4、吹っ飛ぶ
井坂視点です。
詩織が突撃訪問してきた次の日の朝―――――
俺は隣に住んでる人の扉を激しく閉める音で目を覚ました。
こっちにきてから毎日のことだけど、隣の人の扉の閉め方はすごく乱暴だ。
俺は毎朝この音で目を覚ましていて、いつものようにおもむろに身体を起こしかけた所でいつもと違う違和感に動きを止めた。
あ―――――
俺はすぐ横で健やかな寝息を立てている詩織に目が留まり、詩織から伝わる温もりに顔が緩んだ。
そうだ、詩織がいたんだった…
詩織は俺にベタッとくっついた状態で俺のシャツを軽く掴んでいて、俺は起こしかけた身体を元に戻すと詩織の顔に触れた。
詩織の頬はサラサラと柔らかくて赤ちゃんみたいだ。
俺は目を覚まさなそうな詩織を見つめて、ふっくらとした唇に何度も軽く口付けた。
そのとき詩織が少し反応を見せて、口が薄く開いたと思ったら微かな声で「井坂君。」と呟いたのが聞こえた。
俺はまさか詩織の夢の中に自分が登場しているのかと詩織を見つめて固まっていたら、詩織が幸せそうに微笑むのが見えて、胸の奥がギュッと苦しくなった。
~~~~っ!!!!!
くぅぅ~~~~っ!!!!たまんねぇ~~~!!!!
可愛すぎる!!なんだこれ!!
ずっと見てたいんだけど!!!!!
俺が詩織の反応にジタジタと悶えていると、更に詩織が俺の方へ身を寄せてくっついてきて、詩織の寝息が直に首筋にかかった。
それに全身が粟立つようにぞわわっと感じてしまい、朝から変な気分になりかけてベッドから飛び起きる。
これ以上は無理!!!!
俺はこけそうになりながらトイレへと駆け込むと、自分を落ち着かせようと頭を叩いた。
自分を取り戻せ!!
せっかく来てくれた詩織に嫌われたいのか!?
昨日は一緒に風呂にまで入ってもらって、十分詩織を味わっただろ!!
俺はここで風呂での事を思い出してしまった。
羞恥心と闘って真っ赤な詩織はすごく可愛かったし、何よりお湯に濡れた詩織はすごく色っぽかった。
そして、湯船の中でイチャついたことは今も鮮明に思い出せる。
詩織の身体はどこも柔らかくて、あの感触は最高だった。
そのせいで詩織にはのぼせさせるぐらい長風呂させてしまって、昨夜は詩織の身体を気遣ってさっさと就寝した。
俺はのぼせて真っ赤な詩織も良かったな…なんて反芻してしまい、ここで落ち着くどころか正反対になってることに自分の頬を叩いた。
目を覚ませ!!!
バカか、俺は!!!!
トイレから出ると洗面所で顔を洗い、煩悩を吹き飛ばそうとガシガシとタオルで顔を拭いた。
そこでなんとか少し落ち着いて自分を取り戻すことに成功して、大きく深呼吸してから寝室に戻る。
すると部屋に入ったところで詩織が目を覚ましたのか、寝惚け眼でゆっくり身体を起こすのが目に入った。
「…いさかくん…。おはよぉ…。」
詩織は寝癖満載のボサボサ頭で舌っ足らずにふにゃっと柔らかい笑顔を浮かべて、俺は新しい詩織の姿に理性が全部持っていかれそうになり放心した。
!!!!!!
こっ――――っっれは、反則だろ!?!?!
俺は今にも襲い掛かりそうだったので部屋の入り口の柱をガシッと掴んで、足を踏ん張った。
詩織は子供のように目を擦ると大きく伸びしていて、俺はちらっと見えた詩織のお腹に目が吸い寄せられる。
ぐわっ!!!目が勝手に!!!!
俺はもう片方の手で目を押さえると、「はよ!!」とだけ返す。
すると詩織が立ち上がって俺の目の前に来たのか、声が近くなる。
「いさかくん、今日講義ある?朝ご飯食べなきゃだよね?」
「講義はねぇけど、午後からバイトで!!あ、でもバイトの前にちょっと教授に聞きたい事あるから大学には行くかもだけど!!」
「そっか。じゃあ、朝はゆっくりできるんだ?」
「できる、できる!!だから朝飯は急がねぇから!!」
俺は聞かれたことに素早く答えて自分の気を逸らそうとしていたら、詩織から嬉しそうな声で「やった。」という呟きと笑い声が聞こえて、目を覆っていた手の隙間から詩織を盗み見た。
そこにはふわっと花のように嬉しそうな笑みを浮かべる詩織がいて、俺は脳内が詩織の笑顔一色に切り替わってしまった。
もう無理だ――――
俺は頭で考えるより先に手が詩織に伸びていて、気がついたら詩織に深く口付けた状態でベッドに押し倒していた。
頭の隅では『ダメだ』『やめろ』という声が小さく響いていたのだけど、詩織の表情や反応から嫌がられていないと感じていたので、そのまま続行してしまったのだった。
***
―――――自分がこえぇ~……
俺はバイト前に小木曽教授に昨日の学会のことを聞こうと大学に足を向けていた。
その道中、今朝のことを思い返して、歯止めがきかなくなった自分に自分で怖くなっていた。
理性が飛ぶというのはああいうことを言うんだと、直に味わった。
詩織もいつもの俺と違うと感じて戸惑っていたようで、大丈夫だと言いながらも態度が少し変だった。
あれが俺への拒絶の態度じゃなければいいけど…
とりあえず家に帰ったら、もう一度ちゃんと謝っておこう。
そんで今夜は絶対詩織に欲情しないように気を引き締めよう。
俺はそう心に決めて、大学に向かう足を速めた。
そしてバイトの時間を気にしながら小木曽教授の研究室棟前に来ると、入り口で先輩とバッタリ会ってしまった。
俺は昨日のこともあり気まずくて挨拶だけして切り抜けようとしたら、ガシッと肩を組まれて逃げられなくなってしまった。
「おい、今日はえらく顔色良さそうだな?さぞ夢のような一晩を過ごしたんだろうなぁぁ??」
先輩はなぜか怒ってるようで、言葉の節々に棘を感じる。
俺は顔を近づけてくる先輩の圧を避けようと、先輩の顔を押し返しながら答えた。
「そうですね。こっちにきてから今までにないぐらい充実した夜でしたよ。」
「自慢か!!この野郎!!!!こっちはしばらく一人寝だってのに!!」
先輩は俺の言い方に腹を立てたようで、胸倉を掴みグラグラと激しく揺らしてきて、俺は視界がおかしくなる。
「あんな可愛らしい彼女がいるってこと、今までずーっと黙ってやがって、俺の惚気を鼻で笑ってたんだろ!?」
「そんっ、なわけないじゃないですか。」
先輩は今まで散々歴代彼女の話を俺に聞かせてきていて、俺は興味もなかったので適当に相槌だけ打っていた。
先輩の言い方からすると、あれは彼女ナシだと思ってた俺への自慢だったようだ。
それが詩織の登場で、先輩のプライドを傷つけてしまったのかもしれない…
俺はそう察すると、面倒くさいことになる前に手を打つ事にした。
「先輩。俺は今まで彼女一人だけなんで、先輩の話は色々勉強になりましたよ?鼻で笑うなんてあり得ないですよ。」
「………なんだ、急に自慢か。」
「はい?」
俺は褒めたつもりだったのに、先輩はじとっと俺を睨んでくる。
「俺は彼女に一筋で、他の女には目もくれない真面目な奴だってアピールか!!悪かったな!!過去の女が何人もいてよぉ!!」
はぁ!?この人、朝から酒でも飲んでんのか!?
俺はウザく絡んでくる先輩に顔が引きつったけど、「そんなんじゃないですよ!」と否定しておく。
すると先輩が据わった目つきで言った。
「お前、今日は付き合ってもらうからな。」
「は?」
「俺を欺いてた罰だ。今日は彼女のとこに帰してやらねー。」
「はぁぁぁ!?!?!ちょっ、し、…彼女明日には帰るんで、それ困るんですけど!!」
「だからだろ。せいぜい苦しめ。」
先輩はふはははっ!と悪魔のように笑うと、言葉通り俺を放すつもりがないのか組んだ肩に力を入れてくる。
冗談じゃない!!!
俺は残り少ない詩織との時間をとられてたまるかと、先輩の腕を引き剥がしてドンッと押し返した。
「俺!!これからバイトあるんで!!!それじゃ!!」
俺は小木曽教授のところに行くのを諦めると、先輩から脱兎のごとく逃げ出した。
先輩は「待ちやがれ!!!」と追いかけてきたけど、俺は持ち前の足の速さでなんとかその場を切り抜けられたのだった。