八章『この世の彼方の夢海』3
「わたしの弟は大切な人のために自分の命を賭けて戦ったわ。いくらあなたがハヤトでも……いいえ……あなたがハヤトだからこそ、そんな言葉は認めないっ!」
タマモは相手が宮川イサミの成り行くであろう大久保ハヤトだと知っている。
その上で、つい半年前に起きた、幼い弟の行動をバカにされたことが許せなかった。
たとえそれが弟本人の口から出た言葉であってもだ。
「……買いかぶりすぎだぜタマ。あのガキは……仲良しの女の子の前で、大活躍して、いいとこ見せて、後で大好きなお姉ちゃんにもよくやったわねイサミ、って、ほめられたかっただけのクソガキなんだ」
タマモからの高圧的な視線を避けてうつむきながらハヤトがぼやく。
すると再び、平手打ちがさっきとは反対側の頬を打つ。
「あの時のイサミの行動をバカにするということは、ラネブ殿下やミシュレットさん、それとわたしと同じ名のちいさな女の子が助かって、生き延びたことを否定するのと同じよ。撤回しなさいハヤト!」
「……あの時は上手くいった。だから俺は……また上手くできるはずだと思い上がってユイリンを……」
深い後悔の念がこもったつぶやきをもらしながらハヤトはうつむいたままだった。
「ユイリンがどうかしてしまったの?」
「2025年を生きてるタマには関係ない。俺にとってはもう結末が決まっていることなんだ」
ハヤトが冷静であればこの時点で姉が自分の正体を看破していると気付くことができた。
だが会話の流れで出てしまった幼馴染の運命が彼を動揺させていた。
「これは異なことを言うものじゃなハヤトよ」
会話に割り込んできたのはイシスだった。
彼女は呪符を取り出してそれを自分自身と入間ナナミの肩に貼り付けていた。
古代エジプトで用いられた神聖文字と文様が記されたそれが発光して消滅すると、ふたりの少女が見にまとっていた着衣の残骸は真新しい卸したての新品のように復元していた。
「わ……ボロホロだったのが……きれいになった?」
「覚醒した天空の女王のように不老不死の身体やら古代兵器の完全復元といったのは難しいが、衣服を元通りにする程度はわしの符法でもこの通りじゃ」
イシスはそう言ってから、ハヤトとタマモとの間に進んで両手を伸ばし、ふたりを引き離す。
「さてタマモとやら、太祖ネフェル様の名を与えた、わしの孫を師としているというのであれば、おぬしはわしにとっては、孫弟子……いやひ孫弟子、ということになるのであろう?」
「ネフェル先生の……お祖母様なのですか。確かに今の呪符の反応は先生のものと親しい波動でした。イシスさんの来歴は存じていますが、血縁だったんですね」
「うむ。そういう次第であるから、この場はわしの仕切りに委せるのじゃ。よいな?」
「は、はい……」
「次はハヤトの番になるが……いつまでふてくされておる? この座標に到着してタマモを見つけた直後の喜びようはどうしたのじゃ?」
「あんたには関係ない。これは身内の話だ。さっさとマーズ・フォリナーに乗り込めばいい。話はそこで続ければいいだろ」
「ふん、グルーム・レイク基地での暴れっぷりやアレスと名乗ったあの者を相手にした時の威勢の良さはどこぞへ消えたのかのう?」
「よけーなこと言うなイシス! 俺たちとタマとナナちゃんは戻る座標が別だ! 戻す時と戻る時には、それぞれが知るはずない情報をおぼえてたら、その分――」
「いまさら何を」
イシスは鼻で笑った。
「すでに因果など破れておるわ。これを正せるとすれば、認識した事象をおのれに都合よく改変できるという、かのトゥーレ最後の王アッシュールか、あるいはその娘として全権を委ねられた天空の女王のみ。あるいは――」
そこでイシスは、ハヤトが左肩から下げている白銀のハードケースと、さっきハヤトが拾い上げて手渡した同一のKGMを両手でつかんで困惑する入間ナナミを見た。
「ネコミミさん、なんであたし見てるの?」
「おぬしではない。おぬしがその手に預かるタマモのKGMを見たのじゃ。同じ剣が同時に、同じ時と場に複数存在しておる。それが答えを導き出す鍵であろう」
イシスはそう断言するが、意味をすぐに理解できるものは誰もおらず、沈黙が続いた。




