第二の話。 『記憶』
最後に、あいつを見たのはいつだっただろうか。
あいつの憎たらしい笑顔は、でも、どこか儚げで。そして、なにかを堪えてた。
まあ、これは俺の『記憶』の捏造かもしれないが。
でも、『記憶』の中のあいつは、微笑んでいるのが断然多かった。
「やっほ、木野さんだぞぉ」
「知ってるけど?」
すっかり冷え込んできた秋と冬の間の時。木野は欠伸をしながら俺に言った。そういえば、木野は午後の授業の時間は寝てたな。というか、こいつのことを知ってからふと見ると、結構な割合で寝ている。
「お前、そんなんで授業ついていけるのかよ?」
九割呆れ、一割心配で木野に問いかけた。木野は一瞬固まって、それからすぐ若干の汗をかきながら微笑む。ごまかす気らしい。
「だ、大丈夫だよ。零点になったことはないから」
「どういう基準なんだよ!?」
こいつ、受験大丈夫なのだろうか。高校行けないんじゃないのか? 心配が三割ほど上がった。
「そんなことはさておき」
「さておきじゃねえよ」
思わずツッコんでしまう。
「どうせなら、教えてやろうか?」
知り合いがどこの高校にも行けなくて泣くなんて、流石に悲しすぎる。そう思って言ったのだが、木野はそんなことを言われると思っていなかったのか、杉染色の目を少し丸くした。
「いいのかい? 私の成績は本当にすごいぞ」
「さっきのセリフで十分分かってる。思った以上にやばいってことが」
「それなら……」
「あー、あと、俺も基礎から復習できそうだしな」
なんか、漫画のヒーローみたいなことを言っている気がする。木野もそう思ったのか、頬をわずかに桃色に染めながらふふっ、と笑った。そして、またその自信満々の笑顔を浮かべながら言う。
「じゃあ、お願いしようかな」
「お願いされよう」
「ははっ、変な日本語だな」
「お前には言われたくない」
ひときしり二人でくすくす笑いあった後、俺はちょっと気になったことがあったので聞いてみた。
「さっきお前、『そんなことはさておき』って言ってたけど、さておき何なんだ?」
すると木野は、待ってましたとばかりに笑みを深くした。
「私の記憶力は結構ないんだよ」
「成績からわかるな」
木野はちょっと目を細くする。なんか不満そうだ。
「そういう君はどうなのかい?」
「うーん……、前のテストはこれくらいだな」
そう言って素点表を見せると、木野が驚愕していた。
「ご、五十点以上がこんなに……!?」
「基準おかしくないか?」
「……、話が逸れたね」
あ、逃げた。
「本題に入るけど。『記憶』ってものは、いつか消えてしまう。どんなに忘れたくない思い出も、全ては覚えきれない」
「そうだな」
成績の言い訳か? そう思ったが、こういう話になったら、木野はてこでも隕石が落ちてきても動かない。俺は黙って聞くことにした。
「写真や映像に残っていたらそれが真実。間違いなんて、編集や加工をしたものじゃない限りない。逆に、『記憶』は違う。主観的で、真実を限りなく歪めてしまう。それは、何故だかわかるかい?
人間の、欲が深いからじゃないかと私は思う。こうあって欲しい、こうじゃなくちゃいけない、これが真実だ。そう無意識に思って、その時の感情の高まりで覚えている言葉が人それぞれ。これじゃ、真実を『記憶』から引っ張り出すことも難しいよね」
「確かに、昔でかい誕生日ケーキ貰って嬉しかったこと覚えてたんだけど、母さんにその時の事話したら『あんたが大きいケーキが欲しいって泣いて大変だった』って言われたんだよな」
「そういうこと。同じ出来事でも、覚えていることや感情は違うだろう? そして、後から言われて他の人の気持ちにやっと気付く。馬鹿だね、人間ってものは」
「まあな」
木野は突然ニヤッと笑うと、俺の鼻先に指を突き付けてきた。
「例えば、君は今私が思っていることはわかるかな?」
「わかるか」
そう即答すると、何故か一回深呼吸をした彼女は、「だろうね」と笑った。
「それとも、俺のこと『かっこいい』なんて思ってたか?」
「へっ!?」
俺の冗談混じりの言葉に、しかし木野は予想外の反応を見せると、「そ、そそそそそんな訳ないだろ!?」と身振り手振りで否定してくる。そんなに俺のことが嫌なのか。
「と、とにかく! つまり私が言いたいのは、」
俺から目を逸らしたまま、木野は何故か血色の良くなった顔で半ば叫ぶように言った。
「大人になっても、私との話を忘れないでってこと、だ!!」
「……、はい?」
なんか俺、めっちゃ恥ずかしいこと言われてね?
「お前さ、ちゃんとその言葉の意味わかって言ってるのか?」
「~っ、わかってる、わかっているからやけくそなんだよ!」
手で顔を覆ってうつむくという、女子っぽい仕草(女子だけど)をした木野は、そのままの格好で何か、呟いた。
「ん?」
「なんでもないっ」
ややあって手を下ろしたが、すごいふてくされた顔でこっちを見られる。
「で、でもだな。私がこんなに恥ずかしいのに君が何もしないのは、何か腑に落ちないんだ」
「何その理不尽」
「だから!」
こっちの話は聞いちゃいねぇ。
「さっき言ったことは、忘れないでくれよ?」
「あー、分かった分かった。忘れないよ」
「本当か?」
そう俺が投げやりに言うと、何故か真剣な目で再度問われた。
「本当、本当」
「約束だからな」
「おう。まあ、多少は忘れるかもしれないけどな」
笑って言うと、木野は息をほっと吐いて、でもまたさっきのことを思い出したのか、顔をゆでだこみたいにした。
「覚えてたよ、今も」
懐かしい記憶は、少し薄れてしまったけれど。
でも、心の中に、きちんと入っている。
罪深くても、俺の感情が入っていても。
この約束は、俺と彼女とでした、紛れもない事実。
「俺は『記憶』力がいいからな」
そう言って、俺は笑った。
お久しぶりです! や、やっと書いた……。