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【1】乗り過ごし

真っ直ぐな恋愛モノではなく、すこし曲がっているかもしれません…。

 人は何時頃に初めて人間ひとの死を目の当たりにするのだろうか。

 言葉を交わし、笑顔を交わした近しい人間ひとが突然いなくなるというのは、どんな感じなのだろう。

 幸彦は小学校の時に爺さんが死んだと言っていたし、美咲は中学の時に父親を亡くしている。

 実際に身近な人間の死を知らない僕は、そんな話しを聞いてもただ気の毒に思うだけで肝心の悲壮感には程遠い。

 僕の祖父母は神奈川の住所さえ知らない場所に未だ元気に暮らしているし、父も母も死ぬ気配なんて微塵も無いし、そんな心配もした事はない。

 自分の身近に誰かの死が訪れるなんて考えた事も無く、そんな事は成人して大分大人になった頃やってくるのだと思っていた。

 そして、その頃になれば人の死は大人として冷静に受け入れ、目頭を熱くする程度で涙も流さずに自然の摂理である死の順序を受け入れて、ごく冷静な趣で焼香などをするのだと思っていた。



 それを知ることが大切だとか、知らないことが無知だとか。

 そんな事はどうでもいいのだろうけれど。

 今思えば、あの時が始まりだったのだ。

 あの時おかしいと思うべきだったのだ。

 いや、おかしいと思わなかったわけではない。

 あの状況が、自分に訪れるはずなどないのだ。

 しかし、そんな事もあるさと自分の直感的危機感を受け流し、日々を送ってしまった。

 その真意を疑うべきだったのだ。

 僕は日々の暮らしに油断していた。

 暇を持て余して燃焼しきれず、ただ日々を不完全に消費するだけの時間が、いろんな判断力をかき消していたのだと思う。

 




【1】乗り過ごし


 モンシロチョウが目の前にふわりと現れて、僕は慌てて首をすくめた。

 青葉の香りが風に漂う。

 肌寒い風と穏やかに降り注ぐ陽射しに、青々と茂った河原沿いの雑草は、瑞々しい姿で揺れていた。

 気がつけば、クローバーとタンポポが小さな土手を埋め尽くしている。


 河川が本流から流れ出る場所には水門が在る。

 その上の敷地に数本植えられたソメイヨシノの枝には、紅い蕾が目立ち始めていた。

 まだ三月下旬だと言うのに、今年の桜は少々早いらしい。

 桜が数本並ぶ小さな敷地では、今日も老人たちがゲートボールで賑わっている。

 小さな運河を渡って国道を横切ると、友人宅へ向かう為に僕は、駅に続く歩道を自転車で走る。


 相変わらず異常に混み入った駅の駐輪場の一画に自転車を無理やり押し込んで、僕は改札に向って歩いた。

 この時、自転車のまま幸彦の家まで行っていれば、何もないまま時間は過ぎて行ったのだろう。

 ただ消費するだけの日々をうつらうつらと堪能して、高校生活の最後の年度を迎えていたに違いない。

 駐輪場と駅との間に一本だけあるしだれ柳がゆらゆらと陽を浴びて揺れていた。

 僕たち高校生の、ふらふらとだらしなく歩く姿にどこか似ている。


 改札の周囲にはよく見かける制服を着た、僕と同じ年頃の高校生たちが何人かいた。

 今は春休みの最中だが、部活のある生徒は毎日学校へ行くだろうから、別に珍しい風景ではなかった。

 同類詮索の癖のような物で、どこどこの学校かと制服をチラ見する。

 もちろん同校の生徒がいたって、親しくなければ声なんてかけない。

 この駅の改札口は小屋のような待合室になっている。

 しかし小さくてボロいので息が詰まるから、僕ら高校生などは大抵外で時間を潰すか、さっさとホームへ出る。

 立て看板とフェンスの向こうに、僅かに見えるホームの端が丁度目線の高さにあって、風に はためくスカートたちの裾がチラリと目に入って気になった。

 ミニ丈のスカートから覗く白い脚は、同年代だってつい目がゆくものだ。

 電車の来る時間が迫って一番近い踏み切りの警報機が鳴り出す。

 閉じかける遮断機の下を、丸々とした主婦が駆け抜けているのが見えた。

 改札口の手間にいた連中はみな、流れるように改札を抜けて行った。

 もちろん僕も改札口へまっすぐ向かおうとしていたのだが……。

 しかし、それとは逆方向に歩き出した誰かの姿を僕は視界の片隅で捉えていた。

 パタパタと軽快な靴音と共に、誰かが駆け寄ってくる。

 それは僕の方にと言うより、僕に駆け寄って来たのだ。

「あの……」

 見知らぬ娘が僕の目の前で立ち止まった。

 オリーブグリーンのブレザーにグリーンのタータンチェックのスカート……制服は知っている。

 伝統ある進学校で名高い好聖館こうせいかん高校の制服は、地元高校生なら誰でも知っているのだ。

 戦前からある由緒正しい進学女子校で、二年後には少子化の波を受けていよいよ共学になる事が決まったらしい。

 僕は驚いて身を引く勢いで立ち止まると、自分に声を掛けようとしているのか、それが本当なのか確認する。

 甘い香りが鼻をくすぐった。


 目の前の娘はあからさまに「ふう」と息を吐くと

「あの……相川哲あいかわとおるさんですよね?」

「あ、ああ……そうだけど」

 彼女は、驚いて視線を泳がせる僕を他所よそに喋り続けた。

「あ、あたし……好聖館高校の水原紫里みずはらゆかりです。この春三年になります」

「いや、あの……」

「あ、ユカリという字は、紫に里って書きます。ちょっと変わってるんです」

「はあ?」

「相川くんは彼女いませんよね?」

「いや……あの……」

「去年の九月以来、6ヶ月以上彼女いませんよね?」

 な、何だよそのあまりに具体的データは……。

「いや、そ、そうだけど……」

 僕は果てしなく困惑した。

 いったいこの女はなんだ? 何が目的なんだ。

 僕は闇の中で物音を聞いたような、得体の知れない不安に包まれて、ひたすら水原紫里みずはらゆかりと名乗った娘の水色のブラウスの襟元から、ブレザーの胸元に視線をウロウロさせた。

 モスグリーンのリボンが小さく揺れている。

 甘い香りが風に流れて僕の周囲をグルグル取り巻く。

 彼女の声は留まらなかった。

「それでですね……あの、あの……あたしと付き合いませんか? いや、付き合ってください。付き合いましょう」

 紫里と名乗った娘は、必要な事を全て言い終わったのか、再び「ふう」と息をついて僕を見上げる。

 恥じらい半分、決意半分のような微妙な微笑。

 浅めの二重が涼しげで、でも睫毛はしっかりカールされている。

 身長は……160センチ弱くらいか? 確か、前に付き合っていた恵美もこのくらいだったと思う。

 いや、もう少し小さかったか?

 前髪を作らないワンレンを横分けにしてヘアピンで留めたおでこが、春の陽光に照らされてちょっとキュートに見えた。

 長い髪を三つ編みにするような校則は特にないようで、その辺が地方都市に顕在する中途半端さなのだろうけど。

 耳から外れた長い後れ毛が数本、たおやかに風に流されて揺れている。

 化粧は禁止のはずだが……春休みだし、やっぱりマスカラとリップくらいは必須なのか……。

 僕は彼女の瞳の虹彩をチラリと見ると僅かに視線をそらして、黒々と伸びる睫毛や、小さくて丸い鼻の頭、なんだか濡れたように艶の在る唇などを眺める。

 卵の先のように絶妙な丸みをおびた顎先……。

 顔が小さい。パーツが小さい。

「で……どうですか?」

 紫里は手に持った革製のスクールバックの取手を強く握りなおした。

 この界隈で指定のスクールバックが革なのも、好聖館の特徴だ。小物ひとつとっても、上品さが見え隠れする。

 僕は目の前の彼女に何処と無く現実味を感じなかった。

 まるで液晶画面を挟んだような不思議な感覚。

 この状況はまるでバーチャルだ。

「いや……どうですかって言われても、今会ったばかりでキミの事まったく知らないし……ていうか、なんなの?」

 僕は何度もカラーリングを繰り返して少し痛んだ髪をかき上げる。

 僅かに苦笑するしかない。

 春休みに入って直ぐ、ハッシュドブラウンというイマひとつ難解な茶髪にチャレンジしたばかりだ。

 実際はどうと言う事はない、こげ茶色だけど。


 彼女は悩ましげに細い眉を動かして、かき上げる僕の頭を見ながら僕の問い掛けに少し困った顔をする。

 しかしその時僕は気付いた。

 彼女の背景に見える線路上には既に僕が乗るはずの電車が到着していて、まさに今発車する所だった。

 町おこしの為に車両イッパイに描かれた9人のヒーローキャラクターが、ゆっくりとスライドして視界から消えて行く。

「あっ、電車……」小さく叫ぶ。

 その言葉に彼女も気付いて後を振り返った。

「あっ、ご、ごめんなさい。あの電車に乗るはずでした?」

 乗る為にここへ来たに決まってるだろ……。

「いや……まあ。次があるからいいけど」

 次の電車は26分後だ。

「じゃあ、次の電車が来るまでそこのマックでお茶しません?」

 紫里は開き直ったような笑顔でちいさく駅の斜向かいを指をさす。

 白くて細くて長い指だ。

 仕方ない……独りでボケッと電車を待つよりずっとマシだ。

 僕はついそんな事を考えてしまったのだ。


 この時さよならをしていれば何の問題もなかったのに、紫里の涼しげな瞳が陽光を吸い込んで深い緑色に輝いていたのを見た時、僕の心まで吸い込んだのかもしれない。

 僕は苦笑して、仕方なく彼女と一緒に歩きだした。

 なんだか体中が妙にこそばゆい感じがして不自然に足を踏み出していたけれど、乾いた風が清々しかった。

 二人の肩には、当然のように不自然な距離があった。






お読み頂き有難う御座います。

〜5話くらいまで連日更新する予定です。



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