ハプログループの時代変化
さらに中国についてまとめておこうと思う。縄文人ならまた違うのだが、弥生人の場合中国の人の流れが分かって無いと意味がなくなってしまう。朝鮮に人は居たって話しで多くの人は通過点って言葉を使って否定するのだが、例え数100年でもそれはそれで住民として良い。そうじゃないといろいろと説明が付かない事が起きる。例えば大きなのが稲の問題だ。源流が長江だとしても発展したのが半島なら、それは半島を通過点とするのは不味い。その担い手は住民とされて良い。
半島の先の起源に意味があるのか?ならそれが新たに話し合うべきことで、半島は無人だったというのは無理矢理な話しだ。話しが通過点っぽくなったとしても半島が無人だったと言うのは否定したい。半島が無人だったという論を語る人は例外なく、稲の直接伝播を唱える論者。この人達は同時に江南よりも近似な農機具の半島との共通性を無視する。
それは日本から伝わったんだという話しになる。なら日本の物はどこから来たんだ?となる。日本の遺跡は大量にあって、その中で起源的な発展段階の物は見つからない。逆に言えば半島の粗末な遺跡群がそれを補ってると言える。実際は山東省にそのルーツがある。ただこの場合私は見つけてない。そう言ってる人が居て、それを見つけられてない。半島との類似性は確かに似ている。ただその場合山東省から直接来たのは否定できない。
私は、遼東半島ルートよりも半島西海岸の方が妥当だと見ている。その場合、後ちょっとだしとつい東南部と日本海岸ルートを同一視してしまう。現時点であまり良質な遺跡が無いため、半島東南部ルートにしてるだけなので、西海岸ルートは考えにくいとは考えてない。何年そこに住んでいたか?なんて土地の権利みたいな話は重視しない。
C2系のスンダランドから北上した狩猟採取民以外は原住民といえるような長期の住人は私も居ないと思ってる。今の感覚だとすごく長いが、500年ぐらいなら、多分陸稲を使ったりした雑穀栽培の農民が間違いなく居る。これ結構重要で、アメリカってその程度しか経過して無いのだが?
新しい農耕民がいつからすみだしたか?それは土着の狩猟採取民が進化したのか?中国から移住したのか?それは分からない。その時期を特定するのは難しい。それに一番は明らかに江南出身の民族だと思えるO1b2がその民族だったのか?は定かじゃない。それは2つある。東北部にすでに雑穀栽培が始まっていた点。水田稲作の前に誰が雑穀栽培をして居たか?が分からない。
ただ細かい民族を無視するなら、O2系の漢族とは違うツングースや、N系の東北部の文明の担い手。最後にN系と融合したと思われるO1b2系。後に百済と高句麗を起こす騎馬民族は、土着の狩猟採取民とは違うC2系だと思われる。これは後でやってきただけで、狩猟採取のC2系は圧倒的に少なかったのと、おそらく骨の形状の変化から北方系じゃないので、半島のC2系は元王族の人達が多いと見ている。またはD1B系の可能性や日本に来なかったD*系の別系統やC1系も十分考えら得る。C2系とC1系は違う。朝鮮に居たC2系はすでに、モンゴロイドとして特徴が強く出ていて、オーストラノイドの系統とはもう違う。DNAからそれが分かっている。
今これが消えてしまっても何の問題も無い。こういったものは北方モンゴロイドとしてmtDNAハプロにきちんと残っているから。それは十分に原朝鮮人と言えるし、満州からの移住者なのは分かりきってるが、いつきたのか?分からない以上、通過点といえなく無人の土地じゃないと何の問題もなく言える。
N系も十分に考えられる。N系は謎なのだが、中国でも激減してまったがまだ残ってる、だがそれでもN系は何故か消えやすい。だからO1B2を含まないN系だった可能性もある。
日本のD1BやC2は考えにくい。それは遼河文明を中心とした満州方面に向かって同様の雑穀栽培文化があるので、N系やそれと混じったO2系と考えるのが妥当だと見ている。時代が新しくなるほどN系が消えていくので、O2系であった可能性が高いのと、それゆえに、現代のハプロからO1B2だと考えるとなおすっきりする。北部まで一貫して、雑穀栽培らしいプラントオパールの痕跡がある。単純な話しで、稲以外の穀物が多数見つかるので当たり前と言えば当たり前なのと、北部は近代まで畑作中心で、これが水田が出来る前は南部も同様だったというだけに過ぎない。米の遺伝子からも分かるのだが、自然に始まったはありえなくて、満州からの流入として考えるとその担い手のN系だった可能性が必然としてかなり高いと見ている。
今回話そうと思ったのは、このN系こそが中国文明を作ったものじゃないか?と思うから。プロト中国人と以前書いたものは?それをつなげたいのがある。黄河文明の代表的原型とも言えるのが仰韶文化になる。この担い手もN系になる。これらの周辺の文化でO2のM134系統が見つかった以外中国には今一番中国で多いこのハプロは居ない。
M134は、中国文明の初期においては脇役だったと言って良い。黄河文明に大きな影響を与えたのが、遼河文明になる。この2つの文明の担い手がN系だったとなる。中国人とはN系じゃないか?となる。本来ならそうなるはずだったがならなかった。おそらくトルコもN系。ひょっとしたらモンゴル高原もN系の可能性が高い。今でもNがしっかりとモンゴルの国民の中に混じってる。
ツングース、トルコ、モンゴル、そして中華。このすべてN系が作り上げた文明だと言える可能性がある。モンゴルは確定的じゃないが、ツングースはもう間違いない。それを連想するのもツングースよりモンゴル高原の文化に近い紅山文化がやや遼河文明の中で牧畜よりな部分がある。牧畜と狩猟はかなり近いものがあって、ツングースが牧畜化したのは農耕からまず牧畜にすすむ前段階として狩猟採取と絡めて家畜を飼っていたからがある。モンゴルもほぼ同じ生き方をしてたが草原だったため違う系統をたどっただけになる。
そうなるとモンゴルの遊牧の前の牧畜の流れを作ったのはN系である可能性が高い。
日本人には一部しか絡まないけど。日本海側になる。越前、越中、越後のあの付近。越と呼ばれた地域になる。実際は青森秋田になる。だがそれは後々いつもの様に後から来たハプロに乗っ取られただけと見ている。でないとこれだけしっかりした名前が残らないと思うから。ハプロが残ってるし多分あのグループはツングース系のNだと見ている。
以前この越が越国の越だと勘違いしていたが、高志を感じで別の字を当てただけらしい。ただ、越国の末裔が住むという伝説があるのも確か。越はO1Aだとハプロが分かっていて、多分違う。だがこれ多分南方系の民族の末裔って意味なら、O1B2と混血したN系がここにきた可能性は凄く高い。O1b2は残っていても回りと区別付かないので分からないだけで。
ただ時代が古いらしい。これはもう分からない。時代的に確かに縄文最盛期と遼河文明の時期は重なる。3つの見方があって、船をつかってきたのと、それが縄文と弥生になる。船を使ってはあまり取り上げられない。交流があったのは間違いない。ただそれが民族移動と言う大規模なものか?と言うと、その点旧石器時代じゃないか?とは言われている。
ただおかしいのは、なら何故高志なんて言葉が残ってるか?だが。それならやはりO1B2が着ていた弥生に近い時代と考えれないか?と見ている。ただ縄文最盛期にすでに来ていたも考えられる。有名な三内丸山遺跡が遼河文明と繋がりがあったのでは?と言う点で、玉の存在がある。だが、これ小規模なやり取りが合ったのと、N系が移住して発展させた文明だはかなり意味が違う。それを言うならまだ高志と言う言葉が残ってる弥生付近の方があてになる。ただこれ弥生より後だったかもしれない。文字として残る前に口伝で伝えられてきた可能性も高いから。
何故弥生以後か?と言うと、高志と言うのが、半島の渡来系の名字を指す言葉だから。実際はロシア沿海州だと思うが、その辺りはあんまり重要じゃないかと。高句麗がそのあたりまで支配していたため、高句麗を統一した新羅の後継と女真が名乗ってるのはそこがある。意図的にこんな名前が付くのは、渡来なんてものを意識した時代についたとしかいえない。何故なら縄文時代はすべての日本人が渡来で当たり前なので、いちいち言わないから。だから旧石器や縄文に来たのではなく、弥生付近に来た人達かなと。
何故じゃもっと後の時代じゃないか?と言うと、政府の文献に残ってないので、その前になるだろうと見てる。伝説だろ?ならそれは違って、神社とかに渡来のものだという名前のゆわれが多い。ただ天皇成立前なので記録として残ってない。そういう風に伝えられてるってのが残ってるだけになる。
他にも徳島にもN系があり、このルートは突帯文土器の流れがある。もちろんこれは九州から伝わった説が主流であるが、直接沿海州から出雲に伝わった説もある。この話しどっちが正しいかは分からない。ただ徳島に不自然に高いしかもNO系と言うのは気に成る部分。これはもっと古い系統の可能性もある。今だとほとんど残ってないので、そもそも中華文明の担い手であるN系とそもそも違う可能性がある。
ただこれ、他にも中国東北部に薄くいるので、この辺り一体に広がったもので必ずしも古い時代に来たと決め付けられないのはあります。島国ゆえに1000年2000年単位でも希少なハプロが残ってる可能性は十分にあります。古代中国のN系はN1です。だから珍しいといえばすごく珍しいのですけどね。もっと言えばシベリアに多いのはN1a1この系統が大半です。
ついでにこのNロシアを作ります。この流れは、まずロシアに流れ着きます。次に北欧に移り住んで、ここフィン人になるわけです。次にヴァイキングのIと混血して、フィンランド、スウェーデンのヴァイキングの祖先になります。この後この地方のヴァイキングがロシアを支配して王族になります。これでNが2重に増えます。土着の住民としても増えて、支配者としても増えます。これでロシアにいかにもアジア人って人物居なくてもNがしっかり残ります。
彼らが元々は東アジア人だと言うのはシベリアに残ったNが100%に近いヤクート人を見れば分かります。ただ最近は別系統の子孫のロシア人と混血してるという奇妙な事になってますけどね。N系がロシアを支配したというよりはIがその根幹でしょうね。フィン人とヴァイキングは文化が違うので、ロシアを支配したのはNが高かったとしてもあくまでヴァイキング文化にそまったN系だと思います。この点は日本の天皇と似てると思うし、天皇モデルの良い例だと思います。
近代まで伝統的な暮らしをしていたフィン人=アイヌ人で、すっかりヴァイキングに同化してロシアを支配したN系は同じ民族だと言えるのか?と言うと人種に囚われすぎてると思います。ロシアの場合そのまま残ってスラブと混血したおそらく農奴の人も多いのですけどね。その点は日本も似てますね。大陸の戦闘文化と合流した天皇。ただ天皇は半島に一度移住したか?は別ですけどね。こういう説もありますが、苦しいとは思っています。ただ一度移住して混血したのならこれほどロシアモデルと似たものは無いです。天皇の方が古いので、ロシアが日本も出るといえなくも無いですけど。
私は個人的に確定じゃないですが、天皇=D1Bだと確信しています。直接的じゃないが、傍証ってやつです。んまアイヌ人をフィン人じゃなくて、ヤクート人にしてもいいですけどね。ロシアって形で関わるので、その場合、ロシアの東進によって関わるので、もっとアイヌと近くなります。
Nのこの話をしたのは、仰韶文化の中で土器について、西方からの影響じゃないか?と言う話がある。逆にNが持って行ったのでは?と私はここから連想してしまったが、実際はこの時代かなり後になる。タイムパラドックスが起きるため東から西へはありえない。ただ色をつける彩陶って言うけど、これが似てるんだ。
この説否定されてて、その理由は中国と最古の中東を繋ぐ間の中央アジアの彩陶土器は時代的に繋がりが悪い。時代の年代に幅が広いので決定的に否定されないけど、無理がある説なのは間違いない。必ずしも強く否定できないって部分にツボあって、ソースが定かじゃないけど、この土器系統が2つあって、中国はつと西方発に分かれるんじゃないか?って最近新設が出てきた。どっちにしても、東から西へはありえないんだけど、それでついでにロシアに行ったN系の話をした。
そろそろハプロの重要性がこれでわかるんじゃないか?と思う。人の時系列的な流れがすごく分かりやすいんだ。どうもmtDNAはこれが上手く行かない。
さてこのもう1つの系統の話はN系からずれる。分かると思うけどコーカソイドの話しになる。西方から誰が来たのか?じゃ人骨は?これに関しては出てるとも出てないとも良く分からない。その前にどうやってコーカソイドはやってくるか?これが重要に成る。ルートとしては、ウイグルのオアシスルート。モンゴルの遊牧民ルート。この2つ。本当はチベットルート、東南アジアルートがあるが、このルートで来た西洋人を見た事が無い。船以外で。
チベットルートが一番良く分からん。チベット人に含まれるRは数%しかない。モンゴロイドの代表であるモンゴルより低い。ヒマラヤ山脈に閉ざされてそれが開けた部分はもうウイグルの地区になってしまう。今ほど国境線が明確じゃないと思うので多分ウイグルになると見てる。
チベットに西方からの遊牧民は入ってきてる。シルクロードの砂漠の道以外はこっちを通るらしい。なんとも厳しい。イラン人=アリーア人=スキタイの領域になってる部分だと思う。高地であるのは大丈夫なのか?これは分からない。移動って点ではかなり不味いが暮らすからその内適応的な民族になる可能性がある。パミール人と言う民族が暮らしてる。ただし、遊牧民特有の征服のような動きはこれじゃとてもじゃないが無理だと思う。ナポレオン、ハンニバルで有名なアルプス超えみたいな戦史があったか?は不明。とにかく征服という形は苦しい。
それに今回は彩陶土器の伝播と言う明確な主題があるためとにかくこれば良いって話じゃない。おそらくそこから小麦も伝わってきてる。おそらくステップルートとオアシスルートで高原ルートは苦しいのじゃないか?と思う。ただチベット族の中国への東進は西方のコーカソイドに押されてって話がある。だがルートはパミール高原じゃないのじゃないか?とは思う。
タリム盆地からではないか?と予想されている。平和的な旅行や通商ではない。侵入征服となると話が違うんだ。タリム盆地経由なら中国に行くのはそのままオアシスルートで進めば良い。意図的にチベットも中国もどっちにも侵入するって意図が無いと、チベットを経由するのは考えにくい。
過去侵入があったとされるが、ルートがそっち系だろうし、現在のRのあまりの低さから中国に影響を与えたルートとしてチベットルートはほぼ消して良い。むしろウイグル=コーカソイドぐらい濃いウイグルの方が重要。
ウイグルがアジア系なのと、ウイグルに住む住人がコーカソイドなのは話が全く別。ウイグルは明確な突厥=トルコの系列で、そこから発展したもので、下のアジアトルコ系は全く関係ない。良くあるトルコの民族の成立の1つでしかない。ウイグルはコーカソイドそのものと見てよい。それが最近タリム盆地に最初に入ったのはコーカソイドだと出た話に繋がる。元々はアジア人が居ただろうが、砂漠化して無人化している。そこから入ったのはコーカソイドが最初になる。
中国のコーカソイドはただこれだけに終らない。これは古代中国に居た月氏がどこから来たのか?だとここだろうと見ている。月氏はおそらくスキタイだが、スキタイは必ずしもステップルートで来たとは思ってない。その後月氏の末裔がオアシスルートの商人ソグド人になるので、この辺りから元々やってきたんじゃないか?と見ている。
トルコの歴史が問題になる。突厥の方が後から出来てるので、その前はウイグル地方の人って扱い程度だと見てて、そこの住人はR1Aスキタイ人じゃないか?と見てる。
ただし、後々突厥で頻繁に出るハプロはQ系なのだが、これは注意が必要になる。このQ系は匈奴のグループで現在ウイグルに多いQと違う。系統が全く違う。突厥からのウイグル帝国。この流れで中央アジアに数多く居るQ系が移り住んだもので、過去突厥に多かったQ系は匈奴の系統のQ系で、本来アメリカ大陸に渡ったはずの系統がアジアに残ったものだ。
この系統は日本人にも居て、今ウイグルで頻繁に出る系統ではない。匈奴から東から西へ末裔の遺伝子が広がったと見るのが妥当だと見ている。QとNは本当に扱いが難しい。古代の歴史でものすごく重要な系統なのに、近代に姿を消してしまって痕跡だけ残している。この点Dよりはましだけど。チベットも同様だけど、Dは古代中国に深く関わってるのに、特定の民族以外あまり高い数値を出さない。
Rがどういう動きになるか?はそう単純じゃない。とにかく、時間経過でRとアジア系遊牧民がぐちゃぐちゃになっててmtDNAでコーカソイドが出たというのはあまりびっくりする事じゃない。その父親がQやNである可能性がとても高い。コーカソイドのmtDNAはどんな意味があるのか?
すでにこのあたりの人骨は調査されてる。何故こんな濃いハプロで謎だが見た目ただのモンゴロイドでしかない。これは確実に混血している。骨のDNAをとったんだから骨を見てるに決まってる。DNAをとるほどのものは大体骨が揃ってる。歯だけとか例外も多いけど。むしろ話しとしては、楼蘭のあたりではコーカソイドっぽい人骨があったとか話がある。ただ、黄河文明は明確じゃない、もう父親はN系と分かってる。
そういえば過去チベット人は上方のウイグルの辺りにも居たとある。そう考えると、タリム盆地の黄河文明期の最初の住人は白人というのと繋がる。近くに居たチベット族は玉突き式に中国に張り出してくる。
この話し難しいのだが、一度黄河は気候変化で大きく変わってしまって、それで住人が消えてしまったけど、農耕なら使い道があるので、戻ってきたとなってる。そこからの住人って意味になる。
コーカソイドとモンゴロイドってかなり込み入った話で、氷河期まで遡ってバイカル湖を中心に見ていくと、氷河期中は白人系インデアンと白人の混合集団が住民となる。明確にはベーリング海で一度閉じ込められてそこでC2系と混血して完全にアジアンとなる。だが、エスキモー(C2)はまた別で、氷河期後に船で渡ったらしい。これでインディアンは寒冷適応したアジア人とあまり似てないとなる。
んで1万年前以後になると今度はC2系が住み着き始める。どこで北方適応したんだ?がこれで分からなくなる。絶滅以外にも西方に残ったQとRは逃げて生き残ったって話もある。それらしいハプロがQの子孫が中央アジアである。Rはポピュラーすぎてわからん。続きが前書いたスキタイによって青銅器時代にまた占領される。んでこの後やっと今のブリヤート人が住み着くとなる。無茶苦茶後の時代になる。
いつ変化したのか?時代はいつ?本当に分からない。そもそも今の形質の大半はすでに南方に居るときに持っていた形質だけど骨に残らない部分はわからないのが問題になってて、それをすべて北方適応のせいにしてる問題がかなりある。コーカソイドとモンゴロイドは度々境界線を移動している。黄河文明がコーカソイドによって起きたのならN系はなんだ?となる。一部でコーカソイドのしかもmtDNAのハプロが見つかって、黄河文明はコーカソイドの文明だと言うのは愚か過ぎる。
度々入れ替わる境界線。かなり前からコーカソイドが住んでて、かつ月氏と言うはっきり歴史に残ってるコーカソイドも匈奴に滅ぼされるまでかなり東の方で住んでいる。ぽこっとこういった人種が集団で、山東省から一部見つかっても全く不思議じゃない。一部だというのはN系だと分かってるし、じゃ何故消えてしまったのか?なら周りが白人ばかりならありえないどころか、骨はただのモンゴロイド。ハプロは直系しか残らないので、全部消えても一部の集団なら、殺されなくてもおかしくない。逆に一部なのを証明している。
さてここからが本題。ものすごく長い前置きしたが、何故今回の話をしたか?ハプロが激しく入れ替わってる。これがO1B2移動説の根拠になってると分かったから。明確に書いてあるわけじゃない。だがこのすべてに、O1B2江南直接移動説の崎谷や篠田の両名が関わってるから。コレだけ激しいハプロの変動を見たら、今居なくても良いんじゃ無い?と言う発想になるのはおかしくないのじゃないか?
私も最初は気がつかなかった。だが、この調査のソースを探ったらすべて崎谷氏でmtDNAの方の調査は篠田氏が多かった。同じものを見て同じ発想にならない。そこで、ああこの人達これだけ酷いハプロの変化を見て、そこから連想で論を創ってないか?と気がついたから。根拠が無いんだ。その事にずっと不思議だったが、その答えがやっと出た。彼らは変化を見すぎて根拠の重要性を無視してしまっている。消える事が当たり前だと自分の中で常識化してる。
じゃ私は変わったか?と言うと変わらん。その発想ご都合主義すぎるからだ。論理を組み立てる丁寧さが足りない。考古学的な証拠に対して問題点が多すぎる。船直接で最も納得できるのは山東省から遼東半島じゃなくて、別ルートに行く方法。これならまだありうる。まあこれ自体は特に問題は無い。私の場合O1B2が直接来たと言う考えが違うから。
問題は山東省に誰が居たか?になる。そのデータでコーカソイドがまた絡むのがやっかいだ。山東省のこの時代のデータにコーカソイドが絡んでる。ただし、コーカソイドがおかしいのは、モンゴロイドのベタなmtDNAも取られまくってるから。すべてがコーカソイド由来のDNAではない。これは集団としての特性になる。
じゃ日本に残ってないのは何故か?となる。これちょっと調査が分からん。特定の都市以外のデータは取ってないのか?となる。弥生人のルーツを調べるつもりで調べたら白人だったと知った人もいるがすべてじゃない。どうやたら前漢時代の骨と較べたようだ。この時代は駄目だ。もうモンゴロイド化してる。mtDNAの調査はされてない。
別の時代で調査した佐賀県の遺跡の何か?不明のDNAデータがある。一致したようだ。どう一致したのか?は書いてない。山東省から来た可能性はとても高い。問題はそれ白人のハプロなのか?となる。断念した人は日本人の主要な祖先を探ってて、来たけど消えたとして終った。この調査はまた違う。すべて白人由来の遺伝子じゃない。それは時期が古くなる。何年かたつと混血集団になるので、アジア系がいっちしただけかも?となる。
またはmtDNAですら無いならもっと分からん。不明のDNAデータってのはそうなる。現地で調査した教授と同じ人なのでいちいち書いてないけどmtDNAの可能性が高い。分かりやすく言うと、HとかUが確かあった。以前このデータ見たから。そっちじゃなくて、混血した別のアジアハプロが一致したって可能性も捨てきれない。この手の学者ってびっくりするほど自分の考えがあってそれに合わせて強引なデータ使うから。絶対信用しない方が良い。
だからネトウヨに突っ込まれるんだけど…。あいつらはもっと我田引水だから。
もし白人系で一致したなら、多分父親はO1B2じゃない。この調査した別の人、この集団は消えたと断定していたから。それはいくつか、直接来た可能性の遺跡があるけど、それは散発的で、その後の大きな流れと関わってないって味方がある。それゆえ直接ルートってあんまり重視されて無いんだ。いくつか怪しいのはあるんだ。だが全体の流れで孤立集団になって消滅したんじゃないか?って見えるから。
縄文人と上手くやって無かった集団の文化はあまり残ってない。このあたりも混血説の妥当性がある。
正直言えば、縄文系の割合が低いのが違和感がある。初期の遺跡で大体は縄文人と協力した集団か?または渡来人オンリーだとはっきり分かる集団の遺跡なんてあまり無いからだ。これを覆すには、その後混血して、渡来と区別しにくくなった時代が望ましい。その時代に来た渡来人は区別がつかないからだ。私は高すぎる弥生人の割合は、初期よりその後断続的に入ってきたと見てるからだ。
一体ゴールはどこにあるのか?で半島以外の大陸で古代の人骨からO1B2の痕跡を探すに尽きる。
さて山東省のデータだが、どこに問題があるか?と言うと、そこから半島に渡って、混血なしの集団として日本に来た場合、どこから来たのか?のゴールにならない。元々江南から来たのは一切疑ってない。問題は稲作を直接江南から持ってきた集団なのか?になる。例えば徐々に北限を広げて朝鮮半島に渡った集団なのか?これならかなり時間が掛かる。
同時代に江南からいきなり来たのか?ここがキーになる。私は山東省も胡散臭いと思ってる。徐福は山東省の出身といわれてて、子孫がO2周系のM117の系統だ。子孫だからあてにならんはある。だが、これを信用するなら普通にポピュラーなO2系が山東省に住んでいたと分かる。
この系統がもってきてもおかしくはない。崎谷氏は周と言う重要な時代をはさんだハプロの変化をまだ詳しくはしらない。M117は周の時代増えたと考えられている系統だ。先史時代のハプロと現代のハプロ、その間がごっそり抜けている。コーカソイドの例があるので、一部は危険なので、もっと丁寧にいろんな場所から取った山東省のデータや。当時のここ出身の家のハプロを調べてみる必要がある。ただし、孔子以上の家系はないらしいので、それ以上になると噂の範囲になっていまうけど。
再度書くけど、何故こういった話が氾濫してるか?の常識を知ってほしいから今回の話を書いた。ただその常識は決定打には程遠いと私は考えている。これは疑心暗鬼の様なレベルじゃない。私から言わせれれば論理の飛躍だ。私の論理は書いた。
一応目的があって書いてるけど、根本的には血統に対する遺伝子を絡めた雑談的な意味が大きい。タリム盆地のミイラ混血らしい、モンゴル系はバイカル湖起源。もちろん今の人になる。もう一方は欧州ってあるけど、欧州なわけがない。こういうのは欧州に行った集団と同じて意味で捉えている。要するにスキタイなら皆欧州と同集団になる。なんとなくバイカル湖を軸にしたコーカソイドとモンゴロイドの入れ替わりと似てるなと。互いに殺しあったような単純な意味だけじゃなくて、今でもモンゴルに白人系が残ってるのと、なんと言っても、王族の墓からRが出たと言うニュースは大きかった。かなり深く混血している。
ちなみに中国コーカソイド説って、3つの話がネットでソースを出さないで広がってるだけで、私が見るとする3つに集約されるのが分かってしまう。1つは山東省の話し。後は楼蘭の女性のミイラ。これは見て白人と分かるので、かなり古くからある話で最近やっとDNA検査したってだけにすぎない。最後が今回話をした仰韶文化についてで、彩陶土器ともう1つ、西を向いて埋葬されてるって話になる。一部あるのかもしれないけお、全体としてはベタなモンゴロイド。ただ身長は本当に高い。これが弥生人の形質に似てる部分だと思う。しかもN系って分かってるので、ここまで揃ったらモンゴロイドとして良い。ただし混血していた場合、mtDNAは知らない。
後は推測などがぐちゃぐちゃに重なってややこしい話になってるだけ。この程度で黄河文明=コーカソイドの文明って強引過ぎる。だがネットはたったコレだけを撒き散らしてさも常識みたいにしてしまう。思い切り一部の地域で、楼蘭は今更驚くような話じゃない。それを組み合わせる事で印象操作してる。こういうのが腹が立って腹が立って仕方ない。この中で一番腹が立つのは中国政府がプライドを損ないたくないから隠してる。
これに関しては、マア一部隠そうとしてるのは事実。この楼蘭のもとっくにDNA分析できていたはずなのに放置していた流れもあるし、実際コーカソイド系の研究はストップが掛かる事が多いそうだ。ただネットで氾濫してる程度の雑な圧力は無い。
また追加でJCVって無害といわれる血縁で繋がっていくウイルスがあります。これによるハプログループがあります。青森秋田宮城山形に欧州系のタイプがあるらしいです。太平洋側は分かりませんが、日本海側はNの分布とちょうど重なります。ただ越国の話しはこれでずれてしまいましたね。別系統ですね。
ただこれ全部統合すると日本はいろんな所から来てるって見もふたも無い話しになります。これによるとモンゴルの系統が無いとなってますが、以前HLAハプロによるとモンゴルグループと高い相似性が出ています。N系のように他のハプロと重なるとわかりやすいし、C2Cがモンゴルの系統とは重なっています。
GMは新モンゴロイドに特徴的な免疫系だなと漠然と分かります。これは何か良く分からない。基本的に大半のハプロは機能と全く関係ありません。ただのマーカーです。だからまったく別のマーカーで上手くヒットし無いものも多いです。
前も書きましたが、Yとmtのハプロは、直系のみなので、遺伝子全体で思い切り欠けた情報になります。他は良く分からないんですよね。GMの欠陥は以前指摘しました。HLAとJCVはちょっと分かりませんが、青森と秋田とN系の流れでなんかありそうだとは思います。ただこれ中国で混血した可能性で、東北部だとちょっと困難です。2つ可能性があります。黄河文明との混血と、後は遼河文明も混血の可能性があるんですよ。
O1b2がドルメンをばら撒いたとなりますが、欧州ではコーカソイドがばら撒いた事になります。ひょっとしたらで、半島の南系のドルメンと北方のドルメンの違いは人種が違う可能性です。ただし、あれ流行じゃないか?との話が出ています。南方は古臭い流行が広がったもので、古い時代に遼河半島にもシンプルなドルメンと言えない原始的な積石の習慣があるそうです。
モンゴルや満州にRが混血してるのは間違い無いです。ただこれは騎馬民族時代に混ざって広がっただけの気がします。ただモンゴルのケースは実際モンゴル高原自体に住んでいました。後ちょっとじゃないか?となります。Nが混血して運んだのか?それとも単独でRが来て直系がすべて消えてしまったのか?などなど。
人骨による調査の馬鹿馬鹿しさは、それ自体は問題が無いが、それをハプロに繋げるのは到底無理。そもそも何故山東省からコーカソイドの遺伝子が見つかって衝撃になったか?と言うと、骨な普通にモンゴロイドだから。遺伝子調べたら違っててびっくりになったとなる。元々骨は、日本の弥生人と良く似てるなとずっと言われてきた。それがコーカソイドのハプログループを持っていた。
今言われてるのはこうそ省と、山東省と朝鮮半島、この3つは似てるらしい。じゃどこから来たのか?が全く意味が無い。言えるのは、可能性として、この3つあって、1つ絞る事はできない。こういう話を上手く摩り替えて、ここから来たと言う話しにしてるだけ。半島からの海岸部全部似てる。そんだけの話…。
mtDNAはお粗末で、一致した系統今は日本で発見されない。日本人の故郷と言うのは苦しい。いくつか来たかも?は見つかってるが、日本人の祖先だと特定できるハプロは皆無。後はどこにでも半島と中国に今でもあるハプロしかない。私は直接ルートは一度も否定し無い。否定してるのは、直接稲作を伝えにO1b2が大陸から来たって理屈を否定してるだけ。
ただ全面否定ではない。日本と半島では2つの系統のO1B2の違いがあって片方はひょっとしたら直接ルートで、江南か?山東か?はまた別の考古学的な問題になる。半島の西海岸で古い遺跡が見つかってない点。後は山東省の水田の遺跡に関して私がしらないのもある。
江南がイマイチなのは、クワが無いらしいが、山東省には出土するらしい。考古学的にも山東省が最も可能性が高い学説になっていて、2系統が別々に来たならあるかな?と見てる。その場合系統が分かれるために、半島のグループは先に半島にたどり着いた可能性がある。山東省に残った、47z系が日本に直接来たなら分かり易い。
ただこの場合コーカソイドの母系は考えられない。いくらなんでもこのケースで消えてしまった集団とは言えない。たまたま人骨を採取した地域だけコーカソイドの集団だったって可能性が高いと見てる。
ウイグルの歴史で、トハラ人と言うイラン系の民族=スキタイだったのじゃないか?との話があり、言語も同じ月氏とはややこしい関係だったんじゃないか?と思う。月氏とは明確に別部族としての関係になってる。これはおそらく同じスキタイの別部族だったんじゃないか?と見てる。中国人=コーカソイドは大げさとしても、モンゴル帝国の勃興まではかなり東方までコーカソイドが来ていたことになる。トルコは早くに混血してしまったので実質コーカソイドだし。モンゴルの前の遼も西はコーカソイドの国民だったはず。おそらくその種族との混血が満州に残ってるR1Bじゃないか?と見てる。後の時代ほど、R1A以外に中央アジアにR1Bが増えてくる。
北のR1A、南のR1Bと別れていて、スキタイの勢力があまりに大きすぎてR1A一色になってたけど、トルコやモンゴル帝国の勃興によって、R1Bの系統が徐々に東アジアにやってくるようになる。ただR1Aに混じってR1Bも一部スキタイ人として移動したので、そっちの系統がたまたま増えただけかもしれないけど。
月氏とタリム盆地のコーカソイドが非常に近い存在だと分かると、これはモンゴル高原から降りてきた可能性もある。一時的にモンゴル高原のかなりの部分までスキタイが占めていて、中国へのルートがそこで繋がっていた。オアシスルートを果たして遊牧民が来たのだろうか?
月氏の後裔であるソグド人がオアシスの民になるのはかなり後で、ぐるっとモンゴル高原から南下して逆に西に進んだと成る。モンゴル人はどのルートで支配していったのか?この辺り分からない。三ぞう法師もここを通ってるけど、騎馬民族の軍団でここを通るなんてあるのだろうか?この辺りは地理に暗くて分からない。後のソグド人はラクダを使って交易をして居ていた彫像が残っている。
後の時代に騎馬民族がオアシスの民を支配した歴史が残っているらしい。どれぐらい砂漠なのか?が良く分からない。元々サラブレッドはアラブ馬から改良されたものだし、水を多量に必要とする馬も一応さばくが不向きではない。アラビアの砂漠とは違うって話しになる。イスラム教が広がる事になったジハードで活躍してるので、砂漠でもなんとかなりそうです。ラクダはよほど走りにくい砂漠のみかもしれませんね。アラビアと言うとラクダのイメージですが、アラブ馬も有名だからな。
こうなるとスキタイはどうやってタリム盆地に入ったか?または月氏になったのか?のルートは良く分からない。天山山脈を南北に2つのルートがあり、カザフモンゴルルートとその南のウイグルルートって所かな。そのずっと上がロシアとモンゴルカザフが重なるステップロードって所かと。崑崙山脈と天山山脈の間がタリム盆地で、ここがタクラマカン砂漠と。チベット高原ルートはあまり考えにくい。ここは通るけど、騎馬民族が通るより侵入って形になる。古来からやはり商人など特殊なルートとして使う以外はちと考えにくい。モンゴル帝国が過去侵入してるので、入るのは分かるが、大軍団が横断に使う場所じゃない。
どのルートも酷いな…。アジア人の西方進出に較べて、コーカソイドの東進はすべてのルートから来る事が考えられる。なるほど、その後の匈奴、突厥、ういぐる、遼、蒙古。これらの範囲がやたら広かったのが良く分かった。スキタイが通った道をなぞってる感じだ。タクラマカンを抜けた後のパミール高原もかなりきついな…。特に西パミールなんてどうやって越えるんだ。
このルートとは別に、過去インドイランに入ったコーカサス住民はチベット高原近くを通っている。その時チベット高原に一部いついたとある。チベットに遊牧民が過去来たと言う話しは残っていて、このグループかもしれない。それにしてはチベット人の混血率が悪いな。チベットは地域ごとに多民族国家になってるので、一部高い地域があるのかもしれない。
5000M近い峠を越えて抜ける道。これが西トルキスタンと東トルキスタンを結ぶパミール高原。と言うかパミール山脈かな…。一応ここ車など使えるようなので、過去馬で抜けれたのでしょう。以上が3つのルートになるかと。天山山脈を北方に抜けるルートは最後はステップロードと重なった場所に行くとなってて、こっちは要素どおりかなと。
このすべてにスキタイ関係の国があるので、どのルートも通った可能性があり中国に来たようだ。これだとチベット高原を通るルートもあるんじゃないか?分からないけど。チベットへの侵入の歴史はモンゴル帝国以外余程詳しい歴史書じゃないと見つからない。これはもうやめておこう。なんとなく大きく2ルートのスキタイまたはコーカソイド系遊牧民の侵入ルートが分かった。その後はアジア系の国家にコーカソイドが絡むって形になるので、トルコ人ウイグル人ってされてしまう。