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断章『見えざる剣』16

軟体質めいた黒い小山に、自分の身体を中心にして飛び回る九つの透明な球体が触れたその瞬間に、タマモの視界は極端に変化した。


「……ここは?」


返事があると期待しての述懐ではなかった。

力と力との激突に備えての緊張が、あっさりといなされ、かわされてしまった。

それが致命的な隙とならないように、せめてそうつぶやくことで感覚を鋭く保つための独白。

武道で云うところの残心のような戦意を手放さぬための言葉。


薄暮めいた薄暗がりの空。

資料としてみた映像にある1999年以前の新宿駅の西側――無数の人影が行き交う大都会。

同盟国であったはずのアメリカ合衆国からのミサイル攻撃を受ける以前の光景。


「おめでとう玖堂タマモ。あなたは資格を満たしてここに至った」


青梅街道沿いに立つ雑居ビルの1階オープンテラスの客席に座る白い僧服の男がマグカップを持ち上げて乾杯の仕草をする。


「西暦2000年に南極で死んだという記録は間違いのようね、ルードヴィヒ・プリン」


同名の男は1999年に大久保ハヤトの手によりグルーム・レイク基地で殺されている。

タマモはその事実を知らないが、南極での戦いに関しては、もっとも近い前世である九重タマモとしての生において認識がある。


かつて彼はメサイア・プランの上級魔道士であり、特別な存在であった九重タマモの配下だった。

今もそうなのだとすれば、弟を危険から遠ざけようとする玖堂タマモにとっては敵となる。


「カイン・エピファネスという人の友人……というよりは、もと友人というのが正しいのかしら」


「彼は私の愛弟子ですよ。残念ながら道を誤り、唯一神などという実在しない造り物の概念に染まってしまいましたがね。あなたが転生先を歪められて……怨敵の一党に組み入れられてしまったのと同様に」


ルードヴィヒがタマモに向けてコーヒーが入ったままのマグカップを投げつけた。

白磁はアスファルトにぶつかって砕け散るが、コーヒーだった黒い液体は流体のまま粘性を帯びたムチのようにしなってタマモに襲いかかる。


輪廻転生(リンカネーション)誘導機構装置(システム)なんていうガラクタで操作して歪めていたのはあなたやその師のアルハザードのしわざよ」


タマモは防御も回避もせずに攻撃をただ見据えただけだった。

新宿駅の西側を埋め尽くす勢いで増殖しつつあった黒い怪異のミニチュア版のようなそれは、九つの宝玉のひとつに触れただけで蒸発してきえてしまう。


「見た目はともかく、たいした力だ。外側に触れられてしまう前に、内側にご招待して正解だったようですね」


ルードヴィヒがオープンテラスの席から立ち上がった。

その首には十字架――カイン・エピファネスのそれとは上下の位置が逆転した逆十字が吊り下げられている。


「私としては師に命じられた通り、ラネブ殿下という獲物を確保する都合上、まだこの特大ショゴスの増殖を止めるわけにはいかない。しばらく遊びに付き合ってもらいましょう。なあに、その内、もっと客が増えるでしょうから退屈はしないはず――」


ルードヴィヒは言葉を最後まで言えぬまま砕け散った。

タマモの意思を受けて飛翔した透明な宝玉のひとつが激突したことで、そうなった。


「……分身体だったの?」


目の前にいたルードヴィヒにダメージを与えたという手応えは感じた。

だが、とどめを刺したという確信はない。

おそらくは記録に残されている西暦2000年の南極での死亡というのもこういった状況をそのように判断されてしまったからなのだろう。


「とにかく……ここがあの黒いショゴスの形成する内向きの亜空間なら……外に出ないと……イサミが」


タマモは思考を巡らせて、この場からの脱出方法を考え始める。

一文字流符法にはそういった手段が存在するが、あらかじめ、空間と空間を瞬時に跳躍するための目印となる呪符を設置して用意しておく必要があった。


「九重タマモだった時の……いちばん天空の女王(カレン)の記憶と能力に近い状態だった時のことを思い出せば……この程度の空間の位相差を転移する術なんて簡単に――」


そう思ったらなぜか、カイン・エピファネスの言葉が脳裏に再生された。


『そして、あなたには忠告だ玖堂タマモ。古代トゥーレの力に依存しすぎるのは危険だ――』


前世の自分たちはすべて、玖堂タマモとしての今生を理解し、必要であれば自分たちの知識と力を引き出してかまわないと……真に自分の力に覚醒する前後、祝福してくれた。

もともと、修行の妨げにならないように意図して封じているのはタマモ自身の判断でもあった。


「お父さんとお母さんも……命をかけてでもやり遂げたいことがあるのなら、その時はためらわずに使いなさい……そう言ってくれたわ」


それなのにカイン・エピファネスの言葉が今、妙に引っかかる。

ためらっている間にタマモは自分の周囲に人だかりができつつあることに気付いてしまった。


「ねえ、そこのコスプレの人……ちょっと、いい?」


最初に声をかけてきたのはまだ若い女性だった。

年齢的には20代後半から30代前半。

ただしその服装は日本の国防陸軍の軍服で武装もしている。


「コスプレではありません。これは怪異と戦うための装備で、あなたたち軍人の軍服と同じです……確かに……わたしとナナミちゃんが好きだった……魔法乙女ミラクル・ヒーリングのミラクルドレスがイメージとして投影されているから……コスプレっぽく見えるかもしれませんけど……」


確かに、という部分以降は、もごもごと小声になったが、タマモは不愉快そうに女性軍人をにらんだ。

その時点でもうひとつ気付いた。


「怒ったなら、あやまる。ごめんね」


女性軍人と、彼女の周囲に集まっている同僚の男性兵士たちのそれは、5年前に変更される以前の旧式の制服なのだ。


「あたしは守屋(もりや)ヒビキよ。階級は中尉で、こいつらの中では最上位だから暫定の小隊長。もし可能ならここからの脱出に協力してくれると助かるな」


そして、もうひとつ。

タマモには異能を用いる職業上のある理由から伝承院の別の弟子をパートナーにしているのだが、その相手から、行方不明になってしまったという姉の話を聞いたことがあった。


「玖堂タマモです。環太平洋合同軍(パシフィックス)のマリー・アントワネット所属の民間協力者です。ライセンス、確認しますか?」

「あたしの認識票も見せた方がいい?」

「こういうのは儀礼的なものですから、一応」


タマモとヒビキはそれぞれ認識票とライセンスを兼ねたバッジを交換して目を通すが、ほとんど細かい観察もせず相手に返して自分のそれを受け取った。


「ところで守屋さん……いえヒビキさん」

「お、いきなり名前呼びなんだ?」

「い、いえ……その……守屋さんと呼ぶと……ここ最近の職業上のパートナーを呼んでいるようなので、区切りを付けたくてですね」

「あんたの力はさっき、離れた位置からだけど見てたよ。そんな強いのに、どうしてそんな急にもじもじしちゃって何? あたしに一目惚れとか?」

「その、ずけずけとして馴れ馴れしいところ……とても良く似ているんですね」

「失礼な子ね?」

「妹さん、いらっしゃいますよね? 守屋イズミさんという子。わたしの職業上のパートナーです」

「なになに、ちょっとあんた、うちのイズミの知り合いってこと? そりゃあイズミもミラクル変身セット買って買って~って、うるさかったけど、もう小学3年生なんだからやめときなさいって……あれ?」

「な、なんですかヒビキさん?」

「あんた、イズミと組んでるって……殯宮守(もがりのみやもり)の連中、小学生まで働かせてるってわけなのっ!」

「イズミさんも、わたしも、今は中学1年生です。伝承院様は同い年だと」

「あんた、もしかして未来から2020年にタイムスリップしたってこと?」

「ある意味ではそうですが……その自己中心的な物言いも……守屋さんにそっくり……いいですか守屋中尉。少なくともわたしは2025年の新宿で、巨大な黒い化物に突入した直後という認識です」


ややこしくなりそうだったので、タマモは、大きな声でその場に集まった一同に聞こえるように言ってやった。


守屋ヒビキはさすがに目を見開いて驚いたが、やはりそんな極端な反応も守屋イズミに良く似ているなとタマモはあきれ顔で見ていた。

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