7、最終日
…………………
「詩織。」
私がお風呂上がりに明日帰る支度を整えていたら、背後から井坂君が抱きしめるようにくっついてきて頬ずりし始める。
井坂君が帰ってきてから一緒にご飯を食べて、そのときにお隣さんとのことをキッチリ説明した後…、井坂君はなぜかずっと私の傍にくっついて離れなくなってしまった。
またそれだけじゃなくて、事あるごとにベタベタ触ってきたり不意打ちにキスしてくる。
今もその延長線上で、私はくっつかれているのが嬉しいやら照れ臭いやらで複雑だった。
「え…っと…、くっつかれてると荷造りできないんだけど…。ちょっとの間だけ離れててくれないかな…?」
私が鞄に服を入れながら遠慮がちにお願いしたのだけど、井坂君は放すどころか力を入れてきて息苦しくなる。
「……そんなの後回しにすればいいだろ?せっかく一緒にいられるんだから、俺だけ見てろよ。」
………俺だけ見てろって……
急に俺様になった井坂君に内心戸惑いながら、確かに井坂君の言う通りだと思い手をとめて井坂君に振り返った。
そして言われた通りじっと井坂君を見続けていると、目をパチクリさせた井坂君が照れ臭そうに先に目を背ける。
私はそれがおかしくてつい笑ってしまったら、ムスッとした井坂君の目がこっちに向く。
「…いっつも俺ばっか負けた気分…。」
「うそ?私の方が井坂君に完敗だなぁって思うこといっぱいあるよ?」
「そうか?詩織、いっつも平然としてるじゃん。俺は詩織の一挙一動が気になって色々考えてんのにさ…、なんかずりぃよ。」
「ずるいって…、考えなくても私、結構分かりやすくない?」
思ってることはだいぶ表情から漏れてるんじゃないかと思っていたので、そんなに考えてくれていたのかと驚いた。
井坂君は拗ねた子供みたいに口を尖らせると「分かるわけねぇし。」とぼやいて目を背ける。
拗ねてる井坂君、可愛い…
私が愛されてることを実感して嬉しさでニヤケる顔が止まらなくなっていたら、不意に頬にキスされて目を大きく見開いた。
井坂君は少し不機嫌そうだけど、どこか意地悪そうにも見える瞳を私に向け、今度はゆっくり顔を近づけて触れるだけのキスをしてくる。
そしてその後すぐ深く口付けられて、私は鼻から息を吸ってギュッと目を瞑った。
うわわっ―――!!
キス嬉しいけど、急にくるからビックリするなぁ…
私が求められてることに嬉しくなってされるがままに受け入れていたら、井坂君の攻めの姿勢が衰えることなく迫ってきて少し苦しくなってくる。
それと共に心臓の鼓動もどんどん速くなってきて、ちょっと一息つかせてほしい気持ちで自分から唇を離して告げた。
「井坂君っ、――――ちょっとストップ。」
「は?やだよ。」
「え――――!?!?」
井坂君は有無も言わさぬ状態で、私は目を剥いて固まる。
その瞬間に容赦なく押し倒され、熱いキスと同時に服の中に井坂君の手が入ってくる。
――――!?!?!?
ちょ、ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って!!!!
私は心の中で待ったを繰り返していて、塞がれた口から呻き声だけが漏れる。
お風呂上がりだからいいんけど…、―――じゃなくて!!
向こう電気つけっぱなしで、片付けもできてない――――
私が待ってほしい理由を頭の中に浮かべるけど、井坂君の手が緩むことはなく、ドキドキだけが加速していき今にも心臓が破裂しそうになる。
「詩織―――」
荒い息を吐き出しながら耳元で井坂君の低い声が響いてゆっくり目を開けると、井坂君の色っぽい表情が見えて胸がキュッと締め付けられる。
どうしよう…
待ってほしくて色々理由考えたけど、こんな井坂君見たらそんな理由なんてどこかへ行っちゃう…
井坂君が『好き』…、『大好き』――――
私は目の前に井坂君がいて、こうして触れ合えることが幸せで涙が出そうになった。
純粋な一つの気持ちだけに従ってみると、さっきまで戸惑ってた手が簡単に井坂君に伸びる。
「大好き…。」
私が胸に留まり切らない気持ちを口にして井坂君の頭を抱えるように引き寄せると、「俺もだ。」という呟きが聞こえて目の奥が熱くなった。
もう井坂君なしの生活なんて考えられない…
離れてた時間が嘘みたい…
私は自分の手の届くところに井坂君がいることが本当に幸せで、その後は変に誤魔化さずに自分に正直になることができたのだった。
それは井坂君もだったのか想像よりも長い夜になることを、このときの私は分かっていなかった。
***
東京滞在最終日の朝―――――
私は夜が長かったせいか陽も昇りきった頃に目を覚まして、ベッドから飛び起きた。
横にはまだ爆睡中の井坂君がいて、私は顔から血の気が引いていく。
「いっ、井坂君!!起きて!!大学が!!」
私が井坂君の身体を揺らしながら起こすと、井坂君は「う~ん。」と呻き声を上げてから目を開けた。
そして私を視界に映すなり嬉しそうに笑い出して、私は笑ってる場合じゃないと再度揺すり続ける。
「もう10時回ってるんだよ!?早く行かないと単位が!!」
「ははっ、もう遅いって。今さら慌てたってなぁ~。」
「遅いって…、とにかく行かないと!!堂々とサボるのだけはダメ!!!」
私は自分が来た責任もあると感じて、動こうとしない井坂君をベッドから落とすように押した。
すると井坂君がやっと重い腰を起こして「仕方ねぇなぁ。」と洗面所へ向かっていった。
それを見送ってから、私は自分が着替えるのも後にして、井坂君の朝ご飯作りにキッチンへ向かった。
そして、井坂君が大学に行く準備をしてる間になんとか簡単なサンドイッチを作ると、まだ悠長に準備をしている井坂君に差し出した。
「これ講義が終わったら食べて。何も食べないとお腹すいちゃうから…。」
井坂君は目を丸くしながらサンドイッチを受け取ると、じっとサンドイッチの包みを見つめていて、私は早く送り出したい一心で井坂君の腕を掴んで引っ張る。
「今から走れば最後の方受けられるかもしれないから急いで!!早く!!」
私がなんとか玄関まで井坂君を連れてこれて息を吐いていると、井坂君がやっと我に返ったのかサンドイッチの包みを手に言った。
「詩織、ありがと。講義の合間に食うよ。それじゃ、いってきます。」
井坂君は嬉しそうに笑ってドアから出ていって、私はあまりに素直なことに面食らって一歩遅れて「いってらっしゃい!!」と声をあげた。
その直後にドアが閉まって、私はほっと安心するのと同時に部屋の温度が下がった気がして後ろを振り返る。
そこはしんと静まり返っていて、一人になったと急に寂しくなった。
昨日も思ったけど、井坂君がいないと静かすぎて怖い…
私は自分の歩く音でさえ大きく感じて、気を紛らわせようと自分の朝食作りに取り掛かることにした。
そのときふと重要なことを思い出して、朝からまた顔の血の気が引く。
今日向こうに帰るのに、井坂君の帰ってくる時間を聞き忘れちゃった!!
私は向こうに着く時間も考えて遅くとも20時には新幹線に乗らなければならないと計算して、さすがにその頃までには帰ってくるだろうか…と不安になったのだった。
***
そして不安な気持ちのまま時間だけが刻々と過ぎていく中、時計の針が夕方の17時を回り出して、私はケータイを握りしめたまま顔が真っ青になっていた。
講義は全部終わっただろうと思い何度も電話をかけるけど、一向に井坂君に繋がらないからだ。
私はどうして繋がらないのかと部屋の中をウロウロしながら再度電話をかけると、微かに振動音が聞こえるのを耳にして足を止め固まった。
まさか…
私は嫌な予感がして振動音のする場所を突き止めて急いでそこに向かうと、ベッドと壁の隙間から私からの着信を知らせ続ける井坂君のケータイが出てきて思考が停止した。
うそ…
私は朝、慌てて出かけていった井坂君の姿を思い出して、早くと急かしたのは自分だとその場に脱力した。
私のバカ…
最悪…
どうしよう…
私は電話を切ると、自分の手に収まる井坂君のケータイを見つめて究極の選択を迫られたのだった。
次で詩織と井坂の話は一旦区切ります。