断章『見えざる剣』19
地下通路を抜けた先の階段。
竪穴の坑道めいた螺旋階段を降りきったところに降り立ったのはラネブ・テクフール。
環太平洋合同軍ハワイ本部の多元機甲部隊クアドラ・フォース所属の軍人だ。
ラネブにはバギルスタン王国の宮廷騎士団のひとりとして友好国との軍事交流を深めて自国の軍制を刷新するという使命がある。
単にシルエットキャリバーの乗り手として研鑽を積むだけではなく、アデリーランド条約機構に加わる国々や列強諸国の軍事制度や実情を肌身で体感するべきだと判断し、自分の意思を押し通して立太子の儀を迎える成人前までの間、期限付きで故国を離れている。
「これはすごいな。休眠状態だってのに霊結晶から伝わってくる存在の強さが……半端じゃないぞ。本当にこれは13……おっと12のオリジナルVA源動基にはカウントされてないのか?」
青銅色の巨駆――イザナミと呼ばれる古代の遺物の足部分に近付いて上を見上げるラネブ。
祭祀王ネフレン・カー直系の血を引くがゆえに、その霊的感覚は鋭い。
皮肉にもラネブの母シエラザードが欲して得られなかったその才覚は、彼の叔母であるドニアザード・テクフールに匹敵する。
「有名なところではレムリア、ムウ、アトランティス……古代トゥーレ文明の残滓から技術と力を解析復元して勃興したはいいけれど滅びてしまった社会は多々あります。このイザナミという神像もそうした試みのなごりなのでしょうね。ミヨイだかタミアラ……タカマガハラでしたか」
主の後ろに続くヒューマニッカの少女――26年前からその見た目がほとんど変化していないミシュレット・バーネットが淡々と言う。
「大断絶、だったかな。知識と技術の社会的継承が絶たれた文明崩壊の言い方は。直近ではハイパーボレアとかいう時期がそうだったはずだ」
「……それは大久保ハヤト氏が言っていた独特の訛りあるいは古めの日本語表現です。ヒュペルボレアスと訂正してくださいラネブ様」
大西洋上に存在し、海底に沈んだ幻の大陸として有名なアトランティス文明は架空のものだ。
プラトンが語った寓話に過ぎないそれに無数の好事家が尾ひれを付け加えていった伝説でしかない。
そもそも一夜にして沈没するような大陸などありえない。
ムウにしてもレムリアにしてもそれは同じだ。
ましてや、アトランティス沈没後から石器時代との中間期に位置するとされるヒュペルボレアス文明などは、ごく一部の幻想文学が神話伝承を引用して創作した架空の時代である。
そうした認識が正しかったのは二十世紀までの間のことだ。
VA源動基とVA兵器が一定数以上普及し、歴史の影に潜んでいた異能者や術使いに、ハーメルン症候群発症者という名の新種が加わって、世の表に露出したことで、有史以前に関する認識はあらためられている。
VA源動基あるいは、異能や古代トゥーレ文明に由来する莫大なエネルギー。
それを操作することで得られる時空間の制御技術を拡大させれば、物理的には狭隘な空間の内部に広大無辺な領域を重ね合わせて存在させ、特定の条件を満たした対象だけをそこに収容することができる。
最初の第一世代VA艦はいずれも、外観から想定できる数値を超過した資材や軍需物資、そしてシルエットキャリバーを搭載して運用していたが、これらも艦内の空間が独立した小世界として、ひとつの社会を形成するに足るだけの実質的な広がりを確保できているからだ。
アメリカ合衆国の国土消失という前代未聞の異常事態も、VA源動基の暴走だという説で納得されているのも、こうした事実が徐々に機密解除されつつあるがゆえのこと。
「ハイパーボレアでおぼえたんだから、今さら変えられない。現代のアトランティスとなったアメリカ合衆国を、メリケン合衆国と言わないだけで妥協してもらいたいな」
ラネブはそう言ってイザナミの青みがかったつま先の装甲に手のひらを合わせた。
すると、バチバチバチっと激しい電流めいた光が走って接触を拒まれる。
「やはりだめですか」
「ここが古代エジプトの遺跡だったら、たぶんフリーパス状態なんだろうけどね。わかったこともあるよミシュレット。これの最後の搭乗者を確認できた。ユウ・ミヤカワ……どこかで聞いた名前だ」
「確かそれは……若い方の大久保ハヤト氏が持ち出したマグナキャリバー……マーズ・フォリナーの本来の搭乗者として予定されていた候補者の名前です。大戦の初期に死亡が確認されていますが」
アデリーランド条約の制限下にあるミシュレットは、人間並みの記憶でしか知識を参照できない現状に舌打ちしてから答える。
「はしたないよミシュレット。お姉さんたちに知られたら叱られるって」
「今のわたしはラネブ様と同様に軍人ですから、昔のハリウッド映画程度の下品さは許容されてしかるべきです。とにかく、この空間自体がイザナミの管制下にあってそのイザナミへの干渉が不可能だということは……ここで行き止まりで、外部の通常空間へ出る通路は封鎖されたままということですね」
避難者たちを先導してシェルターに着いたはいいが、ラネブは外部との交信が不可能なまま、ここまで来た往路以外の脱出ルートを使えない状況に陥っていた。
「ミシュレット、降霊術でも使ってユウ・ミヤカワでも呼んでくれ。イザナミにアクセスして外に出る安全な通路を開いてもらおう」
「ネットワークにつながっていないわたしには、まともな能力が無きに等しいとご存知のはずでよね、おてんぱラネブ様? そういうのは巫女であるラネブ様の方が得意そうじゃないですか」
「……ごめん。八方塞がりっぽくなってきたから、場を和ます冗談のひとつとして言ってみた」
「笑えない冗談は良くありませんよ。着いてきた一般市民のみなさんが、不安になるだけです」
一応、ラネブとミシュレットは日本語ではなく、そして英語でもなく、会話読解も困難とされているバギルスタンの言語を使っているが、それでも遠巻きにしている人々は状況が芳しくないと察している。
「ユウ・ミヤカワ本人は無理だけど、せめてその係累でもいれば……なんとかこのイザナミさんのお慈悲にすがることならできそうなんだけどな」
「あのー、おねえさん」
「ん?」
ラネブの前に進み出てきたのはひとりの男児だった。
あわてて、もうひとり同い年に見える女の子も走り寄ってきて、男児にぴったりくっついて手を握る。
「こらこら坊や、私は男装の麗人をやっているんだから露骨にお姉さんと呼んではいけないよ」
「じゃあ軍人さん」
「なんだね坊や?」
「坊やじゃなくて、ぼく、イサミだよ。宮川イサミ」
「ミヤカワか、どこかで聞いた名前だ……ん?」
ラネブよりも早くミシュレットがある可能性を類推した。
「イサミさん、あなたのご両親……お父さんとお母さんのお名前を教えてもらえませんか?」
「お父さんは、ふじわらヒロミ。お母さんは宮川ユミネだよ」
法改正で選択的夫婦別姓が導入されている2025年現在、入籍しても旧姓を使用することは法的にも現実的にも自由となっている。
「ユミネ・ミヤカワ……天尽夢想流のご当主か?」
「うん」
「ラネブ様、奥様も奥様で有名人ですが、まずは世界で唯一の超越者殺しである藤原ヒロミさんの方にびっくりしましょうよ?」
ミシュレットはついお説教を始めてしまいそうだった自分を戒めて、そこで言葉を止めた。
「宮川ユウは、お母さんの弟だから……ぼくがいれば……この行き止まりから、安全なところってのにユイちゃんをつれて行けるの?」
イサミは見知らぬ異国からの旅人ふたりを見上げて、そう問いかけた。




