断章『見えざる剣』12
「かのうせいの……ひとり?」
イサミは部分的にだが、母方のおじである亡き宮川ユウとしての前世を垣間見ている。
だがハーメルン症候群は未だに完全に彼の可能性を奪い去る段階に至ってはいない。
すべては、両親以上にその病の根源的な悪影響を知り抜いている姉の助けあってのことだ。
「多くは言えないの。何が起きて何がどうなるかを、たとえ可能性のひとつであってさえも知ることは……超越者たちの意図する決定論的な時空連続体の完成を応援するようなものだから」
天空の女王として覚醒し、激減した人類を統治する象徴となった獣人種の少女は、なるべく、わかりやすくイサミに説明したつもりだった。
「ごめんなさい。お姉さんの言ってること、ぼくには、よくわかんないや。おじさんだったころのきおくとけいけんに出てきてもらえば、わかるかもしんないけど……それやって、テストで、ひゃくてんまんてんもらったら、うちのお姉ちゃんにおこられちゃったんだ。だから、なにがあってもぜったい、ぼくからはズルはしないって、やくそくしてる」
「ええ、それでいいのよ。あなたはそのまま、ゆっくり大人になって……あの頃のわたしに会いに来てね」
「わわっ?」
サロメは、しゃがみこんで、イサミの身体を抱きしめた。
なつかしさと、いとおしさと……そして後悔にも似た苦笑いを浮かべながら。
「お姉さん?」
「お姉さんはね、未来のあなたの忘れ物を返しに来たのよ。だから、これを受け取って」
サロメはイサミから身体を離すと自分の胸元から何か取り出して示す。
「わあ……きれいだね。赤くて、とうめいな、ちっちゃいリンゴみたいだ」
サロメの手のひらに包まれたそれは握り拳程度の大きさの赤い球体だった。
「えー? リンゴなんかじゃないって? せいとうなのりてさえいれば、せかいさいきょー? そんなこといっても、ぼくのおねえちゃんのほうがつよいんだよー」
イサミはユイリンの自転車とそうしていたように、サロメが手渡そうとした赤い霊結晶の意思とごく自然に精神感応で語り合っていた。
「その子の名前は……マーズ・フォリナーというの。あなたと共に戦う剣であり鎧で、超越者たちの干渉に対抗することもできるわ」
「ふーん。でも、ぼくのおとうさんは、ちょうえつしゃっていう、わるいひとをやっつけたーって、ほめられてたよ? おとうさんは、きちんとしゅぎょうさえすれば、たいていのことはどうにかなるって、そういってるけど?」
受け取った赤い霊結晶を見つめながらイサミは父を自慢する。
仕事がいそがしくて、家にいてくれるのは週に1日程度だが、なんでもおもしろおかしく説明してくれてイサミと遊んでくれる大好きな父だ。
「トゥーレでの戦いでは、アレスの戦いと死がアッシュールの決意を促した。あなたたち父子の場合はその逆に……過去世に頼らない戦いを藤原ヒロミという人が始めて……息子として生まれたあなたがそれを真似る……わたしの中の天空の女王が……因果かしら、と言っているわ」
「うーん、むずかしいことばっかり、よく、わかんないや。ねえ、そうだ、ユイちゃんは?」
「今も、あなたの手を引いて走っているわ。ごめんなさいね。でも、いつか、あなたを助けてあげて、かくまってあげるんだから、お返しをして少しおしゃべりするくらいは許してね」
「う、うん?」
要領を得ないままイサミは生返事をした。
するとその時だった。
受け取って、手に持っていたはずの赤い霊結晶が少しずつ、彼の手に重なるようにして沈んでいく。
「え……しばらく……ぼくのからだで……やすむの? そんなことできるの?」
「イサミ……ううん、大久保ハヤト。世間知らずなわたしの面倒を見てくれて、ありがとう。あなたともっと早く出会った別のわたしが……うらやましいけれど……これも自分で決めたことだから……さよなら」
白い不思議な世界と共に獣人種の娘サロメの姿は消え去った。
イサミはユイリンに手を引かれて、シェルターへの地下通路を走っていた。
「っ……なんで……ぼくは……ないてるんだろ」
イサミには白昼夢めいた何かがあったという漠然とした印象しか残ってはいない。
ただ、大切な誰かとの永遠の別れ――そんな感情が呼び覚まされている。
「どうしたのイサミ?」
立ち止まって振り返ったユイリンが心配そうに顔を寄せてくる。
だがイサミは自分がなぜ涙を流しているのを説明することができずにいた。
ずっと前に、引っ越しのせいで仲良しだった友達と離れ離れになって悲しくなった感覚が近い、としか、たとえることができなかった。




