断章『見えざる剣』24
ひとまず、これだけでも。
「わたしは、あなたなんかにならない! わたしのヒロミさんとキクカさんをあきらめない!」
恋人である藤原ヒロミを葬り去った原因であるトゥーレ最後の王アッシュールのマグナキャリバー。
その憎むべき仇敵の姿を正しく認識できぬまま『タイラント』のコクピットに座すミシェルは、巧みな戦闘機動で攻撃を回避し続けるフェザー・シュバリエを忌々しそうににらみつけていた。
ミシェル・シャノワーヌは、かつて自分が属していた世界と愛していた者たちを取り戻せるという、まやかしの提案に乗せられて超越者の一部となったミシュリーヌ・バーネットの成れの果てである。
その偽りの名は、彼女の姉ミレーユが妹たちを連れてお忍びで外出する際に使用した偽造データに由来する。
彼女が産まれた時空座標での第三次世界大戦後、全世界に普及しきったST細胞発電所や工場群が
〈年代記収穫者〉の苗床となって終末が迫る中で、当時ミシュリーヌ・バーネットであったミシェルは、その名を使って任務の合間、恋人との短い逢瀬に逃避していた。
その恋人である藤原ヒロミもまた、藤原ヒロシという安易な偽名を使うことで名目上の待機時間を抜け出しては、学生時代の思い出話とあり得ない未来を語ることで精神の安定を保とうしていた。
シルエットキャリバー『フェザー・シュバリエ』は彼女が姉のミレーユから受け継いだ機体であり、恋人のシルエットキャリバー『フェンサー』もまた彼が亡き姉弟子から受け継いだ機体だった。
超越者の端末として、その尖兵として、無数の世界を画一的な法の下に塗り潰してきたミシェルにとっては、それらのシルエットキャリバーは無駄な抵抗を繰り返す似通った存在たちの武具でしかなかった。
だが、ひとたび特定の座標において実体化し、半ば独立した個性を再現してしまっている今現在においては、目の前のフェザー・シュバリエは彼女の過去と大切な思い出を踏みにじる不快極まりない行為となった。
しかもそれに乗る相手が、未来の自分自身だと自称しているのだからますます許せなくなる。
「これ見よがしにミレーユお姉さまの機体で……わたしの目の前に」
自分と同じ名を自称するその相手は、ミシェルと接触する機会をこれまで巧妙に回避してきた。
ようやくそれを出し抜いて直接対決に持ち込む手はずを整えるために、彼女は宮川ユウという男児にかつての自分と同じ提案をささやき、超越者の一部となるように取り計らった。
アレスと名乗った宮川ユウ。
彼と敵対した大久保ハヤトの劣勢に、ミシェル・バーネットが助力せざるを得ないように仕向けた。
だが忌々しい偽物はその場には出現することはなかった。
大久保ハヤト自身が、宮川ユウだった部分を説き伏せて、味方にしてしまったのだ。
やむなくミシェルは自らが超越者の一部として取り込んでしまった宮川ユウだった部分の処理に出現したのだが――
「……情報が欠落しているわ。なぜ、わたしはこの2025年という時空座標に存在しているの?」
ついさっきまでミシェル・シャノワーヌは、1999年の軌道上に展開されていた変異空間に強引に割り込んで侵入を果たす直前だったのだ。
トゥーレ最後の王アッシュールのために用意されたマグナキャリバー〈タイラント〉のコクピットに座していたミシェルは認識と記憶の断絶をいぶかしむ。
同時に並行して機体を操作して、フェザー・シュバリエに対しての重力波攻撃を繰り出す。
しかし、翼を持つ漆黒の機体は、わずかな被害だけでしのぎ、絶妙の間合いで絶え間なく続く超重力の弾丸を回避し続ける。
まるでミシェル自身が意図した攻撃をすべて見透かしたような戦闘機動だった。
『かつて、わたしだったあなたへ。その疑問の回答は、あなたという端末を都合よく使役するのには不要な情報だから制限されている、というものよ』
それは視認しているフェザー・シュバリエからの通信だった。
暗号化されていないオープンチャンネルでの音声ではあったが、ミシェルはそんなものを自分の愛機でありも亡き恋人の機体を復元した〈フェンサー〉のコクピット内で再生してもよいと許可したつもりはなかった。
ミシェル・シャノワーヌの認識の中では、そのマグナキャリバーは亡き恋人のそれを模した姿となっているのだ。
『そして、あなたが思い出の中から再現したつもりでいるそれは、わたしのヒロミさんを殺めた仇敵そのもの……〈タイラント〉なのよ』
「黙りなさい偽物っ!」
ミシェルは即座に干渉されしてまった部分との接続を絶ち、抹消する。
〈タイラント〉のコクピット内には静寂が戻った。
だが動揺は隠せない。
徹底的にその偽物の主張を黙殺して抹消するつもりでいたミシェルは、相手の声を愛機のコクピット内で再生するつもりなどなかった。
それなのに、現実として声を聞いてしまった。
すなわちそれは、偽物が超越者の一部であるミシェルを上回る能力を用いて、彼女の支配する領域に干渉できていることの証明でもある。
「これはヒロミさんがユミネさんから受け継いだ〈フェンサー〉よ……そして、それをわたしが引き継いだ……ヒロミさんやキクカさん……ユミネさんたち仲間を……友達を取り戻すために……その象徴として……超越者を構成する意識体の内の穏健派と契約して手に入れた力の結晶」
『それも都合よく与えられた認識でしかないのよミシェル・シャノワーヌ。超越者の内部には取り込んできた無数の意識体が存在するわ。でもそれらはすべて、単一の統合された世界と歴史を構築しようとする目的遂行のために使い分ける仮面でしかないの。アレスと名乗った宮川ユウさんの前に現れたあなたがそうだったように』
再び、偽物の声がマグナキャリバーのコクピット内に響く。
ミシェルが機体の外部から情報を取り込むために開放しておいた複合センサーが制御を奪われ、そこから干渉を受けている。
「わたしは彼に慈悲を与えたのよ! 可能性を提示したのよ! かわいそうだったから! ユミネさんの弟さんだったから!」
ミシェルは複合センサーを切り離して抹消する。
そして、それだけでは安心できなくなり、距離を保っての重力波攻撃などではなく、マグナキャリバーを高速で飛翔させてフェザー・シュバリエに接敵していく。
「そちらの言葉には矛盾があるわ! あなたがわたしの成れの果てだというのなら、宮川ユウがこちらに取り込まれる前に、そちらで干渉して妨害したはずよ!」
〈タイラント〉の右腕が貫手のようにフェザー・シュバリエのコクピットごと機体の胴体部分を貫通する。これでもう偽物は破壊されたはずだとミシェルは凄絶な笑みを浮かべた。
「ええ、その通りだわミシェル・シャノワーヌ。でもね、わたしは後になって、イサミさんを――大久保ハヤトを送り返すその時になってから思い出したの」
コクピット内に直接、響いたその声にミシェルはあわてて振り返った。
同時に〈タイラント〉の腕も引き抜かれていき、無残な状態となったフェザー・シュバリエは地表へと自由落下していく。
「超越者の端末だった頃の、ちょうど今現在のあなただった頃の自分の記憶や経験、それと関連情報の大半は凍結して行動していたということをね」
「なんのために?」
コクピット内の情景は変化していた。
元来、見た目だけとはその容積が一致しない機体ではあるが、そこは無機質な線と線と暗闇だけで構成される広大無辺な仮想空間となっていた。
「ミシェル・シャノワーヌを第三次世界大戦に立ち会わせず、彼をアルハザードとメサイア・プランとの戦いに専念させるためによ。ヒロミさんとユミネさんの子である彼は、わたしだったあなたのことまで知ってしまえば、なんとかしようとしてしまったでしょうから」
「そのために……わたしをあの座標からここに追いやるためだけに……宮川ユウが取り込まれることを見過ごすために……自分の記憶や情報を凍結していただなんて……たまたま上手くいっただけで失敗すればどうなるかを考慮しなかったというの? なによりもユウさんを自分の目的のために道具として利用しただなんて……超越者を敵としながら、やっていることは――」
「ごめんなさいね。その通りよ。これはどちらかといえば超越者側のやり方よね。あなたを構成している部分が、今は思い出せないはずの過去の経験を無意識に感じ取って、わたしの行動に憤っているのがわかるわ……おぼえているわ……でも、他に手段がなかった。認識をゆがめられて……狂ってしまったわたしは古代トゥーレ文明のカレンから九重タマモまで輪廻転生を繰り返してきたあの子と同じだから」
「何を言っているの? わたしの認識は正常よ?」
反論しながらミシェルは、自身に与えられた能力で周囲の空間を変容させ、ひとまずこの時空座標からの離脱を試みる。
「正常な認識の持ち主が、そもそも守りたかった大切な仲間の肉親を同類に落とし込もうとする?」
偽物は自嘲めいた表情を浮かべていた。
「そもそも自分ひとりだけが神様になれる箱庭の世界を手に入れられるとしても……その商品を買い取るための代金に、いくつもの世界の自分や仲間や恋人たちを地獄のような運命に叩き落とすことが……それを良しとすることが……果たして正しい認識なのかしら?」
それは偽物自身の経験からの言葉なのだとミシェルは気付いてしまった。
同時に、これまでは考えないようにしてきたはずの自責の念と後ろめたさを自覚してしまった。
「勝てるはず……ない……小手先の復元解析した技術や能力程度では……複数の世界……平行世界という名の時空連続体をひとつに統合しようとする神のような存在になんて……」
ミシェルはうつむいて偽物からの視線を避けた。
それは彼女の認識の中ではもう遠い遠い昔になってしまった過去においてミシュリーヌ・バーネットだった頃、恋人の前で吐いた弱音と同じだった。
「その弱音に対してヒロミさんがなんて答えてくれたのかも……今のあなたはまだ思い出せないのよね……」
偽物はためらうことなくミシェルに近づくと、手を伸ばして、うつむいていたその顔を強引に上げて見つめた。
「もしも本当にそちらがわたしの成れの果てなら……教えてください。知らないはずの情報なのに……それを知りたくなっているわ」
「言いたいこと、教えたいことはいくらでもあるわ。でも、わたしよりも先に会うべき人がいるわ……これからそこへ送ってあげる」
「ッ?」
ミシェルはそこで自分が展開しようとしていたはずの空間転移の座標の制御がニセモノに奪われていたことに気付いた。しかもそれはミシェル自身が扱える範囲を超えた微妙に異なる差異の平行世界間を行き交うためのものであることに驚愕する。
「超越者の端末としてのあなたには、きっとあと一度だけそこで機会が与えられるはずだわ。そこにいるわたしは、きっと、ずっと後のわたしでしょうけど……あちらのちいさいミーとヒロミさんを信じて……あなたを野放しにしておいてあげる……そこで自覚するといいわ」
「離して! わたしには使命が! わたしはわたしのヒロミさんとキクカさんをあきらめない!」
「……もういないのよ。ふたりとも死んだの。たとえどんなに同じ姿で途中までは同じ経験をしていても……それは別人なのよ。前世や来世として認識した経験や情報と同じように」
ミシェルは自分を強く抱きしめる偽物を振りほどこうとするが、力負けしていた。
ほとんど自壊めいた域にまで体内の霊結晶を活性化させた偽物に対してミシェルのそれは機能を制限されて対抗することができない。
本来であれば超越者としての強大無比な力がそのような能力を必要とはしないのだが、この偽物はミシェルのありとあらゆる思考と行動を先回りするように対処することで無効化してしまう。
「……まさか本当に……いいえ認めないわッ!」
「やりたいように、好きなようにすればいいわ。わたしも、そうしたのだから」
2025年という時空座標から離れた異なるどこかへと転移させられてゆく感覚を認識しながらミシェルと偽物、そして〈タイラント〉は東京上空から姿を消してゆく。
そして――
「これは……フェザー・シュバリエの胴体部分だけ?」
間に合わせにサイズの合わない守屋ヒビキの予備の軍服を着た玖堂タマモは、同行する国防陸軍の兵士たちと共に外部から落下してきた残骸の正体を確認していた。
「うわっ、なにこれ? コクピットの中、変な部品だらけで乗れないじゃない? 無人端末化されてる実験機か何か?」
守屋ヒビキは機体に触れることでその異能を用いて制限付きの管制下に置くことで状態を把握する。
「しかもなによこれ……いまどきバッテリー搭載タイプなのね。簡易型VA源動基じゃないんだ」
ヒビキは、ちょいちょい、と手招きしてタマモを呼び寄せる。
まだ彼女に対して隔意がありそうな表情のタマモだったが意図には気付いてヒビキの手を握った。
そうすると、ヒビキが異能によって得た機体に関する情報をタマモも共有できた。
「ヒビキさん、わたしならなんとかギリギリ入れそうです。簡易型VA源動基がありませんから、わたしが乗ってもトラブルの心配はありませんし」
「とりあえずタマモちゃん乗ってみてよ。回収できそうな情報あったら、よろしく~」
「わかりました。それと、玖堂って呼んでくれると気が楽です」
「はいは~い、玖堂ちゃ~ん」
やっぱりヒビキはその妹イズミと同じで自分の提案に配慮してはくれなかったと思いながらタマモはフェザー・シュバリエの極端に狭いコクピット内に入り込んで起動させるために左右の指先でキーボードを叩く。
シルエットキャリバーに搭乗してしまうことはタマモにとっては5歳児の頃からタマモにとっては禁忌だったが、それは機体そのものではなく動力源である簡易型VA源動基の存在を前提としている。
だからシミュレイターでの訓練と同じく抵抗はなかった。
『これは記録です玖堂タマモさん。いえ、たった今からあなたには大久保ハヤトの名を継いでもらうことになります。8年前に赤い髪の彼から託されたこれを受け取ってください』
「ミシェル・バーネット准将?」
タマモにとって彼女は、両親のかつての仲間たちのひとりミシュリーヌ・バーネットの姉として認識する相手だった。
『御佩刀の名は、それをあなたが抜刀したその時に、剣が語りかけるでしょうから、あえてわたしも今はそれはKGMと呼びましょう』
タマモが直立する狭苦しいコクピット内。
その壁面に立てかけられていた白銀のハードケースが存在を示すように明滅する。
たった今まではそれは完璧に気配を殺していた。
「あの人の……ハヤトの剣だわ……」
懐かしさにタマモはそうつぶやいて右手を伸ばす。
しかし、その表面に指先が触れた瞬間、彼女の意識は肉体と切り離された。
「待ちかねていたぞ玖堂タマモ、いいや宮川タマミ。それとも九尾の狐の成れの果てか? あまたあるそなたの輪廻転生の名のどれで呼びかけるべきかな?」
そこは白い玉砂利だけが敷き詰められた広大な砂漠のような空間だった。
タマモの眼の前にいるのは巫女装束をまとう5歳児だった頃の彼女自身だった。
ただし、その頭部にはキツネの耳、背中にはしっぽがある。
「玖堂タマモでいいわ。あなたが……ハヤトの言っていたKGM……なのね?」
タマモの問いにキツネ耳としっぽの童女は、不似合いな老獪さを備えた笑みで応じていた。




