八章『この世の彼方の夢海』5
今週は木曜日も更新できる……と断言したいです。
かつてサンフランシスコは移民たちを受け入れる港であり、良くも悪くも混沌とした都市だった。
1999年以前は少なくとも建前の上ではこの地にも自由と平等が存在した。
だが、マーズ・フォリナーのコクピット壁面に投影される複数の映像群は、そうではなかった。
1990年代の文化と風俗は保たれているが、その恩恵に浴しているのは白人だけ。
黄色人種や黒人たちは、使用人や奴隷としてのみ存在を許されている。
奴隷解放や公民権運動といった革新がもたらしたアメリカ合衆国の数少ない美点さえも、この閉ざされた小世界においては、失敗した、誤った施策であり、禁酒法と同様に悪し様に言われ、打ち捨てられていた。
神の名のもとに平等であり自由なのはキリスト教徒の白人だけであり、それ以外の者は財産ではあるが人モドキでしかない。
ゆえにそこでは――
乳飲み子の弟を背負ったまま靴磨きをして日銭を稼ぐ中国人の女児がギャング気取りの白人少年たちにツバを浴びせられても愛想笑いを浮かべていた。
宅配ピザの配達途中で赤ら顔の汚職警官に呼び止められた黒人の青年は賄賂を拒んで拳銃で撃ち殺された挙げ句に財布を奪われて蹴り飛ばされていたる
アメリカ合衆国市民権を剥奪された日系の老人はホームレスとなってゴミ箱から残飯を漁っていたが、レストランの店主はそこにわざと腐った食材ばかり投げ入れてこれ見よがしに置いている。
教会とその周辺だけは一見して平和な秩序が保たれている。
だがそこは、幼い子供たちや年若い少年少女が集められて、いかに白人のキリスト教徒が素晴らしい存在であり、自分たちは劣った種族であるかという洗脳教育を施される場でもある。
彼らの父や母、保護者たちは家族を奴隷教育の場に差し出すことできわめて低いレベルの衣食住を与えられていた。
神父や牧師のメガネにかなうだけの愛らしさと美しさ、そして従順さを見初められた者たちはそこから選抜され、慰みものにされたり、労働力として酷使され、使い捨てられる。
「何が言いたいマーズ・フォリナー?」
コクピットに座す大久保ハヤトは、内心の憤りを隠しつつ愛機からの意思表示に反応した。
神霊の化身と称するKGMとは異なり、彼のマグナキャリバーは語らない。
だが時にはその行動で示すのだ。
「……ここにいる誰かに、あるいは全員にこれを見て欲しい、そういうことだと思うわ」
ハヤトの左隣に立つ玖堂タマモが指摘する。
彼女は弟よりも上手く感情を伏せることができていた。
「それって悪趣味だと思う。いったい何のために見せてるの? こんなの……世界史でやった昔の南北戦争よりも前と同じか……もっとひどい世界でしょ?」
そう続けたのはタマモの後ろに立つ入間ナナミだった。
彼女には教科書で学んだ『旧アメリカ合衆国はVA源動基の暴走事故と思われる何かが原因で消滅してしまい観測することも不可能となった』という情報しかない。
だからこそ、あれこれと深読みや推測することもなく、素直に疑問を口に出すことができた。
「むかしのことじゃないよ……アメリカのひとは……サロメたちチカナのみんなに……もっとひどいことしたよ……」
コクピット内の後部座席を占有するのはサロメだったが、見た目も言動も5、6歳児という最年少であることから、周囲に立つことになった少女たちは誰一人として異議を唱えることもなかった。
「うむ、トゥーレの世においても……儂や同胞たちは同じ扱いじゃったぞ。あの御方が立ち上がってくださるその時までは」
イシスはサロメの右隣に立っていて、その頭をなでていた。
「あのおかた?」
「おぬしは身内の者からは伝えきいてはおらぬのか? 獣人種を率いてトゥーレに反旗を翻した抱いたなる王の名と偉業を?」
「サロメはしらないよ」
「アレス様というその名をサロメをおぼえておくがよかろう。ああ、ついさきほどまでにハヤトと戦ったあげくに抱き込まれた者と名も姿も似てはおったが別人じゃぞ」
「ハヤトはしってた?」
サロメが後部座席から身を乗り出して、ハヤトの後頭部から問いかける。
「いいや知らない。思い出さない方がいいこともあるって、忠告したやつがいてな。能動的には知ろうとはしてない。断片的な情報と伝聞したってレベルだ」
それを聞いてタマモの表情が変わった
戸惑っていた。
「おかしいわよハヤト。だってあなた、わたしを助けてくれた時には気に食わないが使える力はなんでも使わせてもらうと言って――」
「俺がタマを助けたことなんて、ただの一度もない。その逆は山程あるが」
「あなた……五歳児のわたしを助ける……それよりも前のハヤト……だというの?」
「どうも、そうらしいな」
獅子王と同化したマーズ・フォリナーはサンフランシスコの夜空を飛翔して太平洋側へと加速していく。
コクピットの壁面には絶え間なく無数のおぞましい光景が繰り広げられていた。
「……で、助けられたことは山程あるんだし、ひとつくらい上乗せしてもいいよなタマ」
「だめよ。わたしが仮にこの機体を預かることができたとしても、あなたは大久保ハヤトなのよ。次元の狭間に退避した合衆国のクズたちを皆殺しにするのが使命なの?」
「ありがたいことに、奇跡的な巡り合わせのおかげでここには先代がいる。だから俺はKGMとその名を一時返上させてもらう」
ハヤトの思念を受けたマーズ・フォリナーは胸部コクピットハッチを展開させた。
「やめなさいイサミっ!」
タマモはハヤトの肩をつかんで引き戻そうしたが、立てかけてあった二振りのKGMが同時に中空に浮かび、その邪魔をして間に合わない。
そのわずかな間に黒い学生服の少年は瞬間移動めいた迅速さて飛び出してしまい、コクピットハッチもすぐに閉鎖された。
「……おぬしが操縦席に座るしかあるまいよ玖堂タマモ……それとも彼が去った今は大久保ハヤトと呼べきかのう?」
「どうしてあの子は……こんな無茶を」
イシスの言葉に反感を抱きながらもタマモは弟が座っていた場所に着座する。
「先代である、おぬしからの薫陶の賜物といったところじゃろうよ。くふふふ」
「イシス、なんでわらってるの?」
「ハヤトがしたこと、いや、これからすること、為すであろうことは不毛で無益で愚かなことであろうよ……じゃがな……あの御方……アレス様も……儂に光を見せて、進む道を示してくださったかたも……同じなのじゃよ」
マーズ・フォリナーのコクピット壁面は周囲の夜景を投影する状態に戻っている。
「タマちゃんどうするの?」
「少し待って……KGM経由で……伝承院様にも手伝ってもらって……なんとかこの機体を動かせるようにするわ」
慣れない操縦方法を試行錯誤するタマモは呼びかけてきたナナミにイライラした口調で返す。
「それから後は?」
「もちろん――」
「ハヤトをおいかけるの!」
タマモの機先を制するように後部座席のサロメが叫ぶ。
「では、そのためにも……儂も手を貸すとしよう。宮川ユウゴのひ孫よ」
イシスは地表へと降下していったハヤトが放つ霊力のきらめき――その輝点を眼下に見つめながら、マーズ・フォリナーの一部となっている獅子王の制御のために術式を編み始めるのだった。




