動に批判的な者も多い。

「この人物が動き出して恐らく一週間から二週間位経過している。その間に死んだ人間の数に対して、『救世主様』に復活させて頂いた人の数は、どうにも少なすぎる。こいつは、命の選別をしているのではないか。自分に都合の良い人間だけを蘇らせているのではないか」

「復活者が今の所、I市、H町、K町、S市に限定されている。特定の地域に依怙贔屓をしている様で気に入らない。これらの町に引越せば生き返らせてもらえる、等と考えて転居する家族も現れるだろう。彼らの人生を変えてしまう責任を取るつもりはあるのだろうか?」

どうせ生き返らせるなら日本中、世界中の死者を全員生き返らせろ。そうでなければ不公平だ、と言うのがまあ大半の批判の根幹にある思考の様だ。

困窮者が、自分を助けてくれなかった傍観者よりも、手を差し伸べてはくれたが助け方が不十分だった(と困窮者が判断した)救助者をより憎悪する、と言う話をSNSで聞いた事がある。

死んだ人間の、ほんのごく一部しか蘇生させない俺は、ある意味で中途半端な救助者に過ぎないという意見は一理ある様に思えた。

だがまあ救世主呼ばわりも依怙贔屓呼ばわりも勝手な物言いであろう。こちらは世界を救おうとか新たな時代へ人類を導こうとか、そんな事は最初っからこれっぽっちも考えちゃいない。徹頭徹尾、この力を飯の種にする事だけを考えているのである。

「御存知の通り、復活に際してこちらは料金を徴収している。これは善意による奉仕活動などでは最初から無く、単純な経済活動なのだ。救世主と言う呼び名は身に余り過ぎる栄誉であり、辞退させて頂きたい」

これから蘇生する死者何人かに同じ文言を伝えさせる事で、声明を出しておこうと思った。

「繰り返すが商売としてやっている。私の事を呼称する必要がある時は『蘇生屋』と呼んで欲しい」

蘇生屋。

特に何のひねりも無く思い付いた肩書だが、奇をてらうのは苦手だし、理解りやすくて良いのではないだろうか。



「集金人」を見定めに、隣の市――I市までやってきた。

来たついでにこっそり刈谷家の様子を見てみると、数日前の、家人が蘇生してきた直後の永野家に比べれば数は少なくなっているものの、周囲はやはりマスコミが取り囲んでいる。復活して十日ほどになるが、桜はまだまだ元通りの生活に戻る事が出来ていなさそうだ。


「あそこの市民病院はヤブばっかりだ。通院していた知り合いは皆殺されてしまった。あそこは市民病院じゃなくて死人病院だ」

ガソリンスタンド常連の口の悪いおっさんがこの市民病院について、そんな事を言っていた。

どこでもそんなものだと思うが、この市民病院は基本的には他所の病院から紹介状を受けた患者しか受診しない。それこそ桜の様に交通事故等による緊急の医療が必要な場合は別であろうし、当人が強く望み、選定療養費というまあ割増料金みたいな代価を支払う事での受診も可能だが、要するにそうしたシステム上必然的に、この病院のお世話になる時点でその患者の症状は、他の病院でのそれよりも悪いケースがほとんどなのだ。

医者がヤブなのでは無く、患者達の症状がそもそも他より重いので、結果として死人も多く出る。いわゆる蓋然性の問題というやつだな。統計的におかしな点があったりすれば別として、病院側に責任は無い。

だがまあ、俺にとって重要なのは『死人が多い』という一点だけだ。良い稼ぎ場所になってくれそうである。


とにかく、問題の市民病院に到着した。

建物の中には入らずにぐるりと周囲を一回りして、見かけた霊の内で話の通じそうな奴らを選んで声をかける。

『病院の関係者とか、入院患者のお見舞いに良く来ていた人の中で、最近亡くなった人はいないか?』

一人目二人目から芳しい回答は無かったが、三人目の三十代前半位の男の霊に尋ねた時に有益な話を聞けた。

ずっとこの病院に勤めていた小児科医師が、身体を壊してしまい一年程前に退職した。「医者の不養生だ」と本人は笑っていたが、どうも生まれつきのどうにもならない病気だったらしく、療養の甲斐も無く二ヶ月前に亡くなってしまった様だ。年齢は俺位だったと言う。

『勉強だの試験だのと頑張って医者になったのに30そこそこで死んじゃう奴が居る一方で、同じ30年を俺みたいに何も積み重ねていないのがのうのうと生きている。人生ってやつは何なんだろうな』

『解らん。俺は死んでるから』

『生き返って、その辺をまた考えてみる気はあるか。俺は人を蘇生して回っているんだ。テレビ観てないか』

『ああ、あんた、令和の救世主か』

『その呼び名は好きじゃないから止めてくれ。世間には今後蘇生屋と名乗る事にするが、とりあえず本名は蔵王陸と言う』

二六じろうだ』

妙に時代がかった字を当てるものだと、その時は思った。

『生き返った時に料金を請求するらしいが、俺は正真正銘の一文無しだぞ? 戸籍さえ残っていないからな』

『なんだ。オバケになって長いのか』

『北条水軍て知ってるか』

……急に訳の解らない事を言い始めたぞ。

『いきなり幽霊に声をかけて生き返らせてやる、ってのも大分訳が解らんと思うがな。とにかく、凄えだろ? 俺、豊臣多国籍軍とも戦ってんだぜ?』

小田原の役を湾岸戦争みたいな言い方するな。

『どこまで本当かはともかく、確かに一定以上昔の幽霊は金を持っていないどころか、蘇生した後も稼ぐ当てがないな』

蘇生料金を徴収できない事は置いても、復活後にまともな人生を歩めそうにないというのは問題であろう。対応を考えるべき案件だと思った。

『とりあえずあんたみたいなのをどう処置すべきか考えていなかったから、蘇生はひとまず保留させておいてくれ。それでさっきの話だが、亡くなった医者の家なり墓なり知らないか?』

二六は医師の所在を知らなかったが、知っていそうな霊を何人かあたってくれた。せっかくなので病院で声をかけた二人や二六が声掛けした者らの住所を聞いて、翌日あたりに蘇生させる事を約束しつつ、教えてもらった墓に向かう。



御釜おかま誠太はいつかの永野の様に、自分の墓に腰掛けて本を読んでいた。二ヶ月前に亡くなった、と言う話なので平均的な日本人の現世滞在期限を過ぎている。成仏なり転生なりを心配していたが、良かった――と言うと、少し本人に失礼な物言いになるのだろうか。

『御釜くん』

憑いてきた二六が呼びかけると、透明な医師は本から目を離してこちらに視線を向けた。

『ああ、二六さん。お久しぶりです』

『本を読んでいるのか? 何の本だい』

『医学書です。自分の闘病にかまけている内に、子供らの病気や治療に関する情報がどんどんアップデートされましたから。追いついていかなければ』

そう言って笑う眼鏡をかけた男は、俺や二六(コイツはでも400歳以上か)と同年代らしいが、奇妙に若く見えた。退職してから死ぬまでの一年間、厳密には医者では無かったはずのこの男は、死後の出で立ちとして白衣に身を包んでいた。その格好が、この男の想いを如実に言い表している様に思えた。

『……追いついてどうするんだ? もう、患者を診る事は無いだろうに』

『あなたは?』

『蔵王陸だ。生前のあんたと、まあ似た様な商売をしている』

『御釜誠太です、初めまして。……そうですね、あなた、センター試験を受けた事はありますか? 後日、新聞に問題と回答が載った時、答え合わせをしませんでしたか?』

『まあ、やったかな』

『試験はもう終わったのに? 今更自分の回答が合っていたか間違っていたかといちいち確認しても、もう結果は変わらないでしょう?』

『そりゃそうだけれども。気になるだろう』

『うん、そうですよね。私もそうなんです。気になるんですよ』

御釜は手にした医学書にちらり、と目を落とした。

『私が子供達に施した治療は、少なくとも私が生きていた時は、最善と信じられていたものです。ですが、本当の所、それは正しかったんでしょうか。この先、新事実が判明して、まるっきり子供に悪影響だった、なんて事が判明する可能性だってゼロでは無いでしょう?』

医学上の常識がひっくり返る事はそう珍しい事では無い。

中世の瀉血あたりまで遡るまでもなく、令和の正に今現在でも、「運動中に水分を取ると疲れやすくなる」、「うつは気合の持ち様」等と信じて、自分の子供や生徒にそう主張する大人は普通に居るのだ。

『成仏してしまう前に、それをはっきりさせたいんです。自分がやった治療はやり直せないにしても』

『それがはっきりするのはいつになるんだ?』

『――さあ?』

ああ、こんなやつ、とても成仏出来ないわな。

『あんた、仮に生き返るとして、生まれつきの持病も完治するとして。他に何か治したいものはあるか? 生前の自分の体に、何か不満な所はあったか?』

『なんですか、唐突ですね。……そうですね、視力を良くして欲しいですね』

ちょっと考えて、御釜が答えた。

『医者は目が良いに越したことは無いです。子供のちょっとした異常にも、きっともっと気付けたでしょうしね』

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