八章『この世の彼方の夢海』1
ある意味ではこれで完結……なのですが、まだ続きます。
「入間ナナミ。すまないが先刻の申し出は撤回させてもらう。この状態の私がこの巨大な鳥カゴから抜け出る手段は皆無だ」
KGMはもう一度、右腕を払って霊気をまとう疾風の刃を放ったが、それはやはり、雲散霧消するだけだった。
ナナミは黙ってその背中と彼方に浮かぶ空と海の交わるところを見ていた。
思いがけない玖堂タマモとの再会から始まった非日常の連続に心が麻痺しそうだったからだ。
「しかし安心するがいい。私の真の主が、ようやくここへとたどり着いた。彼が、おまえとタマモをあるべき時と場へと導くだろう」
KGMは満足げな笑みを見せてナナミに振り返った。
「どういうこと?」
「まぐなきゃりばーが来てくれたおかげで存在確率が上昇した。おまえとタマモは属していた時と場へと戻れる。ただし――」
玖堂タマモの身体に宿るKGMはそう言いながら、近付いてくるマーズ・フォリナーと、その胸部コクピットハッチから飛び出してきた黒い学生服の少年を見上げて目を細める。
少年の左肩には白銀のハードケースが吊り下げられていた。
ナナミの足元近くに転がっているそれと同一の物だ。
「永遠にさまよい続けるさだめにある真の主は……いや、今は語るまい。これは我が主への報酬だ……受け取るがいい、かりそめの主たる玖堂タマモよ」
KGMは目を閉じた。
すると、玖堂タマモの身体は足元をふらふらとさせ、地面の上に立っていることができず倒れ込んでしまう――否、そうなる直前に超人的な早さで駆け付けた黒い学生服の少年が抱き留めた。
「俺……間に合った、よな?」
彼自身も地面にひざをつけてタマモを支えるハヤトは、あっけに取られて呆然とするナナミを見上げて同意を求めた。
「う、うん……たぶん」
ナナミはどうやらこの少年が敵対的な相手ではないことに安心して、こくん、と、うなずいた。
「間に合ってなんかいないわ!」
ハヤトの腕の中で目覚めたタマモが、いきなり怒鳴った。
「お、おい……」
「またすぐ会えるって……そう言ったから行かせてあげたのよ!」
伝承院・一文字キクカの計らいで無事に自分の意識を肉体に戻すことができたタマモ。
その彼女の脳裏には5歳児だった当時に出会い、そして別れた少年の姿が浮かんでいた。
そしてそれは目の前で自分を抱き留めている大久保ハヤトとほぼ重なり合っている。
「残念ね? わたし、もう5歳児ではなくなってしまったわ。あなたの特殊で変態的な性的嗜好をぶつけて満たせる対象ではなくなってしまったのよ?」
タマモは勝ち誇ったように言い放ち、挑戦的な目でハヤトを見つめた。
「……お兄さん、タマちゃんとは、どういう関係なんですか?」
不審者を見るような、いぶかしげな表情のナナミからの視線がハヤトには痛い。
「なあ――」
「いいから黙って最後まで聞いていなさい!」
「……わかったよ」
不承不承という感じでハヤトは口を閉じた。
彼にはまだ、5歳児であった当時の玖堂タマモを救うためにシュトレゴイカバールに赴いた記憶と経験はなかったが、姉の性格は熟知している。
「それもこれも、ハヤトが来てくれるのが……会いに来てくれるのが遅すぎるからなの。あなたのせいよ、ぜーんぶ、あなたが悪いの!」
「……」
「反省した? 当然そうなるわよね? あなた失礼で乱暴な人だけれど、反省はする人だもの。きっとそうだと信じているわ」
「なんて言えば落ち着いてくれるんだ?」
「がんばって強くなったんだから……お金もたくさん稼いで……探したんだから……ぜんぶ、ぜんぶハヤトにもう一度会うために……わたし……わたしっ……」
タマモは知っている。
つい数ヶ月前の新宿での戦いの直前に、キド大尉からはっきりと、この黒い学生服の少年こそが、まだ幼い実の弟イサミの成り行く姿であるということを。
「な、泣くなよ、おい?」
「ううっ……えうううっ……くっ……う……ハヤトのばかあっ……」
けれど今こうして再びその腕に抱きしめられている間だけはそれを忘れてタマモは5歳児だった当時の想いのままに泣きじゃくるのだった。




