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八章『この世の彼方の夢海』2

「……あれがハヤトの姉」


マーズ・フォリナー胸部の展開したコクピットハッチ――融合同化した獅子王の口が開いた状態のそこに身を乗り出したイシスがつぶやく。


「あのひと、おおきいのに、こどもみたい。サロメはあんなに、わあわあ、ないたりしない」


イシスの背中から顔を出して眼下の光景を見守るサロメの表情には、ハヤトの関心を占めているタマモへの嫉妬がありありと浮かんでいた。


天空の女王(カレン)の器でありながら、それに囚われることなく人であることを選んだ者の姿か」


イシスの視線は次いで、同じ宿命にあるサロメに振り返る。

本来であれば討伐する対象であるのだが、もう殺せなくなっている相手だった。


「ねえイシス……」

「なんじゃサロメよ。おぬしの抱いている感情は嫉妬心というものじゃと説明されたいのかえ?」

「ううん、ここ……この場所……なんだかすごく変……なんだかいろんなものが……しんだみたいになってるっていうか……しずかすぎて……きもちわるい」


サロメは、すがるように彼女の救援者であり保護者も同然であるハヤトを見つめた。


「ええっとどう説明すればいいかな……」


黒い学生服の少年は、ようやく泣き止んで落ち着いたタマモを立たせると、もうひとりの少女――入間ナナミに向き直っていた。


「ナナちゃん……ナナミ……ええと名字は……井上ナナミ、だよな?」


それが、2035年における彼女の結婚後の名字であり、それ以前は芸名も含めて本名の入間ナナミであったことを知らぬままハヤトは言ってしまった。


「ナナミは合ってますけど、入間ナナミです。井上じゃないですよ、お兄さん」


2025年を生きるナナミからすれば彼は、超人的な身体能力からしてハーメルン症候群発症者であり、理由は不明だが玖堂タマモと親しい謎の少年でしかない。


「そ、そうだったか……悪い。じゃあ入間ナナミ、とにかく、俺たちと来てくれ。ここはまともな人間が長居していられるような座標じゃない」

「座標?」

「……時間と場所の定義が、あいまいな座標って意味だ。とにかくここは物騒な気配だらけって感じだからな」


混乱させるだけだと考えたようで、ハヤトは自分たちの間に流れる時間差についての説明を意図的に省略した。


「はっきり言えばいいわハヤト。ここはメサイア・プランが撤退戦と嫌がらせを兼ねて作り上げた、まぼろしのアメリカ合衆国……その可能性のなごりだと」


冷静さを取り戻したタマモが言う。


「タマちゃん、もっと普通の人のあたしにもわかるように説明してよ?」

「じゃあハヤトさんが説明してください」

「……俺は口下手なんだ」

「では、わしが説明してやろう」

マーズ・フォリナーがその右手を開いて、そこにイシスとサロメを載せて近付けてきた。


「ネフェル先生っ?」


タマモが目を見張り、イシスを見上げた。

彼女にとっては伝承院・一文字キクカと同様に、ひとつ前の前世である九重タマモとしては敵対し、今生では、呪符を扱う技法の師のひとりネフェル・アケトアテンと似通った姿だった。


さらにそのひとつ前の前世である(ホワン)玉鈴(ユイリン)としての意識が鮮明であれば、相手がイシスであったことはすぐわかったはずだが、今の時点では顕在化していない。


「それは我ら獣人種の太祖ネフェル様を指しての言葉では……なさそうじゃなハヤトの姉よ」

「……はい、イシスさん。わたしの中の黄玉鈴が……あなたのことを少し遅れてですが教えてくれました」

「そうか……」


イシスはタマモをじいっと見据えていた。

彼女にとってはサロメと同様に討伐すべき対象でもあるのだ。


「ねえハヤトさん」

「なんだよナナちゃん」

「ナナちゃんでもいいですけど、いつまでネコミミの人、タマちゃんをにらんでるんですか?」

「初対面の猫と同じで、相手の格付けしてケンカを売るか、腹を見せて降参するかの判断中だろ」

「ねえハヤト、ないてたひとがだれなのかは、イシスがおしえてくれたけど、このひとは?」

「わあ、キツネの耳だ。かわいい~」

「ナナちゃんこと、井上……じゃなくて入間ナナミちゃん。テレビとか映画で活躍してる女優さんだ。俺はこの人のファンなんだ」

「え? 本当に?」


自分の来歴を説明せず都合良く話を進めるためにハヤトはそう説明した。


「テレビにでる人なの? すごーい!」


すると、サロメのナナミを見る目が尊敬のまなざしに変わった。


「ま、まだ端役とか脇役とか、そーゆーのばっかりだけどね。そうだ、でも今度ね、昔やってたペンギン・アドベンチャーっていう海外アニメのリメイク版で主役の吹き替えの役をもらえそうなんだ」

「ぺんぎん・あどべんちゃーっ!」


サロメは大興奮して感激してしまう。

ハヤトは混沌としてきた状況をどう収拾させるか頭を抱えたが、その時、地面に転がっているもうひとつの白銀のハードケース――タマモが継承し、使用していたKGMと、折れた刀が目に入った。


「徹底的に……都合の悪い状況が発生しやすくする仕掛けがあるってわけかよ」


和んでいた口調だったハヤトが忌々しそうにつぶやく。


「どういう意味じゃハヤトよ?」

「説明しなさいハヤト?」


にらみ合っていたタマモとイシスの視線がハヤトに向けられた。


「ここは……メサイア・プランの連中というよりは、連中を利用していたつもりの白人至上主義者の夢の跡地だ。だからそいつらにとっては有色人種の俺やタマ、獣人種のイシスやサロメがやることなすこと、すべてマイナスな結果が起こりやすくなってる。そういう意味だ」


ハヤトは言いながら、落ちていた刃を拾い集めて、それを白銀のハードケースに納刀してしまった。


「ここは白人至上主義者にとって、理想的な21世紀を迎えたアメリカ合衆国……その夢想の残骸なんだ……俺たちはこの座標からは嫌われている。だからさっさと出て行けと嫌がらせを受けてる」


ハヤトの言葉を受けて、どこからか風に乗って新聞紙が飛んでくる。


「タイプB生体兵器の実用化から25年……VA源動基のすべてを合宿国戦略機甲軍が保有する現状に統合ユーロが無駄な抗議……旧日本領……合衆国極東自治区の反政府テロ活動の鎮圧……じゃと?」

「皮肉にもアメリカ合衆国が北米大陸の全領土を巻き込んで別の時空座標に転移したあげく、ろくでもないものだけ残したっていう俺たちの現実とは正反対の結果が……新聞の記事になってるわけだ」


アメリカ海洋連合を建国した旧アメリカ合衆国の中にも残存する白人至上主義者のことを思い出しながらハヤトは、その新聞紙を乱雑に踏みつけた。


「さて、ナナちゃん……あんたの仕事だ。これ以上、俺たちに都合の悪い何かが起きる前に、さっさとここから逃げ出す」


ハヤトはナナミにKGMを突き出して示す。


「ハヤトさん?」

「玖堂タマモは自分が持つ強力な肉体再生の力とセットで、手にした武器やら道具を強化再生する能力も複製して渡している。知ってるな?」

「う、うん……」

「ところがあの女は妙な制約を自分で自分に設定しやがって、このKGMを継承するに当たって、それまで自分が使えていた力を全部、凍結しやがった。死んでも発動しないように念入りにな。いきがって、ヒーロー気取りの宮川イサミとかいうクソガキを助けるためにだ」


自虐的にハヤトがそう言うなり、タマモは不愉快そうな表情になって、その前に進み出ると、鋭い平手打ちを彼に浴びせた。


「はは……痛いんだよな……これ」


ハヤトはそれを避けようともしなかった。

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