断章『見えざる剣』26
そろそろ断章が終わってくれそうな気配がします。
「ぼくたちの姉さんと、そして母さんの生きる場所を保つためだ。就職させろハヤト」
弟の視点から映し出された玖堂タマモの生き様を見届けたアレス――宮川ユウであった少年がそう言うと周囲は一変した。
宮川家の屋敷縁側と和風庭園であった場所は、星の光が欠けた暗闇と緑色のグリッドパターンが無限に伸びていく不可思議な空間となっていた。
「社長権限で即採用だ。社長が俺で社長秘書は埋まってる。アレスはそれ以外の好きな役職を言ってくれ。部長でも課長でも主任でも好きなやつでいい。給料は同じだけどな」
ハヤトは隣に立つアレスに気安く答えた。
自宅でやっている家業に友人をアルバイトとして誘うような雰囲気だった。
「指南役……と言いたいが現代的ではないから相談役か顧問としておこう」
「ミシェル・バーネットとかいう強欲な相談役兼大株主はもういるんだが」
「……なるほど。ぼくが宮川イサミであった時と場には彼女は存在していない。だが、ハヤトはそうではなかった。彼女こそが鍵である……ということか」
「そういう話を相談役兼大株主に振ると、自分は間に合わせの代理人でしかない、とかとぼけられて、めんどくさい仕事ばっかり押し付けられるぞ。今現在のこっちにいる方は、らしくないと思うくらいに右往左往するところがあって多少かわいげがある」
「思い当たるふしは、ぼくにもある。ミシェル・シャノワーヌが端末として実体化し、ぼくを超越者の一部に勧誘する直前、そのかわいげがある方のミシェル・バーネットには会っているよ。彼女はぼくのにとって、ここ数年来の協力者だったからね」
アレスは軽く右腕を払うようにしながらそう言った。
無機質な空間は、マーズ・フォリナーのそれをいくらか拡大した程度の常識的なコクピット内部へと変容する。
「なあ相談役のアレス、そのミシェル・シャノワーヌとかいうやつは誰だ?」
ハヤトにとってその姓名は初めて耳にする言葉の連なりだった。
「相談役兼大株主の親戚とか、いとこか何かなのか?」
さも当然のように、シャノワーヌの姓を名乗る彼女がミシェル・バーネットの前身だとハヤトも知っていると思い込んでいたアレスにとっては意外な反応だった。
そして、気付いてしまった。
未だその途上にあるとはいえ、あるべき単一の世界と歴史だけを取捨選択して統合しようとする存在に使役される超越者が宮川ユウだった自分を取り込んだ理由を。
「たったひとこと……毒のように作用する情報の伝達役として使い捨てる前提で……仕組んでくれたというわけか……不愉快極まりないな」
ミシェル・シャノワーヌの来歴を知らぬハヤトを、彼女との戦いに誘導する。
そうすることで超越者側は、不確定要素が、決定的な役割を果たせる余裕を削り取ろうとしているのだ。
「おい相談役、どうした? 連中から足抜けするのに邪魔に呪いとか仕掛けてあるとかなら、斬ってやるから心配すんな?」
ハヤトは隣に立つアレスの肩を叩こうとしたが、わずかに位置をずらされてしまいその手は空を切る。
「ははっ、天神夢想流の免許皆伝であるぼくに対してそれは、いささか大胆すぎる発言だなハヤト」
「自前でもうぶった切り済みだと理解していいのか?」
「そういうことだ。つまり、ぼくはおまえが目録程度の技量で修行を投げ出しているのだと理解できているぞ」
アレスから伝わる気配が変化していた。
ハヤトはとっさに身体を後退させたが、前髪を数センチほど切り払われている。
「相談役とかいう役職名らしく、俺に修行でもさせる気かよ」
「それは宮川ユウゴに任せるしかない。あるいは御門タカアキかもしれないが……少なくとも、そのままでは奥義たる御霊鎮めを満足には扱えまい」
アレスの左手には白い霊気を放射する木刀が握られていた。
その切っ先がハヤトの前髪を散らしたのだった。
「だが、玖堂流廃刃剣はマスターしておいたぜ」
徒手空拳のハヤトが胸部を展開させたコクピットハッチの上で笑う。
アレスにはその背後で不安そうにこちらの様子をうかがうサロメとイシス、そして奇妙な波動を放つ白銀のハードケースを見据えた。
「ミシェル・シャノワーヌの件だが――」
大久保ハヤトの動向を左右するであろう言葉を、あえてアレスは口にすると決めた。
それは賭けだった。
「それを知れば、おまえは〈タイラント〉の破壊という使命を果たす道半ばで息絶える確率が高くなるとだけ言っておく。それでも聞きたいか?」
「確率の話はもう慣れている。言えよ相談役。あのむかつく相談役大株主は人質でも取られてる、そんなとこだろ?」
「ほぼ正解だ……」
アレスは苦笑していた。
異なる可能性の自分は期待に応えてくれたのだと知り、満足もしていた。
「んじゃ、人質のシャノワーヌとかいうのを助けに行く俺のアシストが、おまえの初仕事ってことになりそうだな、アレス」
「いいや、ハヤト。それは宮川イサミの……前世でそう呼ばれていたぼくの最後の仕事だ。行け」
アレスの踏み込みにハヤトは対応することができた。
彼は木刀を持ち替えて、その刃を握り、柄の部分をハヤトに差し出していた。
だからハヤトは動かずにそれを握って受け取った。
「こいつは……あんたの愛刀ってやつじゃないのかよ」
「持っていけ。いつか役に立つはずだ」
「けど、あんたはどうする」
「ミシェル・シャノワーヌをあるべき時と場に導く程度、免許皆伝ともなればたやすい。ああ、そうだ、相談役兼大株主に伝言をひとつ頼むハヤト」
「早く言え。なんかやばそうな気配がするぞ……」
マーズ・フォリナーの胸部コクピットハッチに立ったハヤトが急かす。
「あなたの弱さを嘲笑って挑発したが、鏡に映った別の自分に嫉妬し恐怖したぼくには、そうするだけの資格はなかった。すまない、とな」
「おい、そんな遺言めいたのは無しだ。ちゃんと自分で言えよアレス。あんたには俺と姉貴に年齢分のお年玉をたっぷり支払ってもらう義務ってやつがある――」
ハヤトはその悪態めいた引き留めようとする言葉を最後まで言えずにマーズ・フォリナーのコクピット内に引き込まれていった。
アレスにはKGMが発した強大な念動力こそがその理由であるのが見えていた。
「そうか……そこにいるのは……ぼく……と……彼女か」
アレスはアヴァターラの内部に戻るとコクピットハッチを閉鎖する。
ハヤト自身の抵抗は想定できたが、KGMであれば意図は了解してくれるだろうと考えて、マーズ・フォリナーを軌道上ではなく地球上のある座標に誘導し、そちらへ転移させた。
「どういうつもりですかアレス」
周囲の状況はすでに認識できてはいるが、彼は意図してそれを機動兵器としてのシルエットキャリバーを模した正面のスクリーンに投影させて、自身は左右の操縦桿を握った。
「どうもこうもないさ。ぼくは自分が好きなように振る舞うためにそちらの誘いを受け入れた。対価は支払った以上、貸し借りはもうゼロのはずだよミシェル・シャノワーヌ」
アレスのアヴァターラの前には青いマグナキャリバーが――ミシェル・シャノワーヌがそれとは知らずに乗り込んでいる〈タイクーン〉の姿があった。




